新・怖いくらいに青い空

アニメ・マンガ・ライトノベル考察

『少女終末旅行』最終話―絶望的だが最高のハッピーエンド

アニメ化されたエピソードより先の部分がホームページ上で見れるので、『少女終末旅行』アニメ版だけ見て満足してる人は必ず原作の方も読みましょう。

少女終末旅行 | くらげバンチ

その原作が先日ついに最終回をむかえたわけですが、何かこう、心にとてつもなく大きな余韻を残す美しいラストでした。

正直、最終話に至るまでの数話は、読んでいて辛かった。ケッテンクラートが壊れ、徒歩での移動を余儀なくされた2人は、歩きながら様々なものを捨てていきます。銃も、食料も、本も、過去の記憶さえも失いながら、ユーリとチトは前へ進みます。これはまさに人生の本質、人生とは何かを得て、そしてそれを失っていく過程に他ならない、ということを強く感じさせます。

都市の最上部に着いた時にはもう、あらゆる持ち物を失って、明日の生活すらままならない絶望的な状態に。2人の胸に、本当にこれで良かったのか、何か別の選択肢もあったのではないか、という思いが去来します。それでも満天の星の下で、生きるのは最高だったという2人…。もちろん後悔もある。すべてが順風満帆だったわけではない。それでも、人生の最後に、生きるのは最高だったと言えたなら、それはもう間違いなくハッピーエンドなのでしょう。

物語のラスト、まるで世界の中に溶け込んでいくかのように眠りについた2人。これから2人がどうなるのか、それは一切示されていない。もしかしたら、このまま二度と目を覚まさないのかもしれません。しかし、たとえそうだったとしても、この絶望的で、それでいて穏やかな結末が、2人にとって最高の終わり方だったのだと信じたい。

3月に単行本6巻と設定資料集が発売されたらまた記事を書くと思いますが、今日はひとまず原作最終回を読んで思った事について、取り急ぎご報告まで。

最近読んだ本まとめ(2)

君たちはどう生きるか

君たちはどう生きるか (岩波文庫)

君たちはどう生きるか (岩波文庫)

人間は中学生くらいになると、学校では教えてもらえないこの社会の構造や生きるために大切な事について、自ら吸収していけるようになる。この世には貧富の格差があるという事、数え切れないほど多くの人々の有機的なつながりによってこの現代社会が成り立っているという事、そして、人生の中のあらゆる出来事は決してやり直すことのできない一期一会のものであるという事。世間では中高生に読んでほしい名著と言われるが、私は日本中にいる教育関係者にこそ是非とも読んでもらいたい。人生にとって一番大切なものは、学校で教わることではなく、学生自らが思考し、日々の生活の中で掴み取っていったものの中にある、という教育の本質が見事に書かれている。そして、真に優れた教育者とは、単に学生にものを教えるだけではなく、本書に出てくる叔父さんのように、学生が自発的に学んでいく過程をサポートできる人なのだと思う。

本書の舞台である第二次大戦直前の学校のあり方について多くの人が誤解している事があると思う。それは、戦前の教育の問題は全て軍国主義的・国粋主義的な教育指針によって個性を抑圧するような教育が横行していた点にあり、それらの反省を踏まえた上で今日の教育があるのだ、という「教育史観」である。しかし、私から言わせれば、日本の教育現場が抱える問題は、戦前も戦後も一貫して全く変わっていない。確かにGHQの指示によって軍国主義的・国粋主義的な教育内容は改められたのかもしれないが、敗戦という大転換点を境にして教育の形がガラリと一転したという見方は間違っていると思う。丸山真男が本著のあとがきで次のように述べている。

