新・怖いくらいに青い空

アニメ・マンガ・ライトノベル考察

『行進子犬に恋文を』は百合漫画版『陸軍幼年学校よもやま物語』である

もう、尊さの塊みたいな作品なので、百合好きの人は絶対に読んでほしい。

行進子犬に恋文を(1) (百合姫コミックス)

行進子犬に恋文を(1) (百合姫コミックス)

  • 作者:玉崎 たま
  • 発売日: 2018/06/18
  • メディア: コミック

突然だが、国が発展する上で必要不可欠なものとは何か。それは、お国のために汗水たらして働く「国民」を養成することである。国民がみんな生まれ育った「おらが村」で畑を耕して一生を終えるだけでは、国は発展しないのである。まず学校を作り、教育を受けた健康な「国民」を大量に作り上げる。そして、彼らを使って産業を興し、強い軍隊を作る。それが良いか悪いかは置いとくとしても、今この世界で先進国とされている国は、一つの例外もなくこのような過程を経て発展してきた。おそらく、明治期の日本のエリート達(岩倉使節団とか)は、西洋の国々を見て回る中で、この近代化の本質をほぼ完璧に理解したのだと思う。だからこそ、その後に日本という国はここまで発展できた。

そういう近代国家の「国民」を養成する施設の最たるものが、陸軍幼年学校である。そこは、生活の全てが管理された空間で、立派な軍人になるために勉学に励むことが最優先の場所。恋愛なんて浮ついたことはご法度。そういう世界である。『行進子犬に恋文を』の舞台はその女子版。そこで描かれる百合。面白くないわけがない。スト魔女、陽炎抜錨、はいふり…。ほんと、ミリタリーと百合は親和性高いなあ。

主人公・犬童忍は陸軍女子幼年学校に入学したばかりの1年生。そこで模範生徒である加賀美藤乃と出会い、強い恋心を抱くようになる。加賀美もまた、犬童の可愛さに惹かれていき、「稚児なんぞに興味はないが他のやつにくれてやる気にもならないな」と言って犬童にキスをする。

百合漫画は誰に感情移入して読むのかが重要だが、本作は多くの人が加賀美に感情移入して読んでいるだろうし、そういうふうに読めるような作品構成になっている。加賀美視点で見ると、とにかく犬童が可愛くて仕方がないのである。ちっこくて、表情豊かで、子犬みたいで。そんな子が自分のことをメッチャ慕ってきて「好きです」と言ってくるのである。もう加賀美からしたら天にも昇るような気持ち。犬童のことが大好きすぎて気が狂いそうになるレベルなのだ。

ところが、自分も相手も、立派な軍人になるという使命がある。ましてや自分は模範生徒として下級生を厳しく指導しなきゃいけない立場。ゆえに、上手く伝えられない自分の気持ち。本当は今すぐにでも抱きしめてあげたいけれど、そうすることができない。この、もどかしさ。ただただ尊い

ところで、本作の下敷きとなった作品が、村上兵衛の『陸軍幼年学校よもやま物語』である。

陸軍幼年学校よもやま物語

陸軍幼年学校よもやま物語

これは、陸軍幼年学校出身の作者が当時のエピソードをつづったノンフィクションなのだが、『行進子犬』に出てくる用語も全てこの本を参考にしているようである。例えば、「模範生徒」については次のように書かれている。

一寝室の定員は十一名。この一名の半端は、三年生で、「模範生徒」という。
模範生徒は読んで字のごとく、下級生と起居をともにして、その日常生活に範を垂れ、いろいろアドヴァイスをする。
むろん助言ばかりではなくて、叱り飛ばしたり、お説教をたれることもある。
ふつうはゴミンと呼ばれていた。
ヨーロッパの護民官あたりから来たものらしい。
村上兵衛『陸軍幼年学校よもやま物語』37ページ)

さて、『行進子犬』で最も重要なキーワードと言える「稚児」。これは一体何なのか。

上級生が、下級生の美少年を、かくべつひいきする。私たちは、誰々は誰々の稚児だ、などと言いあった。
これは男ばかりの集団で、女を知る前の屈折した欲情のかたち、ともいえる。
村上兵衛『陸軍幼年学校よもやま物語』196ページ)

そうなのである。これは漫画の中だけで使われてる用語ではなく、「上級生の寵愛を受けている可愛い下級生」という意味を持つ実際に存在した言葉なのだ。村上は次のようにも書いている。

三年生になってから、私も一年生の美少年に、ひそかに心を燃やしたりした。
しかし、私は、まだ初心で、そういう下級生から敬礼され、じっと見つめられたりすると、こちらの顔が赤くなって行くのが、自分でわかった。
のみならず、眼がうるんで、涙がこぼれそうになる。恥ずかしいので、いわば、積極的にモーションをかけるというようなことは、とうとうできずじまいのまま終わった。
村上兵衛『陸軍幼年学校よもやま物語』198ページ)

また、下級生が上級生から説教を受けている場面では、次のように書かれている。

そこで私は立ちあがって、列に近づき、かねてから目をつけていた“可愛い下級生”を呼び出し、濠端のほうに連れていった。
そうして、有志のお説教が終わるまで、彼と何とはない話を交わした。
それはバカバカしい行事から、その少年を守ってやり、私じしんの淡い“恋情”を満足させるという、一石二鳥のつもりだったが、上気して自分の口がよく動かなかった。
そして、こちらの“恋情”を見破られはしなかったか、とひとりで恥ずかしがっていた。
村上兵衛『陸軍幼年学校よもやま物語』201ページ)

要するに、現実の陸軍幼年学校において、上級生と下級生の間でボーイズラブ的な関係が芽生えることは当たり前にあったことで、『行進子犬』はそれを百合に変換してるだけなのだ。

そういう意味で、『行進子犬に恋文を』という作品は、ノンフィクション的である。もし、こういう学校があったら起こり得たであろう関係性を描いているのだ。