新・怖いくらいに青い空

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『うえきの法則』とカント哲学について―何が道徳的に「正しい」のか

カントによれば、ある行動が道徳的かどうかは、その行動がもたらす結果ではなく、その行動を起こす意図で決まるという。大事なのは動機であり、その動機は決まった種類のものでなければならない。重要なのは、何らかの不純な動機のためではなく、そうすることが正しいからという理由で正しい行動をとることだ。
マイケル・サンデル著、鬼澤忍訳、『これからの「正義」の話をしよう』、早川書房、P146)

例えば、友達を助けるという行為について考えてみよう。もしその行為を、後で見返りが貰えることを期待して行ったのだとしたら、あるいは、自身の評判・名声のために行ったのだとしたら、そこに道徳的価値はない。「友達を助けることが正しいから」という「義務の動機」に従って友達を助ける場合にのみ、道徳的価値は生まれる。

では、そのような「正しさ」はどこから生じてくるのか。それは、人間に理性が存在するからだ。人間は他の動物と違って「義務の動機」から行動することが出来る。だからこそ人間は尊厳を持ち、その尊厳を守ることが「正しい」とされる。

上の例を少し変えて、戦闘中に敵を助けるという行為について考えてみよう。友達を助ける場合には、そこに見返りや名声を求める心理を排除できない。友達を助けることは、自らの喜びや利益に直結しているから、それが真に道徳的かどうかの判断は難しくなる。しかし、敵を助けるという行為はどうだろう。敵を助けたとしても自らの利益には結びつきづらいし、恩を仇で返される恐れもある。場合によっては、仲間から非難されることもあるから、自らの名声にも繋がらないかもしれない。にも関わらず敵を助ける人がいるとすれば、それは、敵・味方に関わらず人を助ける(人の尊厳を守る)ことは正しいと信じており、その「義務の動機」に従って行動しているからに他ならない。

実際、バトル中に敵の頭上に建物の天井が落下してきた時、自らが身代わりになってその敵を助けた奴がいる。その人いわく、

・・・・・・あれ? そういやそうだな・・・・・・気づいたら助けてた・・・・・・
福地翼作、『うえきの法則9』、小学館、P66)

とのこと。その後、彼は敵に恩を仇で返されて窮地に追い込まれることになる。つまり、彼の行為は自らの利益に結びつくものではなかった。しかも「気づいたら助けてた」ということは、とっさの判断で敵を助けたということであり、そこに敵の改心や自らへの見返りを求める打算は一切存在しなかったということだ。つまり彼は、人を死なせないこと(人の尊厳を守ること)は正しいから、というただそれだけの理由で敵を助けたわけだ。これこそまさに、カントも認める真に道徳的な行為であると言えよう。

要するに何が言いたいかというと、『うえきの法則』の植木耕助はカント主義の実践者。*1 タイトル『うえきの法則』の「法則」とは、人間の尊厳に絶対的価値を置くカント倫理学の道徳法則のこと。

*1:禁書の上条さんもカント主義の実践者。