新・怖いくらいに青い空

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「表向きは個人の自由だけど実際は強制的に参加させられる」問題を何とかしないと日本は滅ぶ

部活の指導中における体罰や事故が問題となっていますが、同様に、教員がやりたくもない部活動の顧問を無理やりやらされて休日返上で働かされているという現状も、重大な人権侵害だと言わざるを得ません。

これと関連して、本来参加するかしないかを任意で選べるはずのPTAに、全ての父兄が半ば強制的に加入させられて、挙句の果てには勝手に役員にまでさせられてる問題もあります。

これらの問題に共通しているのは、表向きは参加するかしないかを個人が自由に決められる制度にしておきながら、実際には事実上の強制参加になっているパターンです。これは現代日本のあらゆる根付いて、息苦しい社会を作り出している癌みたいなものだと思っています。

数土直紀さんは著書『自由という服従』の中で、自由を獲得したがゆえにかえって別の面で不自由になる状況があるということを丁寧に説明しています。部活やPTAにまつわる問題も、基本同じようなものだと思います。

例えば、今日の中学校などでは部活に入るか入らないかは生徒が自由に判断できます(もちろん、強制的に参加しないといけない学校もあると思います。それはそれで重大な問題だと思います)。ところが、それはあくまでも建前で、実際には周りの生徒がみんな部活に入っているから自分も何となく入らなければならないような雰囲気になってたり、教師や親に勧められるなどして強引に参加させられたり、その他いろいろな「しがらみ」によって事実上強制的に部活に入部させられたりすることが結構あります。また、いったん入部してしまうと、部内の人間関係や顧問との関係、内申点への影響などもあるため、そう簡単に退部することはできません。結局、表向きは任意参加なのに嫌々ながら参加せざるをえない状況が出来上がっていきます。その場合、嫌々ながらなので当然ながら部活動に対する意欲は湧いてきません。でも、表向きは自分の意思で参加していることになっているので、顧問や先輩からは「お前が望んで入部したんだろ!真面目にやれ!」と言われて怒られるわけです。つまり、その学校における暗黙の了解によって強制的に部活に参加させておきながら、都合良く「自分から望んで参加した」という事実を持ち出してきて高いレベルの活動を求められたりするわけです。こういった明らかなダブルスタンダードがあるので、最初から全員強制参加型となってる場合よりも、かえって良くない状況に追い込まれてしまうのです。

これは全員顧問制度でも同じでしょう。部活の指導は表向きはボランティアという形になっている、つまり教員が望んで顧問になっているという体裁になっているので、手当も微々たるものしか出ないし、休日返上で献身的に活動することが求められている。でも実際には、勝手に顧問の仕事が割り振られてくるので、ぶっちゃげ教員に「顧問をやらない」という選択肢はない。このどうしようもなく醜悪なダブルスタンダードが未だに広くはびこっているのが日本の現状です。しかし、勇気ある先生たちの活動によって、ようやく解決の糸口が見えてきたように思います。

部活の問題に関して言えば、まず、学校単位での部活動というものを廃止し、学生スポーツは資格を持った指導者が担当する。そして、教員は本来の教育活動の方に専念し、スポーツをやりたい生徒だけが部活に参加するということを徹底する。このような制度に変えていけば、今より随分ましな制度になると思います。顧問をやりたくない教師や、部活をやりたくない生徒まで巻き込んで、学校単位の部活動を維持しようとしている現在の制度ははっきり言って異常です。

もちろん「表向きは個人の自由だけど実際は強制的に参加させられる」問題は、何も部活や学校に限った問題ではなく、会社・政治・地域社会など、日本のあらゆる所で見られる重大な社会問題でもあります。この手の問題が無くなったら、日本はもう少し住みやすい国になるんですけど、この病巣を完全に取り除くのは100年たっても不可能かもしれません。でも、この問題を何とかしないと、日本という国は今後世界で生きて行けなくなるんじゃないかと強く危惧しています。

自由という服従 (光文社新書)

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