新・怖いくらいに青い空

アニメ・マンガ・ライトノベル考察

『ダーリン・イン・ザ・フランキス』総評

第18話、ついに自分の気持ちを打ち明けたイクノに、イチゴが優しく語り掛ける。

私たち、みんなめんどくさいんだよ。でもさ、それで良いかなって最近思い始めてきてるんだ。もしかしたら、こういうのの積み重ねが、生きてるっていうことなんじゃないかなって気がして。
(『ダーリン・イン・ザ・フランキス』、第18話より)

結局、本作のテーマはこの言葉に集約されていたように思う。

人間をはじめとする多くの生物が、有性生殖という「めんどくさい」仕組みを使っているのは何故か。それは有性生殖が、遺伝子の多様性を増し、環境の変化に対応して生き残るために必要不可欠な仕組みだからだ。

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グレンラガンキルラキルも、突き詰めれば同じテーマに行きつく。一見不合理で不必要に見えるものこそが、実はもっとも合理的で、そして強い。

それは、現代の人間社会にも言えることではないだろうか。あらゆる分野において「合理化」が徹底的に追及される世の中で、私たちは気付かないうちに、人として、生物として、とても大切なものを失ってしまうかもしれない。

例えば、エネルギー問題。今ある資本主義経済を回すことだけを考えれば、化石燃料をバンバン燃やし、原発を動かして、安く電気を作ればいい。しかし、将来のことを考えるなら、本当にそれが正しい選択と言えるのだろうか。化石燃料はいつか枯渇する。原発は事故が起こってしまうと取り返しがつかない。だからこそ、今は効率が悪いと言われていても、より環境に優しく枯渇しないエネルギーに投資していくことが重要になる。

安倍政権が再生可能エネルギーへの投資に消極的なのは、それが完全に「未来」のための政策であり、現在の日本経済には基本的に何の貢献もしない、むしろマイナスになるからである。彼らは、目先の好景気や株価の上昇でしか支持者の心を繋ぎ止めることが出来ない、という事実をよく理解しているから、自然エネルギーのような「非効率的」なものには見向きもしないのだ。

最終回、地球に残ったコドモ達がマグマ燃料をもう使わないという選択をしたのは、実に示唆的だと思う。マグマ燃料は叫竜人が姿を変えてできたものだとされているが、現実の化石燃料も大昔の生物が変性してできるものだからだ。

そして、このような大胆な転換が可能だったのも、彼らが他の何物にも染まらない、真に未来を見据えて行動することのできる子どもだったからだろう。

現実世界を生きる我々なら、たとえ大人であっても、子どものことを思い、子どもの心を忘れることなく行動することができるはずだ。地球上でもっとも理性的で、未来を予測する能力に長けたヒトという生物だからこそ、それが可能であると信じたい。

進化生物学には「幼形進化」という概念がある。進化した生物はその祖先となる生物の幼体に似ているという。例えば、ホヤの幼体は原始的な脊椎動物に似ている。そして、チンパンジーの子どもはヒトに驚くほどよく似ている。

我々ヒトもまた、サルから進化した「コドモ」なのかもしれない。

『がっこうぐらし!』第10巻は、嘘と欺瞞に満ちた日本の就職活動のメタファーである

ゾンビがうごめく高校での生活は、現実の学校生活のメタファーである。子どもという存在は、冗談ではなく本当に、学校という地獄の中で命がけで戦っている。そこで生き残った者だけが大人になる。

そんな『がっこうぐらし!』も、第5巻で高校を「卒業」し、第6巻からは大学編がスタート。さらに第10巻からは、胡桃ひいては人類を救う手がかりを求めてランダル・コーポレーションへと突入します。

そこで見つけた謎のスマートフォンを使って外部との通信に成功。しかし、数日後に救援部隊を送るという相手の言葉は実は全くの嘘で、由紀達は一転して大ピンチに陥ります。地下へ逃げるか、胡桃を犠牲にするか、究極の取捨選択を迫られる中で由紀は「わたしらしさって何?」と思い悩みます。

もうお分かりでしょう。作中の描写になぞらえて言うならば、要するにこういうことです。

  • 「弊社は出身校や容姿で採用を決めたりはいたしません。面接では一人ひとりの長所や個性を引き出すように努めます」→嘘の可能性74%
  • 「弊社は福利厚生がとても充実していて女性でも働きやすい会社です」→嘘の可能性78%
  • 「今後のご健闘をお祈り申し上げます」→嘘の可能性95%

もはや学校暮らしすらしなくなった『がっこうぐらし!』第10巻に描かれているのは、まさに、嘘と欺瞞に満ちた日本の就職活動です! 学校も地獄だったけど、ある意味それ以上にもっと地獄で、理不尽で、クソッタレな社会の中に、由紀達は足を踏み入れようとしているのです。

