新・怖いくらいに青い空

アニメ・マンガ・ライトノベル考察

アニメ『平家物語』感想

古典としての『平家物語』を聞きかじった人間は、ともすれば『平家物語』の中に道徳的な教訓、例えば「驕り高ぶりは身を亡ぼす」的なものを連想しがちである。しかし、山田尚子監督がインタビューで「叙事詩ではなく叙情詩としての『平家物語』を描いた」と述べていたように(TVアニメ「平家物語」監督:山田尚子インタビュー〈前編〉 - YouTube)、原作がうまく再構築され人間ドラマとしての側面を浮き上がらせたアニメ化だったと思う。

本アニメでは平清盛の孫にあたる維盛や資盛がクローズアップされるわけだが、よく知られているように平家は清盛やその父の代で多くの武勲を上げ、貴族を凌駕するほどの権力を得るが、子や孫の代になると次第に貴族化し力を失っていく。なので平家の一門は、清盛の権力を笠に着てオラついてる奴とか、血筋は良いけど戦はできない無能、みたいな描かれ方をされがちである。

実際、資盛は平家の驕りの始まりとされる殿下乗合事件を引き起こし、維盛は富士川の戦いで鳥の羽音に驚いて逃走するなど、平家滅亡の戦犯であることは否めない。それでも、アニメが進んでいくうちに、彼らのことが愛おしく思うようになってくる。決して完璧な人物ではないが何故か憎めない、時代に翻弄されながらも懸命に生きた一人の人間として浮かび上がってくる。

そして、それは作中でなくなった全ての人々に向けての鎮魂の物語という意味合いを持つようになる。ただ祈る事、語り継ぐ事こそが、最大の供養であり鎮魂。またそれは、定型化された文章としてだけでなく、琵琶法師が声によって何百年も連綿と語り継いでいったことで、鎮魂の物語として完成したと言っても過言ではない。まるで人々の間に伝播するミームのように、能や歌舞伎やアニメといった当時最先端の表現技法も取り入れながら代々受け継がれたことが、この物語を唯一無二の存在として成立させているように思う。

そういう意味で言えば、平家物語はこれからもずっと、その時々の最先端のクリエイターによって多種多様に語り継がれ、それによって根底にある鎮魂という役割を果たし続ける物語なのだと言えるだろう。