日本で「知識」とか「知育」とか呼ばれて来たものは、先進文明国の完成品を輸入して、それを模範として「改良」を加え下におろす、という方式であり、だからこそ「詰めこみ教育」とか「暗記もの」とかいう奇妙な言葉がおなじみになったのでしょう。いまや悪名高い、学習塾からはじまる受験戦争は、「知識」というものについての昔からの、こうした固定観念を前提として、その傾向が教育の平等化によって加熱されたにすぎず、けっして戦後の突発的な現象ではありません。そうして、こういう「知識」――実は個々の情報にすぎないもの――のつめこみと氾濫への反省は、これまたきまって「知育偏重」というステロ化された叫びをよび起し、その是正が「道徳教育の復興」という名で求められるということも、明治以来、何度リフレインされた陳腐な合唱でしょうか。その際、いったい「偏重」されたのは、本当に知育なのか、あるいは「道徳教育」なるものは、――そのイデオロギー的内容をぬきにしても――あの、私達の年配の者が「修身」の授業で経験したように、それ自体が、個々の「徳目」のつめこみではなかったのか、という問題は一向に反省される気配はありません。
(『君たちはどう生きるか』、324~325ページ)

君たちはどう生きるか』が書かれて80年、丸山眞男があとがきを書いて35年以上が経過したが、指摘された問題点は今も全く変わっていない。要するに、日本の教育界というものは右も左も、生徒にとって必要だと思う知識を上から叩きこむことには執心しても、生徒が自ら学び考える機会を与えることは一切考えてこなかったのだ。この国では、どんなに立派な理念を掲げても、それはあっという間に陳腐で無意味な「詰めこみ教育」に成り下がるのだ。例えば、近年散々言われている「大学では社会で役に立つ人材を育てよう」という理念(それに対する賛否は別にしても、日本中の有識者が集まって作り出された立派な理念)は、経営学自己啓発・マネジメントとかいう言葉を表層的になぞるだけの無意味な授業に変わり、挙句の果てには就活で役に立つ自己アピールや面接の練習に成り下がった。日本会議とか自民党とかが愛国心を高めるような教育を推進すべきだと言い続けているが、それも遠くない未来に、歴代の天皇の名前を書かせる暗記テスト(私達の祖父母が戦前に受けたのと同じようなもの)に成り下がるだろう。これは断言してもいい。

君たちはどう生きるか』が多くの人に読み継がれているという事実は、裏を返せば、本著が掲げた理想の教育の姿が未だに実現されてないということなのではないだろうか。

おはよう、愚か者。おやすみ、ボクの世界

電撃小説大賞を受賞した作者のデビュー作『ただ、それだけでよかったんです』に勝るとも劣らない衝撃的な作品。まるで映画『ゴーン・ガール』のように、物語が進むにつれて読者の中で登場人物の印象がガラリと変わるように設計された文体、ミスリードの仕方は天才的技法としか言いようがない。それでいて最後には、人は何かを捨てることで大人になるのだという悲しい現実が突きつけられ、読後には何とも言えない余韻だけが残る。

では、登場人物たちは大人になる中で一体何を捨て去ることになったのだろう。それは、自分は特別な存在だという「有能感」だろうと思う。自分だけがあの人のことを分かってあげられる、自分は皆から必要とされている。そういった有能感がボロボロに崩れ去り、実は自分もこの世界に大勢いる取るに足らない人間の一人なのだと思い知らされるという挫折の中で、人は成長していく。

作者はこれからも長く優れた作品を発表し続けるだろう。その発表の場がライトノベルに留まるかどうかは分からない。桜庭一樹のように、ゆくゆくは一般向けの小説を出して芥川賞直木賞をとるかもしれない。

iPS細胞

iPS細胞 不可能を可能にした細胞 (中公新書)

iPS細胞 不可能を可能にした細胞 (中公新書)

数あるiPS細胞関連の新書の中では、この中公新書が出した解説書が一番読みやすく、押さえていくべきポイントをしっかり押さえていると思う。中でも興味深かったのは、山中伸弥教授がiPS細胞を開発する過程ではなく、その成果を発表するまでの流れが詳しく書かれていたことだ。