そのように考えると、由紀達が謎のスマホアプリを頼りに行動している様は、リクナビマイナビみん就などに踊らされる就活生のメタファーのようにも見えますよね。

一番象徴的だったのが、学園生活部4人がいよいよランダルの中枢へと潜入していくシーン。「やっぱリクルートスーツとかいるかな?」と不安がる由紀を、胡桃が「学生服は冠婚葬祭何に着てってもいい最強のフォーマルなんだぞ」と励まし、4人は胸を張って扉を開けます。

キルラキル』風に言うならば、制服は、征服に通じるもの、支配や強制のメタファー、ゾンビがうごめくあの地獄の学園生活の象徴です。それでも、由紀達は誇りを持ってその制服に袖を通し、社会の中へ足を踏み入れていくわけです。

確かに学校は地獄だったかもしれない。でも、そこが自分たちの原点であることは一生変わらない。そこで学んだことはずっと自分の中に残り続けるし、そこで得た繋がりはずっと続いていく。それは、寄る辺のない現代社会を生きる私達に残された、数少ない灯台のような存在なのかもしれない。

のぞみぞ概念

生まれて初めて同じ映画を2度映画館で見た。原作を読むだけでは全然理解できなかったのに、映画を観て、ツイッターやブログで多くの人の感想を見て、再び映画を観ると、自分の中でようやく「のぞみぞ概念」が確固としてきました。

希美とみぞれが2年生の頃のエピソード『響け! ユーフォニアム 2 北宇治高校吹奏楽部のいちばん熱い夏』において、希美とみぞれの関係性を簡潔に言い表すなら「温度差」、「みぞれ→希美」という一方通行の矢印ということに尽きます。みぞれは希美のことが大好きすぎてやばいことになってるけど、希美はそのことに全然気づかない、という熱量の差、この残酷な関係性(+なかよし川のイチャイチャバカップルっぷり)を見せつけられて「ああ~~~~~~~~~~~尊すぎるんじゃ~~~~~~~~~~」ってなるのが2年生までのお話。

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一方、『響け! ユーフォニアム 北宇治高校吹奏楽部、波乱の第二楽章』と『リズと青い鳥』は、「みぞれ→希美」という一方通行性が徐々に打ち消されていく過程が描かれます。ここで、「希美→みぞれ」という方向の矢印は、音楽の才能についての嫉妬や劣等感という形で表出してきます。そして、「希美→みぞれ」という矢印についての具体的な内容が明らかになっていきます。すると、希美の行動の意味ががらりと変わって、読者・観客に戦慄が走ります。要するに、希美はみぞれの気持ちを分かってなくてああいう行動をしているのではなくて、作中における彼女の行動すべてが「みぞれへの嫉妬」という感情から出発しているのですよ!

もちろん希美は別にフルートの能力が低いというわけではないし、みぞれと一緒にソロパートを任されるくらい実力はある。でも、みぞれには天性の才能があって、音大への進学を勧められるくらい周りから期待されている。対する自分は、音大に行くのは実力的にも経済的にも厳しい感じだし、新山先生に相談しても塩対応で見向きもされない…。こういう状況で、みぞれに対する劣等感をどんどん募らせてるのが希美なわけです。

そして、ここからが非常に重要なところなのですが、こんなふうに音楽の実力について日ごろ劣等感を感じている相手だからこそ、音楽以外の部分ではみぞれより優位に立ちたいし、みぞれに頼られたいと思ってしまうんですよ! 具体的に言うと、友人関係とか、社交性とか。自分、友達いっぱいいますよ、後輩からメッチャ慕われてますよ、ってことを事あるごとにみぞれに見せびらかして、「みぞれには私しかいないけど、私には他にも友人がたくさんいる」っていう状況にすごい優越感を覚えているのが、傘木希美という女なんです!

例えば、放課後に後輩とファミレスに行くとか、あがた祭に誰と行くかとか。「みぞれは他に誘いたい子いる?」って聞いてからの「そっか」には、絶対「だよね、だよね~、みぞれには誘いたい子とかいないよね~」っていう心の声が内包されてますよね(誤解無きように言っておきますが、これは私がこの記事で勝手に妄想してることじゃなくて、希美を演じた東山奈央さんが記事の中で言ってることです)。しかも、先にみぞれを誘って喜ばせた後に、追加で優子・夏紀を誘うという腹黒さ。その時の表情をあえて観客に見せないという演出もまたすごい。

しかも、みぞれって基本的にコミュ障なんで、希美がいろいろ立ち回ってみぞれを助けたりしていて、それに対しても希美は優越感を感じてるんですよ。鎧塚先輩と仲良くなりたいという剣崎さんの相談にのってあげた時も、内心ではたぶん「みぞれがパート内でうまくいくように口添えしてやったぞ(ドヤ顔)」みたいな気持ちなんですよ。図書館で怒られて困ってたみぞれを助けてあげた時も、めっちゃニコニコしてましたよね。

なお、以上で挙げたようなことは、すでに下記の記事やつぶやきで多くの人が指摘していることです。

話は変わりますが、夏目漱石の『こころ』が100分de名著に取り上げられた時、何で先生はKを自分の下宿に招き入れたのかって質問に、姜尚中氏が「先生は『俺の方がお前より世故に長けてる』って見せびらかしたかったんじゃないか」と言っていたのですが、これがまさに希美がみぞれに対して抱いてる感情ですよ!

