この記事の結論は表題の通り。原作を読んだ方にとっては言うまでもない事だが、原作でも、
- ユーリが銃でパイプを打ち抜きお湯を出すシーン
- 2人がカナザワとで出会うシーン
- カメラのタイマー機能を使って2人が写真を撮るシーン
- 2人が巨大な管の上を歩いて食糧生産工場に向かうシーン
は存在する。しかし、
- 寒さで震えながらパイプを撃とうとするユーリにチトが肩を貸してあげるシーン(第2話)
- ユーリがカナザワを警戒してしばらくの間ずっと銃口を向けているシーン(第3話)
- 写真撮影の前にチトがユーリの髪を直してあげるシーン(第4話)
- 高い所を怖がるチトを励ますためにユーリが「いっちに!」「ワンツー!」とか言ってるシーン(第7話)
といったシーンは全てアニメ版オリジナルであり、これらの何気ないシーンが追加されることで、2人がいかにお互いのことを大切に思っているかが、より鮮明になった。
原作のアレンジと言えば、最終回Aパート、カメラの中にある写真と動画を見るシーンも素晴らしいとしか言いようがない。ショパンのノクターンを背景にして映し出される人類の歴史。映像の中にある人々の生活は愛に満ちている。子供の成長を喜び、大切な人と共に過ごし、死者を弔う人々の姿。しかし、そんなにも愛に満ちた世界にあっても、人と人との争いはついに無くならなかったのだ。おそらく彼らは、現実世界の私達と同じように、愛する子どもたちの未来を思い、地球の美しい自然に心打たれ、それらの大切なものが失われてしまうかもしれないという恐怖に打ち震えるたびに、何度も何度も争いを止めようとしただろう。それでも、人のDNAに刻まれた欲望、他者を殺し、他者の物を奪おうとする本能は、どうやっても抗えないほどに強く、人は破滅の道を突き進んでしまったのだ。人類が辿った悲しい歴史を強く感じ取ることができ、作品の印象ががらりと変わる。
また、最終回Bパート、謎の生物に食われたユーリを助けるために銃を手に取るチトの描写も実に良い。これまでずっと銃を持っていたのはユーリの方で、チトは最終話にして初めて銃を持って戦うことになる。転んだはずみで銃が暴発し、チトが泣いたのは、1人になって心細いためだけではないだろう。チトはこの時、本当の意味で銃の重みを実感し、人を殺すことさえできる強力な武器がいま手元にあるという恐怖から泣いていたようにも見える。この1シーンを入れるだけでキャラクターの心理描写にぐっと重みが増すのだ。