新・怖いくらいに青い空

アニメ・マンガ・ライトノベル考察

話数単位で選ぶ、2019年TVアニメ10選

今年もこの季節がやってきました。例年通り、ブログ新米小僧の見習日記に則り、

・2019年1月1日~12月31日までに放送されたTVアニメ(再放送を除く)から選定。
・1作品につき上限1話。
・順位は付けない。

というルールで今年観たベスト10話を選出します。

後ほど、2010年代(2010年~2019年)全体の話数単位10話も発表いたしますので、よろしくお願いします。

かぐや様は告らせたい』、第12話、「花火の音は聞こえない 後編」「かぐや様は避けたくない」

  • 脚本:菅原雪絵
  • 絵コンテ:畠山守
  • 演出:菊池貴行、畠山守
  • 作画監督:石崎夏海、川﨑玲奈、ぐんそう、佐藤好、石川洋一、針場裕子、Park Ae-Lee、Shim Min-hyeon
  • 総作画監督:八尋裕子

原作ファンがずっと心待ちにしていた花火回を、期待を裏切らずハイクオリティで仕上げてくれたアニメスタッフに感謝したい。以下、アニメ『かぐや様は告らせたい』感想記事より再掲。

ルイ・パスツールはこう言った。「幸運は準備された心に宿る」

この世に神様など居ない。奇跡も魔法も存在しない。だが、それでも、たった一人の人間が、かぐやの事を思い、もっとかぐやの事を知りたいと願い、そのために必死に努力して、準備を続けた時、今までの不幸なんてきれいさっぱり忘れてしまうくらいに最高の幸運が訪れる。そこには夏らしいロマンチックな思い出も、特別な舞台装置も必要ない。花火ですら必要ない。大好きな人と一緒に夏を過ごす、ただそれだけの事で、かぐやは救われていたのだから。

かぐや様は告らせたい』は、ラブコメでも恋愛頭脳戦でもない。これは、四宮かぐやという少女の心の救済の物語。そして、かぐやだけでなく、石上やその他の登場人物みんなが、誰かから救われ、誰かを救う物語だ。

『さらざんまい』、第11話、「つながりたいから、さらざんまい」

作品のテーマが凝縮した見事な最終話。『さらざんまい』は繋がりに満ち溢れたこの世界を美しいものとして描いているわけではない。その世界は、醜く、怖ろしく、苦しみに満ちている。それでも人は、繋がりの外では生きていてない、繋がりの外に行ってしまった人を救う事はできない、ということを描いている。スマホが普及し、ありとあらゆる人と物がつながった現代だからこそ光るテーマ。

『荒ぶる季節の乙女どもよ。』、第10話、「穴」

『荒ぶる季節の乙女どもよ。』が最高に笑えるのは、登場人物たちの言動がみんな痛々しいからである。大人から見ればどうでもいいような事にいちいち一喜一憂し、赤面し、慌てふためくその姿が、最高に面白い。でもそれは、彼女たちが真剣に思い悩み、どこまでも必死であったことの裏返しでもある。大好きなミロ先生を振り向かせようと策を練るも全て上手くいかず、嫉妬や劣等感やあらゆる感情が溢れ出してきて泣き出してしまう本郷ひと葉。痛々しさが一周回って感動へと昇華していく神回。

『グランベルム』、第7話、「ミス・ルサンチマン

まあ、見事としか言いようがない。そこには、普通のアニメでありがちな、ハートフルで穏やかなエンディングなど一片たりとも存在しない。アンナは、最後の最後まで改心などすることなく、新月を恨み、妬み、嫉妬と憎悪に身を焦がしたまま消えていく。以下、『グランベルム』第7話感想記事より引用。

この話を振り返る時、私は、どうすればアンナは救われたのだろうと考える。

確かに、アンナの置かれた境遇には同情できる余地がたくさんある。すぐそばに圧倒的な才能を持った新月がいて、新月ばかりが周りから期待され、嫉妬で気がおかしくなってしまうのも分かる。それでも、アンナの周りの人達はアンナを救おうとしていた。その人達から差し伸べられた手を振りほどき、闇に堕ちていったのは、他ならぬアンナ自身の意思だ。