夏目漱石という作家は本当に偉大だと思います。100年以上も前にのぞみぞの本質を見抜いていたのですから。

さて、前半は完全に希美が余裕しゃくしゃくな感じですが、物語が進むにつれて徐々に優位性が崩れ、希美は焦り始めます。まず、みぞれが新山先生から音大のパンフレットを貰ったこと。そして、みぞれが予想以上に剣崎さんと仲良くなって、自分からプールに誘いたいとか言い出したこと。言い出した瞬間に希美とみぞれの間に他人が通り、希美の表情がみぞれからも観客からも分からないようになっていたのは、本当に秀逸な演出だと思います。

こういう事を書くと、私が希美の悪口を言ってるとか、希美アンチだとか勘違いする人もいるんですが、全然そんなことないんですよね。はっきり言って、他人から良く思われたいとか、他人より優位に立ちたいとか、自分より優れている人と対等だと思われたいとか、そういう感情を一度も持ったことない人ってこの世にいるんですかね? 私は、そういう感情を抱いてしまう人間臭さもひっくるめて、希美というキャラクターが大好きなのです。

また話は逸れますが、希美と同じような経過をたどっていくキャラクターとして、『宇宙よりも遠い場所』のめぐっちゃん(高橋めぐみ)が挙げられると思います。彼女もやはり「自分はコイツより上だ」って思ってたからこそ、キマリ達が南極行くと分かってあれだけ取り乱してるわけです。第5話で絶交しようとか言い出すのは、勝ち目がなくなった後で繰り出した最後の悪あがきってやつですよ。

物語中盤にみぞれが、青い鳥を逃がすリズの気持ちが分からない、私なら逃げないようにずっと鳥籠に閉じ込めておく、と言ってるけど、本当に青い鳥を鳥籠に閉じ込めておきたかったのは、他でもない希美なんです。絵本パートのラスト、リズとシンクロするように希美がつぶやくのは「神様、どうして私に籠の開け方を教えたのですか」という台詞。みぞれを逃がしたくない…。私のことが大好きなみぞれ、ずっと後ろをついてきてくれるみぞれでいてほしい…。もうこの時点になると、「みぞれ→希美」という矢印が完全に逆転して、希美はみぞれに強い執着を見せるようになるわけです。

では何故、希美はみぞれを鳥籠から放つと決めたのか? それはやはり、希美の中には、「みぞれはずるいよ」と思ってしまう感情と同時に、みぞれに大空を羽ばたいてほしいと願う気持ちもあったからでしょう。希美やみぞれは青い鳥ではなく、『よだかの星』に出てくるよだかのような人だと思う。よだかは繊細すぎるがゆえに、誰かを殺さなければ生きていけないという自然の摂理、殺生の輪廻の中で生きることに耐えられなくなります。そしてこう嘆きます。「ああ、つらい、つらい。僕はもう虫をたべないで餓えて死のう。」 人もまた、あまりにも繊細すぎると、自分の中にある黒い感情が許せなくなるのだと思う。だからこそ、みぞれは希美に執着してしまう自分自身が気持ち悪いと言うし、希美は自分のことを「軽蔑されるべき」人間だと言います。

ハグのシーンについても、すでに東山奈央さん始め多くの人が指摘していますが、希美が本当に言ってほしかった言葉は「希美のフルートが好き」なんですよね。でも、みぞれは希美のいろんなところを好きだと言うけどフルートが好きだとは最後まで言わない。だから、希美の「ありがとう」には「もう結構です」の意味も込められています。それでも、希美は嬉しかったと思います。こんなちっぽけで、才能もない、「軽蔑されるべき」人間のことを、こんなにも愛してくれる親友がいるということに気付けて、希美は嬉しかったのだと思います。(ていうか、そうじゃないと救いが無さ過ぎる。)

しかし、希美はみぞれと違って陰キャじゃないので、みぞれが何故こんなにも深く自分を愛してくれるのかとか、希美が退部したことでどれだけみぞれが傷付いたかとか、実際のところよく分かってない。一方で、みぞれは希美と違って天才なので、希美の気持ちをあまり理解できてない感じです。もちろん希美は「みぞれはずるいよ」と言っていますが、それを聞いてみぞれが理解できたのは本当に表面的な部分だけだと思う。結局、ここに至ってもまだ2人は完全には理解し合えていないんですよね。

だがしかし、それでも2人は、この出来事を通して唯一無二の関係になる。たとえ完璧には理解し合えなくても、お互いに惹かれ合っていく。進む道は別々でも、2人の人生はこれからも時々重なり合う。これこそが「のぞみぞ概念」なわけです。

リズと青い鳥』は転換の物語でもあります。2人の関係性の転換。リズ=みぞれ、青い鳥=希美、という関係性の転換。ここで私は、物語が最後にもう一度転換した可能性について考えてみたい。表向きには「実はみぞれは青い鳥だった」と言われているけれども、実はみぞれはやっぱりリズなのではないか、という可能性。みぞれは、圧倒的な音楽の才能と、希美への強烈な愛によって、希美の心にみぞれという存在を深く刻み込んだのだ。これによって希美にとって唯一無二の青春の思い出は、完全にみぞれと切っても切り離せないものとなった。みぞれは無自覚のうちに、希美を鳥籠に閉じ込めていたのだ! みぞれ…怖ろしい子!

