新・怖いくらいに青い空

アニメ・マンガ・ライトノベル考察

『ドラえもん のび太の月面探査記』の作品構造

「定説の世界」と「異説の世界」

教室で「月にはウサギがいる」と言ってバカにされたのび太は、異説クラブメンバーズバッジで「月の裏側には文明がある」という異説が本当になった世界を創造し、そこでムービットという生物を作り、彼らは月面のクレーターで高度な文明を築くようになる。一方、のび太達の通う小学校に謎の少年・ルカが転校してくる。ドラえもん達とルカは、異説クラブメンバーズバッジを付けて月へ向かい、ムービット達の手厚い歓迎を受ける。

過去・未来、宇宙、地底、海底、雲の上…。ドラえもん映画の舞台となる世界は、時代を超えて我々の想像力を掻き立て、多くの子ども達を魅了し続けてきた。それらの世界の大半は、のび太達が住んでいる作中世界と同一の世界であるとされてきた。例えば、『宇宙開拓史』『宇宙小戦争』『アニマル惑星』『ブリキの迷宮』などは、作中世界における遠い「宇宙」にある星が舞台。『恐竜』『日本誕生』『太陽王伝説』などは、作中世界の「過去」を舞台にしたお話。『銀河超特急』『ひみつ道具博物館』などは、作中世界の「未来」が舞台。『大魔境』『海底鬼岩城』『竜の騎士』は、作中世界の人類に発見されていない地球上の「秘境」を描いている。我々の住むこの世界にはまだ人類の知らない秘密がたくさんあって、そういった未知の世界でのび太達が冒険を繰り広げるというのが、大半のドラえもん映画における基本コンセプトである。

一方で、のび太達が住む作中世界とは全く異なる別の世界を舞台にしたドラえもん映画も、数は少ないが存在する。例えば『魔界大冒険』は、もしもボックスで作り出された魔法世界が舞台。『創生日記』は、のび太が夏休みの宿題で作った全く新しい世界が舞台となっている。『ドラえもん のび太の月面探査記』も、歴代のドラえもん映画では少数派であった、作中世界と地続きでない異世界を舞台にした作品である。

本作でのび太達が普段住む世界を便宜上「定説の世界」と呼ぼう。そこから異説クラブメンバーズバッジを使ってドラ達とルカが向かうのが、ムービット達が住む「異説の世界」である。ムービットと彼らが築く月面文明は、異説クラブメンバーズバッジを付けた者にしか見ることはできないとされている。

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「異説の世界」とは、いわば、人類の想像力が生み出す空想上の世界である。「地球の内部は空洞になっている」とか「火星には火星人が住んでいる」とか「生き物は全て数千年前に神によって作られた」とか、人類が並外れた想像力を駆使してこの世界の理を理解しようとした過程で生まれてきた空想世界である。それは、「定説の世界」からライトを当てて映し出された像のような、実体のないものであるが、それを実体化して見せるのがこの異説クラブメンバーズバッジだと言えよう。

重なり合う2つの世界

物語は「異説の世界」の月面で進行するのかと思いきや、ここから作品構造は複雑さを増してゆく。実はルカとその仲間は、カグヤ星という星で科学者によって作られたエスパルという種族で、彼らの力を悪用しようとするカグヤ星人から逃れ、1000年以上も前から月の地下深くで生活していたのだ。月で暮らしていた11人のエスパル達はカグヤ星人に捕えられ、カグヤ星へと送還されてしまう。

ここで注意しておきたいのは、ドラえもんのび太、その他すべての人類と同様に、ルカ達やカグヤ星人も「定説の世界」に生きているということである。「異説の世界」で生きているのは、あくまでもドラ達が作りだしたムービットだけであって、本筋の物語はあくまでも「定説の世界」で進行しているのだ。

さて、ルカ達を助けるためにドラ達もカグヤ星へと向かう。そこでラスボスとして立ちはだかったのが、カグヤ星を支配しているAI・ディアボロ。絶体絶命のピンチに陥るドラ達だったが、そこに「異説の世界」にしか居ないはずのムービット達が登場する。

実は、ムービットのうちの1匹でのび太によく似た容姿をしているノビットが、定説クラブメンバーズバッジを発明していた。それは、異説クラブメンバーズバッジとは逆で、「異説の世界」の者が「定説の世界」で実体化するという驚くべきアイテムだったのだ。図で説明すると次の通りである。

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上で述べたように、「異説の世界」とは、ドラえもん達が「定説の世界」から映し出した像だった。そして、「異説の世界」で生きるノビットが「定説の世界」へ向けて映し返した像が、上図の紫色で示した部分だ。こうして、2つの世界は混ざり合って、「定説の世界」を変えていく。