マウスのiPS細胞作製に成功した山中は、さっそく論文を投稿しようと考えるが、普通に投稿してしまったら査読中にデータを盗まれてしまう怖れもあった。そこで、米国の学会で成果を報告し、自分のプライオリティを証明した。その際、使用した4つの遺伝子の名前を明かさないなど、技術が盗まれないように細心の注意を払った。その発表をCell誌の編集者が聞いていたおかげで、実に素早く論文を発表することもできた。さらに、ヒトiPS細胞の作製にも成功し論文投稿の準備に入ろうとしていた頃、出張先でどこかのグループもヒトiPS細胞作製に成功しているらしいという噂を聞きつけ、飛行機の中で大急ぎで論文を書き上げたという。

こういう咄嗟の対応力を見ていると、やはり山中氏は良い意味で日本人離れした研究者だと思う。他を圧倒するような知識と技術力を持っているのはもちろんだが、自らの成果を最も効果的に発表するために巧妙な戦略を立て、貪欲にNo.1を狙っていこうとする姿勢を兼ね備えている。まさにノーベル賞を取るべくして取った人物だと言えるだろう。山中氏がたとえ幹細胞研究の道に進んでいなかったとしても、別の道で世界的な偉業を成し遂げただろう。

相撲協会の謝罪が白々しいと感じるのは過去の八百長を認めようとしないから

結局これに尽きると思います。

もちろん、暴力と八百長問題は基本的に別物だと思うし、暴力の方は完全な犯罪で、2007年には死者まで出しているのでより深刻な問題だと思うけれど、結局、過去の八百長を認めようとしない相撲協会が何度「申し訳ありませんでした」「再発防止に努める」と言ったところで全く心に響かない。社員の過労死が問題になってもなお長時間労働を改めようとしないブラック企業が言う「再発防止に努める」に通じる白々しさがある。

まあ実際、今回の相撲協会側の対応にも問題があったのは事実で、本来被害者であるはずの貴ノ岩貴乃花を悪者にしようとしているとか、事件の背後にあるモンゴル人力士間の八百長を隠そうとしているとか、本当か嘘か分からない情報が出回っているけど、それらは正直どうでもいいと思う。むしろ私の中では、現役力士も親方衆も、加害者も被害者も、日本人も外国人も、みんながみんな過去の八百長について公式には口を閉ざしている、そういう体質の協会が出す「謝罪」に一体何の意味があるのだろう、と感じてしまう気持ちの方が大きい。

2010年に八百長問題が発覚した時、八百長の仲介役だった恵那司のメールを見れば、極めて巧妙な八百長のシステムが出来あがっていたことが分かる。そんな巧妙なシステムがあの時代にだけ存在したなんてことは絶対に有り得ない。あれは力士の間で脈々と受け継がれてきたものだ。事実、2010年以前にも八百長を告発した人はいたし、千代の富士八百長をやっていたのも公然の秘密とされていたではないか。

にも関わらず、相撲協会は2010年に「八百長は新たに発生した問題で、過去には一切八百長はなかった」と言っている。もちろん、当時の理事長はガチンコ力士として知られていたし、今の八角理事長や貴乃花親方も自身は八百長に関与していなかったのかもしれない。しかし、あれだけ複雑で大規模な八百長のシステムが存在していて、知らなかったはずがないのだ。百歩譲って、現役の若い力士や単なる相撲関係者なら、そういうシステムがあると知らなかったという事も考えられるが、長年角界の中枢にいる親方衆が知らなかったなんてことあるわけがない。

だから、八百長問題という1つの話題について言えば、相撲協会は確実に「嘘」をついている。私の中でその認識が根底にあるから、今回の件で相撲協会が何度謝罪しても、まだ何か隠しているんじゃないか、本当は反省してないんじゃないか、という疑念を拭えない。

アニメ版『少女終末旅行』感想―原作を効果的にアレンジすることでより重厚感のある作品となった

この記事の結論は表題の通り。原作を読んだ方にとっては言うまでもない事だが、原作でも、

  • ユーリが銃でパイプを打ち抜きお湯を出すシーン
  • 2人がカナザワとで出会うシーン
  • カメラのタイマー機能を使って2人が写真を撮るシーン
  • 2人が巨大な管の上を歩いて食糧生産工場に向かうシーン