こうして、物語は一巡し、また同じ曲が始まるのです。

ブラタモリ用語辞典

(2018年5月27日 初版投稿) ※用語が増えたらその都度改定していく予定。

岩石

安山岩【あんざんがん】 マグマが地上で急激に冷えて固まってできる岩石の一種。こんぴらさん、萩の回で登場。硬く風化しにくいという特徴があり、建材としてよく利用される。

花崗岩【かこうがん】 地下のマグマがゆっくり冷えてできる岩石の一種。白っぽく風化しやすいのが特徴。黒部ダムの周辺の山地、厳島神社のある宮島、こんぴらさん、平泉などは花崗岩からなる地形。京都・東山の枯山水は川底に溜まった花崗岩の小石や砂を使って作る。

軽石【かるいし】 マグマに含まれる水などが発砲してできる多孔質の石。軽井沢の語源は軽石沢であるという説もある。

凝灰岩【ぎょうかいがん】 火山灰が堆積してできる岩石。室蘭の銀屏風、鎌倉の鎌倉石など。高温の火山灰が溶融・接着したものは溶結凝灰岩と呼ばれ、鹿児島のたんたど石などが挙げられる。加工しやすく遮熱性に優れているため、建材として使われる(例えば、小樽の倉庫街)。

玄武岩【げんぶがん】 マグマが急激に冷えて固まってできる岩石の一種。秩父、伊豆の回で登場。硬くて風化しにくいため、城の石垣などによく用いられる。

砂岩【さがん】 海底に堆積した砂が固まってできた岩石。宮崎の観光名所「鬼の洗濯岩」は砂岩と泥岩が交互に重なってできたもの。

水冷破砕岩【すいれいはさいがん】 マグマが水で急激に冷やされてできた岩石。かつて噴火口があった場所でよく見られる。熱海、知床、室蘭の回で昔この場所に活火山があった痕跡として登場。

石灰岩【せっかいがん】 サンゴの死骸などが堆積してできる炭酸カルシウムを多く含む岩石。秩父首里城の回などで登場。

チャート【ちゃーと】 プランクトン(放散虫など)の死骸が堆積してできた岩石。嵐山、清水寺、岐阜の金華山などで見られる。

泥岩【でいがん】 海底に堆積した泥が固まってできた岩石。水を通しにくいという性質があり、水戸では江戸時代に水道の壁として利用された。

溶岩【ようがん】 火山から流れ出た岩石溶融物およびそれが冷えて固まった物。粘り気の少ないサラサラした溶岩をハワイ語パホイホイ、逆に粘り気の多い溶岩をアアと言う。前者はハワイ・キラウエア火山などの傾斜の緩やかな山を形成し、後者は昭和新山雲仙普賢岳などのゴツゴツしたお椀型の山を形成する。

天然の地形

海食崖【かいしょくがい】 大地が波によって削られてできる崖。小樽や長崎では、かつての海岸線の痕跡として海食崖が見られる。海食崖が階段状になっているものは海岸段丘と呼ぶ(函館などに見られる)。

河岸段丘【かがんだんきゅう】 河川が土地を削ってできる階段状の地形。仙台、沼田、伊勢神宮、水戸、秩父の回で登場。

カルデラ【かるでら】 巨大な火山の中央部が陥没してできた地形。箱根、十和田湖洞爺湖などに見られる。

汽水域【きすいいき】 河口付近に広がる真水と海水が混じり合っている領域。広島、宍道湖などで見られる。シジミ漁が盛ん。

砂丘【さきゅう】 風や潮によって運ばれてきた海の砂がたまってできる地形。新潟、福岡、萩は砂丘の上に発達した町である。

三角州【さんかくす】 河口付近に川から運ばれた土砂が堆積してできる地形。広島や萩は三角州の中に発展した町として有名。

自然堤防【しぜんていぼう】 洪水で運ばれた土砂が川からあふれ岸に堆積してできた地形。ブラタモリでは宝塚を流れる武庫川、大阪を流れる寝屋川などの自然堤防が登場した。

扇状地【せんじょうち】 河川が運んできた土砂が山間部と平地の境目に溜まってできる地形。水捌けが良く、小麦や茶の栽培に適している。扇状地の終端は水を得やすい。会津、別府、宇治、常願寺川土器川など、ブラタモリでも頻繁に登場する。

台地【だいち】 平地よりも一段高くなっている場所。水を得にくいという難点があるが、地盤が安定しており、水害に強いという特徴がある。水戸城名古屋城などは台地の地形を利用して建てられている。ブラタモリでは、大阪の上町台地、大宮台地、田園調布がある武蔵野台地などが登場。