人は、不幸な状況に陥ったとしても、誰かしらが救いの手を差し伸べてくれる。けれども、その手を振り払ってしまったら、もう誰もその人を救えない。そういう人を救うことはとても難しい。(中略)

我々の社会は、こういう人達を救うことができない。『グランベルム』という作品は、このどうしようもない現実を我々に突きつけてくる。

『女子高生の無駄づかい』、第7話、「やまい

もう始まる前から神回確定のヤマイのメイン回である。ヤバい恰好で所沢をうろついているのを筆頭に、予想を軽々と超えていくヤマイの痛々しさと、それに呆れつつも優しく接してくれるクラスメイトや大人の存在、もう全てが最高である。ギャグアニメとしての言葉のチョイスも素晴らしくて、例えば、「頑張るんだよ!座敷わらしの子!」「汚れたビーチの詰め合わせ」「日照権で地元とモメて建設予定がずれ込んだ」、よくもまあ、こんな神ワードを次々思いつくものである(観てない人にとってはさっぱり分からないだろうが)。

『八十亀ちゃんかんさつにっき』、第6話、「スガキヤいこみゃあ」

名古屋と言えば決して外すことのできないスガキヤ回。普段はバリバリの名古屋弁なのにメールでは標準語な八十亀ちゃんなど、名古屋あるあるネタに留まらない味わい深さが出てきていて、しかもそれを上手く5分アニメの中にまとめていく手法はグッとくるものがある。

からかい上手の高木さん2』、第11話、「歩数」「花火」「お土産」「約束」

いつも西片に対して本心を見せない高木さんが、珍しく声を弾ませて「これも!」「これも!」とか言いながら缶ジュースを渡していく場面はいつ見ても惚れ惚れする美しさ。二人の関係が変わっていないようで少しずつ変わっていってるという事がよく分かる。

『ノー・ガンズ・ライフ』、第1話、「暴走拡張者」

原作も読んでないし事前情報もほとんど知らない状態で見た第1話だったが、完全に引き込まれた。頭が丸ごと銃に改造されたシュールな光景と、ハードボイルドな世界観の融合。全体的に薄暗い画面に、銃の光沢が実に映える。

『星合の空』、第5話

眞己と母親が住む新居へ、父親が金をせびりにやってくる。薄暗い廊下。不気味に軋むドア。視聴者まで恐怖を覚えるような中井和哉の名演。部屋の奥から現れた柊真が札束を投げつけ、「これ以上眞己を苦しめるなら俺がお前を殺す」と迫る。

それはもちろんベストな選択ではない。第一、柊真のやり方では問題の根本的な解決にはならない。それでも、大人の持つ力や狡猾さを前にしてあまりにも無力な中学生が、必死に考え出した唯一の道。

父親が出て行ったあと、何度も「ありがとう」と言いながら柊真に抱きつく眞己。柊真の優しい声。服が擦れ合う音。夕日に照らされながら流れ落ちる雨。

二人の間にあるもの、それは、「愛」と呼ぶ他ない。かけがえのない大切な人を救いたい、その気持ちに性別など関係あるだろうか。美しい…。ただ、ただ、すべてが美しいとしか言いようのない神回。

『戦×恋』、第9話、「触る乙女と触られる乙女」

  • 脚本:兵頭一歩
  • 絵コンテ:西田正義
  • 演出:浅見松雄
  • 作画監督:Kwon Oh sik、Jeong Yeon soon、Ahn Hyo jeong、Lim Keun soo
  • 総作画監督:立石聖、小林利充

第9話までほとんど登場することなく秘密のベールに包まれていた早乙女家長女・一千花が、ようやく第9話にして本領発揮。その実態は、なんと、全身敏感肌のシスコンぽんこつキャラだった! このアニメに理屈や整合性は不要。ただただ、お風呂場で感じてしまった一千花姉様のあられもないお姿を堪能するのみ! 毎クールに最低1作はこういうアニメをやってほしいものだ。