は存在する。しかし、

  • 寒さで震えながらパイプを撃とうとするユーリにチトが肩を貸してあげるシーン(第2話)
  • ユーリがカナザワを警戒してしばらくの間ずっと銃口を向けているシーン(第3話)
  • 写真撮影の前にチトがユーリの髪を直してあげるシーン(第4話)
  • 高い所を怖がるチトを励ますためにユーリが「いっちに!」「ワンツー!」とか言ってるシーン(第7話)

といったシーンは全てアニメ版オリジナルであり、これらの何気ないシーンが追加されることで、2人がいかにお互いのことを大切に思っているかが、より鮮明になった。

原作のアレンジと言えば、最終回Aパート、カメラの中にある写真と動画を見るシーンも素晴らしいとしか言いようがない。ショパンノクターンを背景にして映し出される人類の歴史。映像の中にある人々の生活は愛に満ちている。子供の成長を喜び、大切な人と共に過ごし、死者を弔う人々の姿。しかし、そんなにも愛に満ちた世界にあっても、人と人との争いはついに無くならなかったのだ。おそらく彼らは、現実世界の私達と同じように、愛する子どもたちの未来を思い、地球の美しい自然に心打たれ、それらの大切なものが失われてしまうかもしれないという恐怖に打ち震えるたびに、何度も何度も争いを止めようとしただろう。それでも、人のDNAに刻まれた欲望、他者を殺し、他者の物を奪おうとする本能は、どうやっても抗えないほどに強く、人は破滅の道を突き進んでしまったのだ。人類が辿った悲しい歴史を強く感じ取ることができ、作品の印象ががらりと変わる。

また、最終回Bパート、謎の生物に食われたユーリを助けるために銃を手に取るチトの描写も実に良い。これまでずっと銃を持っていたのはユーリの方で、チトは最終話にして初めて銃を持って戦うことになる。転んだはずみで銃が暴発し、チトが泣いたのは、1人になって心細いためだけではないだろう。チトはこの時、本当の意味で銃の重みを実感し、人を殺すことさえできる強力な武器がいま手元にあるという恐怖から泣いていたようにも見える。この1シーンを入れるだけでキャラクターの心理描写にぐっと重みが増すのだ。

話数単位で選ぶ、2017年TVアニメ10選

今年見て最も印象に残ったアニメ10話を選出します。例年通り、ブログ「新米小僧の見習日記」を参考にして、

・2017年1月1日~12月31日までに放送されたTVアニメ(再放送を除く)から選定。
・1作品につき上限1話。
・順位は付けない。

というルールで選出しました。

3月のライオン』、第26話、「Chapter.52 てんとう虫の木(2)」「Chapter.53 てんとう虫の木(3)」「Chapter.54 想い」

脚本:木澤行人、絵コンテ:黒沢守、演出:岡田堅二朗、作画監督杉山延寛・潮月一也・野道佳代・松浦力・浅井昭人

今の天皇陛下水俣病患者と面談された際、「真実に生きるということができる社会を、みんなでつくっていきたい」というお言葉を述べられたそうである。真実に生きるということ、それは、自分に嘘をつかないということ、間違っているものに毅然とノーと言えるということ。現代日本に生きる私達にとって、それはどんなに難しいことだろう。

川本ひなたは曲がったことが大嫌いで、おかしいと思う事に立ち向かえる勇気がある。しかし、そうして真実に生きようとした結果、彼女はボロボロになり、玄関先で泣き崩れる。27話以降の話になるが、教室で居場所を失い、ますます精神的に弱っていってしまう。真実に生きようとすればするほど、この社会は生き辛くなっていく。

それでもひなたの祖父は、ひなたは何も間違っていない、胸を張って生きろと力強く彼女を励ます。ベンチで泣きながらも後悔はしないと断言したひなたの姿を見て、零は自分が救われたような気持ちになる。自分が信念を持って真実に生きようとすれば、その思いは必ず誰かに届く。その生き方はきっと誰かの心を動かす。そういう強いメッセージを感じさせる回だった。