台地のへり【だいち‐】 台地と平野部との境目。階段や高低差などの痕跡が残る。水を得やすいため古くから集落などが発達しやすい。台地のへりから水が湧き出した場所として、ブラタモリでは大宮氷川神社の湧水、熊本の健軍水源地などが登場。

断層【だんそう】 地震によって地層や地盤が割れてずれてできる地形。断層に沿ってできる崖のことを断層崖と呼ぶ。ブラタモリで特に頻出するワード。断層に沿って温泉が湧き出した例として道後温泉別府温泉が挙げられる。断層に沿って直線状に流れる河川として長瀞が登場。嵐山、清水寺、東山などの美しい風景と断層が密接に関わっていることも紹介された。

低湿地【ていしっち】 海岸や湖沼の近くに広がる低い土地。水捌けが悪く、水害が発生しやすい。

微高地【びこうち】 平坦な平地の中で周囲よりもわずかに高くなっている場所。洪水や津波の被害を受けにくく、街や集落が発達しやすい。

メサ【めさ】 スペイン語でテーブルという意味で、柔らかい地質の上に硬い地質が水平に乗ってできる台地のような地形。こんぴらさんのある象頭山は、花崗岩の上に安山岩が乗ったメサとも言える。

陸繋島【りくけいとう】 陸地と島の間に砂が堆積し半島のようになった地形。函館、江の島など。

人工の地形

暗渠【あんきょ】 地中に埋没された河川や用水路のこと。河川や用水路を暗渠化する理由としては、道路の拡張や都市の整備などが挙げられる。ぱっと見ただけでは川があるとは分からないが、石垣、橋、マンホール、道路の幅といった痕跡から暗渠であると分かる場合が多い。札幌、那覇、別府、清水寺、倉敷、宇治など、ブラタモリでは繰り返し登場する。

埋立地【うめたてち】 海を埋め立てて造られた土地。浦安、小樽、函館、江戸など、埋め立てによって拡大していった都市は多い。

運河【うんが】 船で物資を運ぶために作られた人口の川。新河岸川小樽運河、松山の中の川、名古屋の堀川、小名木川など。

干拓【かんたくち】 遠浅の海を堤防で仕切り、水を抜いて土地を造成することを干拓という。ブラタモリでは広島や倉敷の干拓地が登場。

河川の付替え【かせん‐つけか‐】 町の整備や洪水防止のために河川の流れを変えること。熊本の白川、彦根の芹川、神戸の湊川などが登場。

堤防【ていぼう】 洪水防止のために川沿いに盛り土をしたもの。現在は使われてなくても高低差などの痕跡が残る。

天井川【てんじょうがわ】 土砂の堆積と堤防の積み増しによって周囲よりも高い位置を流れるようになった川。神戸の旧湊川など。

土塁【どるい】 城や城下町を守るために築かれた土手。小田原の総構、熊本の船場山など。

用水路【ようすいろ】 生活用水や農業用水の確保のために作られた人口の川。今も昔も都市の発展のために何よりも大切なのは水の確保であり、ブラタモリでも多くの回で用水路が登場する。金沢の辰巳用水、仙台の四ツ谷用水、小田原用水、会津の戸ノ口用水、琵琶湖疎水、玉川上水、三田用水など。熊本の馬場楠井手には鼻ぐり井手と呼ばれる火山灰の堆積を防止する仕掛けがある。

建造物

石垣【いしがき】 ブラタモリでは用水路、橋、船着き場、城などの痕跡としてよく出てくる。石の種類や積み方も、時代や地域によって特徴が異なる。

温泉街【おんせんがい】 ブラタモリではこれまでに、熱海、道後温泉、別府、箱根、有馬温泉が登場。宝塚など、かつて温泉街として栄えた町も登場した。

街道【かいどう】 江戸時代以前から続く陸上交通の要となる道路。江戸時代には日本橋を起点として延びる五街道が整備された。特に、江戸と京を結ぶ街道として東海道が有名だが、河川の氾濫などによる足止めを避けるために、東海道の代わりに中山道を選ぶ者も多かった。

カギ状の道路【かぎじょう‐どうろ】 城下町などでは、敵の侵入を防ぐためにあえて道をクランク状に曲げている場合がある。会津、松山などの回で登場。大宮では、街道での出会い頭の事故を防止するためにあえて十字路を作らず、道をカギ状に交差させた例が見られる。

碁盤の目状の町割り【ごばん‐めじょう‐まちわ‐】 街を効率よく整備するために道路を等間隔に配置し、直角に交わらせるような街割りをする場合がある。このような街として京都が有名だが、大阪、名古屋、札幌などでも見られる。

宿場町【しゅくばまち】 街道沿いにはかつて宿場として栄えた宿場町が点在する。ブラタモリで登場する箱根・小田原・熱田宿は東海道の宿場町であり、大宮宿・坂本宿・軽井沢宿は中山道の宿場町である。

