新・怖いくらいに青い空

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『少女終末旅行』―終末と救済と孤独にまつわる物語

少女終末旅行 1巻 (バンチコミックス)

少女終末旅行 1巻 (バンチコミックス)

少女終末旅行』総評

終末もの(ポスト・アポカリプス)によくある反戦反核の思想、行き過ぎた科学技術への警鐘、荒廃した土地で力強く生きる人間への賛歌等のメッセージを排し、生き物が死に絶えた世界で2人の少女が旅をする様子をただあるがままに描くことで、文明社会に生きる我々が抱える「終末」への恐怖を浮き上がらせて見せた。

「終末」とは何か。それは、全てのものが忘れ去られ、無に帰るということである。人類が積み上げてきた科学技術や文化や芸術が、すべて破壊されて再現不可能となり、かつてそういうものがあったという事実すら忘れ去られて、もちろん、私たちが生きた証も、生まれてきた意味すらも、文字通り全てのものが消えて無くなるということである。人類にとってこれ以上の恐怖が果たしてあるだろうか。

にもかかわらず、作中の世界はどこまでも穏やかで優しい時間が流れている。なぜ、終末の恐怖に満ち溢れた世界で、チトとユーリはこんなにも穏やかでいられるのだろう。それは、人間にとって「終末」が恐怖であると同時に、救済でもあるからだ。作者もあとがきで次のように書いている。

生命も文明も宇宙も、ちゃんとどこかで終わっていてほしい。終わりがあるというのはとても優しいことだと思います。(第3巻あとがきより)

人間は不変や永遠に憧れる一方で、忘れることに癒されていると思います。(第5巻あとがきより)

少女終末旅行』に存在しないのは、他者を殺し他者のものを奪うことでしか生きることのできないという「人間に科せられた業」ではないだろうか。限られた資源を奪い合い、他者を傷付けて、強い者だけが子孫を残すという生存競争をずっと死ぬまで続ける。そんな業を背負って生きていかなければならないのが、人間、そして全ての生物の定めなのだ。文明が存続する限り、「生物に科せられた業」から解放されることは決してないだろう。なぜならば、より強く、より多くの子孫を残せるように、という競争本能は何十億年という時間の中で遺伝子レベルで刻まれているものだからだ。人間が「生物に科せられた業」から解放される時、それはすなわち、技術文明が滅び終末を迎える時に他ならない。

少女終末旅行』は、人間の消え去った世界、人間が「生物に科せられた業」から解き放たれた世界がこんなにも美しいものであるという事を明らかにし、同時に、この地球にとって人間とは何なのかという究極の問いを浮き上がらせて見せたのだ。

しかしそれでも、終末が救済につながると知っていてもなお、それを受け入れることができない、そんなある種の本能がチトとユーリを旅に向かわせるのかもしれない。そして、現実世界の人類もまた、チトとユーリのように、あてもなく旅を続けている存在なのではないだろうか。

ドレイクの方程式

話は脱線するが、ドレイクの方程式というものをご存じだろうか。これは天文学者フランク・ドレイクが1960年代に提唱した方程式である。「銀河系に存在する地球と交信可能な地球外文明の数」をNとおいたとき、その値は以下の式で表されるという。

N = R・Fp・Ne・Fl・Fi・Fc・L

右辺に並ぶ記号の意味はそれぞれ以下の通りである。

  • R: 銀河系の中で1年間に誕生する恒星の数
  • Fp: 恒星が惑星を持つ確率
  • Ne: 一つの恒星系が持つ生命誕生の可能性のある惑星の数
  • Fl: 生命誕生の可能性のある惑星で実際に生命が誕生する確率
  • Fi: 誕生した生命が知的生命へと進化する確率
  • Fc: 知的生命による技術文明が星間通信を行う確率
  • L: 技術文明の存続期間(年)