このストーリーは色々な現象のメタファーとして捉えることが出来ると思う。例えば、古生物学者は化石などを徹底的に調べて恐竜が生きていた時代を想像する。その想像を基にして、遺伝子工学の発達した未来で生きている恐竜(『ジュラシックパーク』で描かれる恐竜のようなもの)を作り出すことができたら、それは、「異説の世界」から放たれた光が「定説の世界」に映し出す像だと言えるのではないだろうか。あるいは、幽霊が存在するという「異説」を信じている者にとっては、現実の世界でも本当に幽霊がいるように感じられることがある。このように、「異説の世界」は単なる空想上のものではなく、ときには「定説の世界」に介入し、その世界を変化させ得る存在なのだ。

ムービット達の援護によってついにディアボロは破壊され、カグヤ星に平和が訪れる。月に戻ったルカ達エスパルは、普通のカグヤ星人のように体が成長し、限りある短い人生を生きる存在でありたいと願う。その願いをドラえもんは異説クラブメンバーズバッジを使って実現させ*1、彼らが人類に見つからずに平穏に暮らせるように、バッジを学校の裏山に埋める。

ルカや他のエスパル達は、ムービットと同じく「異説の世界」の住人になったのだ。「異説の世界」を映し出す出発地点には、もはやドラえもんのび太達の姿はない。彼らは他の全ての人類と同じように、「異説の世界」に干渉できない「定説の世界」に戻り、2つの世界は完全に断絶したのだ。

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これは、とても切なくて悲しい結末に見える。しかし、希望は残されている。ドラえもんの台詞にもあったように、人類の歴史は異説が切り開いてきたもの、人類はこれまでずっと「定説の世界」と「異説の世界」を融合させながら進歩してきた存在だからだ。それについては、次章以降で詳しく説明しよう。

その前に、これは完全に余談ではあるのだが、本作も歴代のドラえもん映画と同様に学校の裏山が重要な舞台として描かれていたのがとても印象的だった。例えば、『銀河超特急』でドラえもんのび太銀河鉄道に乗車したのは夜の裏山であった。『アニマル惑星』でピンクのもやが現れたのも裏山。『鉄人兵団』でリルルとしずかちゃんが出会ったのも裏山だった。『雲の王国』や『竜の騎士』は、物語のラストシーンで冒険を終えたドラえもん達が裏山に帰還する。ドラえもん映画では、のび太達が普段住む日常の世界と異世界とを繋ぐ場所として、学校の裏山が象徴的に描かれているように思う。

世界が作り変えられる時

さて、本作の物語構造を「科学と人類の進歩」という観点から考察すると、次のようなことが言えるだろう。

まず最初に、我々が住んでいる「世界A」がある。そこに住む誰かが「異説B」を提唱し、それを元にして「世界B」が出来あがる。「世界A」と「世界B」という対比は、人類の歴史の中で出てきた色々な当てはまるだろう。例えば、「天動説」と「地動説」、「創造説」と「進化論」、「量子論相対性理論の世界」と「量子力学の世界」。こうして「世界B」ができると、「もし『世界B』が正しいならば、○○○である」という形式の「定説C」ができる。「定説C」を元にして「世界C」ができる。この「世界C」とは、具体的にはどういうものだろう。例えば、「進化論」で言えば、「ヒトがサルから進化したことを示す化石(ヒトとサルの中間に位置する生物の化石)が見つかる」という「世界C」が考えられる。また、「相対性理論の世界」で言えば、「実際に空間が重力によって歪む現象が観測される」という「世界C」が考えられる。これらの「世界C」が実際に正しかった(「世界A」と「世界C」が等しかった)ということは、もはや説明するまでもないだろう。

しかし、「異説B」から作り出される「世界B」「世界C」が常に正しいとは限らない。例えば、SF作品やファンタジー作品の中の「世界B」は、「世界A」とは大きくかけ離れている。宗教や疑似科学が作り出す「世界B」も、「世界A」の実相とは違っているだろう。登場した当時は正しいと信じられていても、時を経るにつれて実は間違いだったの判明する「世界B」も数多く存在する。