【とうげ】 山越えの道で最も標高が高く険しい場所で、古くから交通の難所とされた。明治以降にトンネル等が整備され、往来が容易になった。ブラタモリでは箱根、碓氷峠天城峠が登場。

細長い敷地【ほそなが‐しきち】 江戸時代、全ての家が通りに面するようにするため、あるいは、間口の広さによって税金が決められていたため、家の敷地が道と垂直方向に細長に伸びた長屋が数多く作られた。今でも城下町や門前町でよく見られる。吉祥寺、軽井沢などにも見られる。その他、函館では、海に面する屋敷が海側を埋め立てて増築した結果、細長くなった家がある。

【みなと】 船が停泊して積み荷の揚げ降ろしをする場所。波が穏やかで、船が停泊するために十分な水深があり、港町が発達しやすい平地がある、といった条件の場所に作られる。江戸時代以前は陸運が未発達であり、港町は交通の要衝として古くから発達していた。長崎、横須賀、神戸、室蘭などが典型。

門前町【もんぜんまち】 大きな寺社仏閣の参道に発達した町。伊勢、こんぴらさん、出雲などに見られる。参拝客が泊まる宿があるだけでなく、遊郭や劇場など、娯楽施設が立ち並んでいることも多い。

その他の用語

温泉番付【おんせんばんづけ】 江戸時代、人気の温泉地を相撲の番付に見立ててランク付けしたもの。今で例えるなら、2ちゃんねるの「打線組んだ」スレみたいなものである。有馬温泉大関別府温泉は前頭六枚目、熱海温泉は行司(ランキングに入らない別格の温泉)という位置づけになっていた。

高低差【こうていさ】 ブラタモリの町歩きは高低差を探すのが基本中の基本。高低差ができる要因は様々で谷・台地・断層・河川・海岸線の跡など自然の地形に由来するものもあれば、堤防・堀・土塁など人工物に由来するものもある。谷筋や尾根筋に道が通っている場合、道の両側が盛り上がったり低くなったりして見える。

節理【せつり】 岩の割れ目のこと。特に、溶岩が冷えて収縮する時にできる割れ目を指す場合が多い。宮島、長瀞の回で登場。柱状にのびた岩の割れ目は柱状節理と呼ばれ、知床、十和田湖、伊豆の回で登場。

鉄道と町の発展【てつどう‐まち‐はってん】 江戸時代以前から参拝客等で賑わっていた場所が、明治以降、鉄道が開通することによってさらに身近な観光地として発展するケースがよく見られる。香川県こんぴらさん出雲大社、高尾山、伊勢神宮など。

天領【てんりょう】 徳川幕府直轄の領地。交通の要衝や重要な農作物の産地など、幕府が手厚く保護したい地域が天領となった。長崎、倉敷、宇治など。

不自然なカーブ【ふしぜん‐かーぶ】 高低差と並び、ブラタモリの町歩きで基本となるもの。カーブができる理由は、かつての河川の後だったり、元からあった建造物等を避けるためだったり、様々である。軽井沢や田園調布のように、景観を良くするために意図的に道を半円状に曲げている場合もある。

湧水【わきみず】 台地のへり、扇状地の末端、水を通しやすい地層と通しにくい地層との境目、などに見られる。湧き水が湧く場所は水を得やすいため、古くから町や田畑が発達している場合が多い。地下を通って湧き出てくるため、河川の水よりも水質が良く、年間を通して水温が安定しているという特徴がある。

『天元突破グレンラガン』『キルラキル』から『ダーリン・イン・ザ・フランキス』へ

ダーリン・イン・ザ・フランキス』第17話

自分たちが生きた証を未来に残すために子どもを作りたいと言ったココロに、9'αが「君…気持ち悪いよ」と吐き捨てる。

まったく下らない。生殖機能なんてものは人間が進化の過程で捨ててきたものだよ? それを否定したらみんな男と女、どちらかの性別にまた縛り付けられちゃうじゃないか。君たちだって普段考えるだろう? 男と女なんて、フランクスを動かす為だけに必要なめんどくさい仕組み…それだけのことさ。

この発言にキレたイクノが9'αを引っぱたく。9'αは続けてこう言う。

そうやって感情に支配されちゃうような性質も人間は捨ててきたんだ。生きる上でとことん要らない部分だからね。なのに君たちと来たら…

いよいよダリフラの根幹にあるテーマが見えてきました。これは本作だけでなく、同じトリガー製作のアニメ『キルラキル』、また、本作製作スタッフの多くが関わった『天元突破グレンラガン』とも共通するテーマです。

グレンラガンにおけるアンチ・スパイラル、キルラキルにおける生命戦維、ダリフラにおけるオトナ。これらの作品において敵は、生存のために無駄なものをそぎ落として洗練、合理化された存在として描かれます。それに対して、主人公サイドは、一見すると無駄とも思える様々な要素から構成され、多様性に満ちています。実はこの多様性こそが、生命の進化にとって、人類の進歩と発展にとって極めて重要なものである、と高らかに謳い上げるのがこの3作品です。