では、各変数に妥当な値を入力してNを割り出してみよう。

  • R: 銀河系の研究により、銀河系の中で1年間に誕生する恒星の数はおよそ10個程度とされているので、R=10とする。
  • Fp: 太陽系外惑星の研究により、多くの恒星が惑星を持つということが明らかになってきているため、ここはFp=0.5としておこう。
  • Ne: 「生命誕生の可能性のある」という言葉の定義が曖昧で、なかなか決められない数字。太陽系の場合で言えば、かつての金星や火星でも生命誕生が有り得たかもしれないと言われているし、エウロパなどの衛星でも生命がいるんじゃないかと期待されている。ここは期待をこめてNe=2としておこう。
  • Fl: 地球で生命が誕生したのは38億年前とされている。当時は地球ができてまだ10億年も経ってない頃でオゾン層も酸素もない環境だったという事を考えると、生命の誕生自体は割と頻繁に起こっているのではないかと期待できる。ここはFl=0.1としておく。
  • Fi: 実はこれが一番難しいのではないか。生命が誕生したとしてもすぐに滅んでしまったり、細菌レベルのものしか生まれなかったりする星がほとんどなのではという気がする。なので、Fi=0.001としておく。
  • Fc: 少なくとも地球くらいにまで発達した文明なら、何らかの方法で宇宙生命を探そうと試みるのではないか。なのでここはFc=1とする。

ここまででL以外の全ての変数が求まった。それをまとめると、

R・Fp・Ne・Fl・Fi・Fc = 0.001

となる。つまり、「銀河系で1年間に誕生する地球と交信可能な文明の数」が0.001個ということだ。念のために言っておくが、これはあくまでも私が考える値であって、実際に合っているかどうかも確かめようがないので、その点は頭の片隅においた上で読んでほしい。さて、これを最初の式に入れると、以下の式が成り立つ。

N = 0.001×L

お分かりだろうか。結局のところ「銀河系に存在する地球と交信可能な地球外文明の数(N)」は、「文明の存続期間(L)」にどういう値を入れるかによって大きく変わってくる。そして、Lを考える場合には、私たちが知っている唯一の文明である地球文明を参考にする他ない。

まず、極端な例を考えてみよう。地球文明はこれからも様々な困難に見舞われるだろうが、科学技術の発展によってそれらを全て克服し、太陽が消滅するまで続く。地球に住めなくなった後も他の惑星に移住してずっと文明を維持し続ける。そう仮定するならば、文明の存続期間(L)は10億年以上ということになり、この銀河系は何百万、何千万という文明の光に満ち溢れているということになる。

我々は孤独のうちに終末を迎える存在か

しかし、そんな明るい未来は有り得るだろうか。地球文明が宇宙と交信可能な技術(電波望遠鏡など)を持ち始めてまだせいぜい100年だ。その間にも大きな戦争が繰り返され、核戦争の危機が何度もあった。そして21世紀、間違いなく地球環境の破壊と人口爆発によって文明は大打撃を受けるだろう。私には、この文明があと1000年続けば良い方なんじゃないかと思う*1。そして、それは他の惑星であっても同じではないだろうか。何故ならば、生物が宇宙と交信できるくらいにまで高度に進化した時期と、生物が自らの星を滅ぼしかねない強大な力を手にする時期は、ほぼ同時に訪れるからだ。

さて、L=1000を上の式に代入するのなら、N=1、つまり、この銀河系で存続している技術文明は地球だけということになる。いや、それは有り得ない、我々の文明は何万年という単位で続くはずだ、と考えたとしても、Nの値は10か100くらいにしかならない。この広い銀河系で10か100というのは、もう地球外文明を見つけるのは不可能と言ってるのに等しい。砂漠の砂の中から1粒の砂金を見つけるようなものだからだ。このまま行けば我々は、孤独のうちに生まれ、孤独のうちに終末を迎えることになる可能性が高い。

このまま観測技術が向上して地球以外にも文明が存在する、我々は孤独ではないという事実が分かった時*2、人類は大きな安心感に包まれるだろう。その安心を得たいがために血眼になって宇宙を探索する時代がいずれやってくるに違いない。しかし、我々が孤独な存在ではないと知るために最も重要なことは、何といっても我々自身が長生きすること、地球文明の寿命を少しでも長引かせることなのだ。

チトとユーリもきっと同じだ。「生物に科せられた業」から解き放たれた世界は、遠くない未来に滅ぶことが決まっている終末の世界。宇宙の年齢と比べればほんの一瞬でしかない彼女たちの人生の中で、自分たちが孤独ではないと知ることができるなら、それはこの上ない救済だと思う。

少しでも遠くへ、上へ、少しでも長く…。彼女たちが旅を続けているのは、自分たちが孤独ではないと知りたいからではないだろうか。

*1:ここでいう存続期間とは人類そのものの存続期間ではなく、人類が宇宙と交信可能なレベルの技術力を保持し続ける期間であることに注意してほしい。

*2:直接宇宙人と交信できた時、もしくは望遠鏡等の発達により太陽系外惑星に文明の証拠を発見した時