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例えば、「あらゆるガンはウイルスによって引き起こされる」という「世界B」を考えてみよう。この「世界B」から作り出される「世界C」は、「世界A」と重なり合う部分(A∩C)とそうでない部分とがある(A∩CおよびA∩C)。例えば、動物の中にはガンを引き起こすウイルスというものも発見されているし、人間でもヒトパピローマウイルスは子宮頸ガンを引き起こす(A∩C)。しかし、肺がん患者のほぼ全員が喫煙者であるなどの事実が示すように、ある種のガンはウイルスというよりも環境要因によって引き起こされているように見える(A∩C)。また、「世界B」が正しいならば、「あらゆるガン患者の病巣から特定のウイルス抽出できて、しかも、それを別の動物に投与するとガンが発生する」という「世界C」が有り得るはずだが、そのような事実は確認されていない(A∩C)。ゆえに、今日では、ほどんどの科学者が「あらゆるガンはウイルスが原因」という「世界B」は正しくないと考えている。しかし、一昔前までは、このような「世界B」が正しいと信じて研究をしていた学者が大勢存在していた。また、理論物理学における「超ひも理論」のように、現代の科学では「世界A」と「世界C」が重なり合うのかまだ分かってないものも数多く存在する。

そのような中で、先ほど挙げた「地動説」や「進化論」のように、異説から定説へと変わった世界については、下のような図で説明できるだろう。

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例えば、進化論を例に挙げるなら、まず、「全ての生物は神が作った」という「世界A」の中で、ダーウィンらが「生物は長い時間をかけて変異と淘汰を繰り返し進化してきた」という「異説B」を唱える。この「異説B」が作り出す「世界B」では、例えば「中間種の化石が発見されるだろう」とか「実際に遺伝子に変異が生じるメカニズムが解明されるだろう」という「定説C」ができる。ここから映し出される「世界C」が実際に「世界A」の中で見出され、さらに、「世界A」のありとあらゆる事象が実は「定説C」によって説明できる、実は「世界A」と「世界C」は等しい、という事が分かるようになる。「世界C」は「世界B」が正しいと仮定して作られた世界なので、「世界A」と「世界C」が等しいならば、「世界A」と「世界B」もまた等しい。ここまで来ると、「異説B」は定説となり、「世界A」と「世界B」は完全に融合する。

ここでいう「世界C」のことを簡便な言葉で言い表すと「予言」ということになるだろう。そう、作中のエスパルの一人・アルの能力が予知能力である象徴的理由はここにある。「世界B」から生み出される「予言」が当たった時、「世界A」と「世界B」は融合し、人類は進歩する。人類の歴史とは、このような作業を何度も何度も繰り返し、世界を作り変えていくことに他ならない。

本作が教えてくれること

「世界A」と「世界B」を融合して世界を作り変えていく営みを「進歩」と捉えることもできるが、必ずしもそうではないケースも存在する。作中でディアボロが行ったように、時の権力者が都合の良い「異説」を作り上げて、それが「定説」となるように仕向ける場合も多く存在する。例えば、「我々ドイツ人こそが最も優れた民族である」とか「白人は黒人より優れている」とかいう「世界B」が正しいとされた時、それがホロコースト奴隷制度という負の歴史を生み出したのだ。優性主義とか自民族優先主義の真に怖ろしいところは、それが「科学的に正しい」という衣を身にまとって忍び寄ってくるからだ。

我々が間違った方向に世界を作り変えてしまわないようにするには、一体どうすればいいのだろう。おそらく、一番大事なことは、今の世界(定説の世界)で正しいとされていることが絶対的に正しいと妄信しないこと、常識や権威といったものが本当に正しいのかどうか常に自問自答し続けることだと思う。私が在籍していた大学に、かつて著名な化学の教授がいた。その教授は「俺はMALDI*2なんてもの信用しない」と言っていたのに、田中耕一*3ノーベル賞を取るとコロッと態度を変えたという。ノーベル賞という権威を自分の価値判断の基準にしているという、科学者として非常に残念な態度である。

今現在「異説」とされているものも、将来「定説」になるかもしれない。藤子・F・不二雄は、SFとは「すこし・不思議」という意味だと述べたそうであるが、彼のSFとは、将来「定説の世界」になるかもしれない「異説の世界」を私達に見せてくれるものなのかもしれない。もし人類が道を間違えることなく世界を良い方向に変えることが出来たなら、藤子・F・不二雄が『ドラえもん』の中で描き出した輝かしい「異説の世界」は、将来きっと「定説の世界」になるだろう。

*1:カグヤ星人にとってエスパルは1000年以上も前にカグヤ星を立った伝説上の存在であり、「そんな存在は実在しないし実在したとしても我々と同じような人間だろう」という異説が出回っていたため、エスパル達の「普通の人間になりたい」という願いも異説クラブメンバーズバッジで叶えることができたのだ。

*2:タンパク質などの生体高分子とマトリックスと呼ばれる試薬との混合物にレーザーを照射させて、生体高分子をバラバラにすることなくイオン化させて分子量を測定できるようにする技術。

*3:MALDI法の開発の功績により2002年にノーベル化学賞を受賞した。