グレンラガンキルラキル

アンチ・スパイラルは、際限のない進化の先に待ち受ける破滅(スパイラル・メネシス)を防ぐために、自らの進化を止めてしまった種族として描かれます。このスパイラル・メネシスは言うまでもなく、現実社会の言葉に直すなら、迫りくる地球温暖化と資源枯渇、人口爆発とそれに起因する飢餓・戦争ということに尽きますよね。主人公・シモン達はそれでもなお、自らの進化を止める事なく、人類の可能性を信じて前に進み続けようと誓います。作中の「ドリル」「螺旋」は、DNAの二重らせん構造、さらには人類の進化と進歩のメタファーです。

そして、キルラキルに出てくる生命戦維とは、要するに利己的遺伝子のことです。リチャード・ドーキンスは著書『利己的な遺伝子』の中で、生命とは遺伝子が次世代に情報を伝達するためのヴィークル(乗り物)なのだと述べました。地球の海の中かあるいは宇宙空間かは分からないけど、最初に自らのコピーを作り出す能力を持った物質(自己複製子)が生まれた。それらの分子の中で、化学的に不安定であったり、自己複製能力が弱い分子は淘汰され、より安定で複製能力の高い分子が残っていった。さらに、様々な刺激から身を守るための有機物(脂質やタンパク質)の膜を持つ自己複製子が現れた。また、自らの生存に有利になるように他の自己複製子を攻撃するものも現れた。このような事が繰り返し起こり、よりたくさんのコピーを作り出せる自己複製子だけが生存競争に打ち勝ち、次世代に引き継がれてた。このようにして、自己複製子とその周りの有機物から成る複合体は、どんどん巨大で複雑なものになっていった。それこそが、今日「生命」と呼ばれているものです。生命とは、本質的に、利己的遺伝子に着られる服です。しかし、人間は地球上で唯一、この利己的遺伝子に反逆することができる生命です。それは、人間が進化の過程で理性を獲得し、「なんだかよく分からないもの」になったからです。

これまで生物は何億年もの間、遺伝子の生存と複製に有利になる行動を「合理的な行動」として選択してきた。それはすなわち、自らの身を守り、他の生物を殺して食べ、生殖して子どもを産むことだ。しかし、理性を獲得した人類は、以上のような合理的行動にとどまらない、ありとあらゆる「わけの分からない」行動を取れるようになった。遺伝子から着られる存在でしかなかった人間は、長い進化の末に自らの存在理由を見いだし、遺伝子を上手く着こなす存在になったのだ!
この壮大な人間賛歌の物語に隠されたメッセージがあるとすれば、我々は人間社会の持つ「わけの分からなさ」を許容する存在であるべきだということに尽きるだろう。それは「多様性」という言葉に置き換えてもいい。人間社会は多様性に満ちているからこそ美しく、また、強いのだ。
『キルラキル』と『利己的な遺伝子』(その2)―遺伝子に「着られる存在」から「着こなす存在」へ - 新・怖いくらいに青い空より引用)

ダリフラと染色体

このようにグレンラガンキルラキルにはDNAや遺伝子に関するモチーフがたくさん出てくるわけですが、ダリフラにも似たようなモチーフが出てきます。それは染色体とその相同組み換えです。

例えば、ヒロ達が着ている制服に付いているXとYの形をした模様は、言うまでもなく人間の性染色体のメタファーです。ステイメン(おしべ)やピスティル(めしべ)という作中用語に代表されるような生殖のメタファーも頻出します。そして、タイトルロゴの赤色と青色のXが混じり合っている図形。これらはすでに多くの記事で指摘されています。

 (順不同)

特に、タイトルロゴのXXは、生殖細胞減数分裂する時に起こる相同組み換えを模しているように見えます。具体的には、組み換えの過程で見られるホリデイ構造と呼ばれるDNA高次構造を表しています。

この相同組み換えによる遺伝子のシャッフルこそが、人間(に限らず有性生殖を行う全ての生命)における遺伝的多様性の源泉です。

有性生殖をする生き物の場合、母親由来の染色体に乗っている遺伝子セットと、父親由来の染色体に乗っている遺伝子セットを持っており、これが相同組み換えによってランダムにシャッフルされるため、生じる配偶子には事実上無限の組み合わせで各遺伝子が乗っていることになります。また、染色体が2セットあるという事は、どちらかの染色体上の遺伝子が生存に不利な変異を受けても、もう一方の染色体上の遺伝子がカバーすることができるので、結果的に多様な遺伝子が淘汰されずに受け継がれるということになります。

他にも様々な利点が有性生殖にはあって、例えば、生物のある特徴Xを決定づける遺伝子としてA、B、Cの3種類があり、それらを別々の個体が1個ずつ持っていると仮定しましょう。無性生殖では、それらがいっぺんに揃って特徴Xが現われることは、極めて確率が低いことです。しかし、有性生殖なら、別々の個体の染色体にA、B、Cをそれぞれプールしておくことができれば、ある一定の確率でそれら3つが揃う個体が出現してきます。つまり、突然環境が変わって特徴Xが必要になった時に、臨機応変に対応できるのは有性生殖の方なのです。