リトルウィッチアカデミア』、第18話、「空中大戦争スタンシップ」

脚本:樋口七海、絵コンテ:小林寛、演出:下平佑一、作画監督:坂本勝・田村瑛美

待ちに待ったコンスのメイン回。コンスタンツェかわいいよコンスタンツェ…。と同時に、本作のテーマの一つを最もよく体現した回だったとも言える。

本作における魔法界がアニメ業界のメタファーになっているということは、すでに述べた(2017年上半期アニメ総評 - 新・怖いくらいに青い空)。第18話では、アニメという芸術の最も普遍的な特徴の一つを見事に体現している。それは、一人では作り上げることが到底不可能である、ということだ。監督、脚本家、演出、絵コンテ、作画、声優、その他大勢の人間がかかわって一つの作品を作り上げている。これは、絵画や小説といった芸術作品とは大きく性格を異にするものである。人にはそれぞれに長所と短所があり、異なる長所をもった専門家達が力を合わせて作り上げるのが、アニメ(特にテレビアニメ)という芸術なのだ。

メカニックの設計や開発が得意だが人とのコミュニケーションが苦手なコンスタンツェ、バカだけど情熱と行動力だけは人一倍なアツコ。その2人が手を取り合って完成させたロボットはまさに、グレンラガンではないか! そうだ。あのロボットアニメ史に残る名作もまた、こうやって様々な長所と短所を持つスタッフが力を合わせて作り上げたものなのだ、ということをこの第18話は高らかに謳い上げている。

メイドインアビス』、第10話、「毒と呪い」

脚本:小柳啓伍、絵コンテ:小島正幸、演出:孫承希、作画監督:佐藤このみ・服部聰志・谷口義明・池津寿恵・萩尾圭太

まさに壮絶。迫真。強烈。圧巻の30分。親も兄弟もいないレグにとって、リコは共に旅をする仲間という以上の特別な存在、それこそ生きる意味そのものと言ってもいい。そのリコが突然の事故に襲われ、人が想像し得る限り最悪レベルの痛みと苦しみの中で命尽きようとしている…。そんな光景を目の当たりにしたレグの気持ちを想像すると、見ているこっちも胸が締め付けられる。

まさに、『メイドインアビス』という作品が持つ強烈な「毒」を、希釈も妥協も日和見も一切せずに徹底的に描き切った第10話だった。

けものフレンズ』、第4話、「さばくちほー」

脚本:たつき、絵コンテ:たつき、演出:たつき作画監督:伊佐佳久

以前書いたように(『けものフレンズ』のツチノコは言動が意味不明すぎて萌える - 新・怖いくらいに青い空)、小林ゆうの演技が最高すぎた。急に奇声を上げたり、突然饒舌になったり、とにかく先の行動が読めない。まさに珍獣という名にふさわしい名演。アニメ2期があるのならツチノコも再登場してほしいが果たしてどうか。

うらら迷路帖』、第5話、「花嫁と神様、時々はっくしゅん」

脚本:赤尾でこ、絵コンテ:岩崎良明、演出:福島利規作画監督:小森篤・小松香苗・村上雄・森七奈、総作画監督大塚舞

うらら迷路帖』の中では5話が一番良かった。神様を見ることのできる千矢の才能に嫉妬し、自分の負けず嫌いな性格を自覚する紺。そんな彼女に、その感情は何ら恥じることではない、今はただ未来の可能性を信じて頑張るしかない、と説くニナ先生。女の子どうしの楽しい空間を描くのがいわゆる日常系アニメのお決まりのパターンだが、本作で一緒に修行している彼女たちは、大切な親友であると同時に、お互いに切磋琢磨するライバルでもあるということをきちんと描いて見せた。