さらに、生物の置かれた環境が変わって、生存に不利な遺伝子が逆に有利な遺伝子に変わったと仮定しましょう。その時、無性生殖では、その遺伝子を持つ個体の子孫にしかその遺伝子は受け継がれません。一方、有性生殖では2体の個体が生殖に関わり、それが何世代にもわたって続くため、有利な遺伝子がその生物種全体に広がるスピードは、無性生殖よりも圧倒的に早いということが分かるでしょう。

つまり、有性生殖という手段は生物にとって、

  • 生存に不利な遺伝子の変異に強くなる
  • 集団内に多様な遺伝子をプールできる
  • 生存に有利な遺伝子をいち早く伝播させることができる

というメリットがあると言えるでしょう。

進化と多様性

ここで、そもそも進化とはどういうものなのか、説明しておいた方がいいでしょう。結局のところ、進化とは次の3つの原理から成るものです。

まず第一に、生物の持つ特徴は遺伝情報という形でコピーされ次世代に受け継がれます。この時、そのコピー精度は極めて高く、生物の情報はほぼ完璧に子へと伝播されます。ライオンが突然シカを産んだり、ニワトリの卵からカエルが生まれてきたりしないのは、遺伝情報のコピー精度が極めて高いからです。

しかしそうは言っても、ごくごくまれにミスが生じて、遺伝子情報が変化する場合があります。ミスの発生確率は極めて低いのですが、生物が持つDNAの量は膨大なので、子と親の遺伝子にはわずかですが違いが見られることになります。例えば、灰色の羽をもつ虫から、若干黒よりの灰色とか、若干白よりの灰色とか、いろんなバリエーションを持つ子どもが生まれることになります。つまり、世代が変わることで遺伝情報は「発散」し、多様性が増すことになります。これが第二の原理です。

そして第三に、この地球上では生物が生きていくために必要な資源に限りがあるため、その資源を巡って生物間で生存競争が行われる、ということが挙げられます。上の原理により遺伝情報に多様性が増しても、生存に不利な遺伝子は淘汰され、多様性は喪失します。これは遺伝情報の「収束」と言い換えることができるでしょう。

この「発散」と「収束」を繰り返しながら、より生存に適した遺伝子が生まれ、それが次世代に受け継がれるというのが進化の概要です。では、この進化において有性生殖は、どういう点で無性生殖よりも優れているでしょうか。

まず「発散」について。無性生殖の場合、この発散は完全に偶然頼みということになります。紫外線だが化学物質だか分からないけれど、とにかく何らかの原因によって遺伝子が変異するのを待たなければなりません。有性生殖の場合も、遺伝子の変異自体は偶然頼みなのですが、過去に起きた変異をプールしておくことができ、かつ、その変異を相同組み換えによってシャッフルすることができるので、効率的に「発散」を行うことが可能になります。

そして「収束」についてですが、これは環境変化があった場合を考えてみれば分かりやすいでしょう。生存に有利な遺伝子のみが生き残るという収束の作用は、突き詰めれば、最も生存に適した一種類あるいは僅か数種類の遺伝子しか生き残らないということになり、遺伝子の多様性は著しく低下します。このような状態で地球環境の劇的な変化が起こると、生物種はその環境変化に対応できずに絶滅してしまう可能性が高まります。有性生殖では、上の特徴Xの例で説明したように、多様な遺伝子を集団内にプールすることができ、さらに、後にそれらの遺伝子のどれかが必要になった時に、それを集団全体に効率よく伝播させることができるので、絶滅を回避できる可能性が上がります。

まとめ

以上をまとめると、有性生殖は、進化における「発散」の作用を促進する起爆剤となり、「収束」の作用の行き過ぎを抑制する緩衝材となるのです。そのように考えれば、9'αが行ってる事がいかにトンチンカンで的外れな事かが分かると思います。

確かに、男と女がいなければ子孫を残せないという仕組みは、「めんどくさい仕組み」に見えます。キルラキル風に言えば「なんだかよく分からないもの」に見えます。しかし、この面倒くさくてよく分からないものが、生物の進化において決定的に重要だったからこそ、我々は今もなおこの手段を使い続けているわけです。

さて、進化生物学の知見をそのまま人間や人間社会に適用するのは少々乱暴である事は承知の上で、あえて教訓めいたことを言うとすれば、それは「社会を持続可能なものにするために多様性というものが極めて重要である」ということが言えるでしょう。

自民党一強の時代が続く中で、多様性というものがどんどん蔑ろにされているように感じます。今すぐ役に立つ研究やビジネスに繋がる研究ばかりを重視する科学技術政策、伝統的な家族観や恋愛観を押し付ける管理主義教育、そういった政策は短期的には有効でも、長期的には日本という国に計り知れない悪影響をもたらすでしょう。

ダーリン・イン・ザ・フランキス』を17話までに見て、そんな危惧を感じずにはいられません。