少女終末旅行』、第8話、「記憶」「らせん」「月光」

脚本:筆安一幸、絵コンテ:おざわかずひろ、演出:おざわかずひろ、作画監督:渡邉八恵子・本宮亮介

古来より人は、月の光や酒に特別な力が宿ると信じてきた。昔の文化や酒という飲み物も知らないはずのチトとユーリが、昔の人(ようするに現実世界に生きる現代人)が体験した「感覚」を追体験していく。そのような構造の話は原作漫画でも数多くあるが、私はその中でもこの話が一番好きだ。

月と都市の廃墟を背景にして2人が手をつなぎ踊り出すシーンはあまりにも美しい。しかしその直後にくる「いつか月に行こうよ」という台詞は実に切なく物悲しい。技術文明の崩壊した世界、それは人類があらゆる技術や文化を失い、もう二度と月に行くことができなくなった世界。そんな黄昏の世界で月に憧れる2人の姿が、涙が出るほどに美しく切ない。

エロマンガ先生』、第4話、「エロマンガ先生

脚本:髙橋龍也、絵コンテ:山﨑みつえ、演出:石川俊介作画監督:渡邊敬介・小林理・藤原奈津子・桜井木の実、総作画監督岡勇一

いつか俺が原作を書き、狭霧がイラストを描いたアニメを作って、それを一緒にリビングで見よう。正宗が自分の夢を語るシーンを見て不覚にも涙が出た。彼はその夢の中に光輝く未来を見たのだ。失われた家族の絆を取り戻し、悲しい事も辛い事もすべて吹き飛んでしまうような明るく楽しい未来を。

誤解を恐れずに言うならば、この第4話の時点で『エロマンガ先生』という作品は一つの区切りを迎えたと言っていいだろう。この兄妹の明るい未来を我々にもはっきりと感じさせてくれたからだ。

魔法使いの嫁』、第3話、「The balance distinguishes not between gold and lead.」

脚本:高羽彩、絵コンテ:長沼範裕、演出:二宮壮史、作画監督:高部光章・片山貴仁

チセが初めてドラゴンの国を訪れる第3話は、原作漫画の中でも一番好きな話の一つだ。世界に絶望し一時は命を絶つ事まで考えたチセに、年老いたドラゴンが世界の美しさを伝え、自らは自然へと還ってゆく。ドラゴン達との束の間の交流に心洗われつつも、その穏やかで安らかな死を羨ましいとも感じてしまうチセの姿に、彼女の抱える闇の深さが垣間見える。

サクラクエスト』、第21話、「氷の町のピクシー」

脚本:横谷昌宏、絵コンテ:高橋正典、演出:高橋正典、作画監督:野口征恒・原田峰文・新岡浩美・飯塚葉子・松本弘・徳田拓也

間野山大嫌いオーラ全開で周りに呪詛まき散らしてる鈴木エリカさんのメイン回。以前書いたように(『サクラクエスト』のエリカ様がクッソ性格ひねくれてて可愛い - 新・怖いくらいに青い空)、雪の中を一人で東京に行こうとする猛犬のようなエリカを、大人5人で必死に止めようとする姿は最高に笑える。黒沢ともよさんの名演も光る。この性格ひねくれた感じを演じることができる声優はなかなかいないだろう。

武装少女マキャヴェリズム』、第8話、「彼氏彼女オネエの「事情」」

脚本:下山健人、絵コンテ:澤井幸次、演出:鈴木拓磨、作画監督金正男・猿渡聖加・Park I Nam・Im Chae Gil

この作品に関しては、はっきり言ってストーリーとか作画とかはどうでもいい。今年最高のチョロイン・鬼瓦輪ちゃんの可愛い姿を拝むためだけに存在するかのようなアニメだった。

第8話にしてついに明かされる鬼瓦さんの過去。納村の前で怒り、照れ、泣き、笑う鬼瓦さんの何と可愛いことか。珍しく良い雰囲気になっている2人。だが隣には、今にもおしっこ漏らしそうになっている蕨の姿が…。これは酷い…(褒め言葉)。ここまでぶっ飛んだネタアニメは久しぶりに見た。