新・怖いくらいに青い空

アニメ・マンガ・ライトノベル考察

『ココロコネクト』第4話考察(1)

※作品に対する様々な考え方を併記するために、対論形式の記事にしてあります。

「アタシはお前らのことが信用できない」

司会者  アニメ『ココロコネクト』第4話では、特に後半に稲葉の問題がクローズアップされました。このシーンは原作小説でも屈指の名シーンとなっていますが、今日はこの稲葉と太一との対話についてじっくり議論したいと思います。なお、議論するに当たって台詞などを引用する場合は、基本的に原作小説の方から引用しますので、アニメの方と多少ニュアンスの異なる台詞が含まれるかもしれませんが、ご了承願います。

九州人  原作小説で稲葉の「アタシはお前らのことが信用できない」という台詞を読んだ時、「おお!」ってなったのを覚えています。ここまで深く踏み込んで行くのかとびっくりして、以後どんどん物語に引き込まれていきました。皆さんはこの発言を聞いて、どのように感じられましたでしょうか?

いなばん主義者  稲葉の腹黒さや狡猾さをよく表現している発言ですね。稲葉という人は結構難しい性格をしていて、自己犠牲精神にあふれる太一とは真逆の性格、つまり「自分さえ良ければいい」みたいなところがあるように思います。例えば、その後の太一との会話にも、それがよく現れています。

「その間は犯罪やろうがなにをしようが、責任は全部、『元の身体の持ち主』にいくんだ。責任を押しつけて、やりたい放題できる。(中略)」
「でも……それだと元の身体の持ち主に迷惑がかかる訳で――」
「他人のことなんざ、知ったこっちゃない」
(中略)
「…まあ、さっきの犯罪やらは言い過ぎかもしれないが、お互いが家にいる時入れ替われば、自由に家捜しでもして秘密握ったり、小金をすくねたり、くらいならできなくもないだろ?」
「確かに……それは、そうかもしれないけど……」
「アタシは、そんなことをお前らがするんじゃないかと、【自分の身体】が乗っ取られている間になにかされるんじゃないかと、想像してしまう。そう思うと、恐くて夜も、眠れない」*1

いなばん主義者  やっぱり普通の人ならここまで考えたりしないと思うんですよ。こういう想像をしてしまうということは、裏を返せば、稲葉自身も機会があれば家捜ししたり犯罪を犯したりして入れ替わり相手を貶めよう、などと考えてるのではないかと勘ぐってしまいます。表面上はクールで冷静だけれども、内心は腹黒くて何考えてるのか分からない。稲葉にはこういう二面性があって、自分はそういうところが凄く好きですね。本作の中で一番好きなキャラクターですよ。

司会者  最後、稲葉が好きだとおっしゃいましたが、それはどういう事でしょうか。腹黒いとか、何考えてるか分からないとか、悪口ばかり言っていたような気がしますが。

いなばん主義者  そこが良いんじゃないですか! はっきり言って、こんなキャラ、他の作品にはいませんよ。極言すれば、他のキャラは皆、仲間のことを信頼していて、まっすぐな表裏のない性格をしています。日常系の作品なんかは特にそういう傾向が強い。例えば、『けいおん!』の平沢唯が部室でお菓子を食べながら「私は皆のことが信用できない!」とか言ったらどうします? 物語が成立しないでしょう。人間の負の側面を徹底的に洗い落して描いているのが日常系だと言えなくもない。でも、この現実の世界で、完全に二面性のない人なんていますか? 「負の感情」を全く持たない人間がいますか? そんな人間いるわけがない。そういった意味で、稲葉の思考は非常に「リアル」なものです。私が思うに、稲葉が好きという人は、多かれ少なかれ稲葉と自分とを重ねてみているんだと思います。心の奥底にある「負の感情」を。

いなばん信者  あなたの意見には全く賛成できないですね。稲葉が太一達のことを「信用できない」と言ったのは、性格が悪いからではなく、単に文研部5人の間の信頼関係が十分に築かれていないからではないですか? 現実の人間関係を考えれば簡単なことです。いくら毎日一緒に部活をしていると言っても、文研部5人はまだ出会って半年ほどしか経ってないわけですよ。そういう人間のことを信用しろと言われたって、できるわけがない。むしろ、他人と入れ替わって平気でいられる方がおかしいんですよ。

いなばん主義者  しかし、現に他の部員達は、稲葉のように体調を崩したり、精神的に参ったりしていませんよ。まあ、実際には唯や伊織のように、裏ではそれぞれの問題を抱え込んでいるわけですが、少なくとも、稲葉のように仲間を信頼できないなんていう事態にはなっていないですよね。

いなばん信者  それだって程度の問題ですよ。後でまた述べますが、みんな多かれ少なかれ稲葉と同じような不安を抱えているんです。それに、信頼なんて主観的なものなんです。自分は親友だと思っていたけど、相手はそう思っていなかった、なんてことは結構あるでしょ。だから、稲葉だけが深刻に悩んでしまったとしても、おかしいことではありません。

司会者  では、稲葉が太一達のことを信用できないと思うのは、太一達と出会ってまだ日が浅く、十分な信頼関係を築けていない事が原因ということですね。今後、時間をかけて信頼関係を築くことができれば、稲葉の不安は解消されると思われますか?

いなばん信者  そうですね。もちろん原作小説を読めば分かるように、あの5人は人格入れ替わりが起こる以前から、すでに親友と言っていいくらいに仲が良いんですね。でも、相手のことを完全に信頼できるようになるのって、そう簡単じゃないですよ。単に、同じ部室で一緒に活動したり話をしたりしてるだけじゃ難しい。でも、時間をかければ、稲葉の不安を解消することは出来なくても、軽減させることなら出来ると思うんですね。

九州人  果たしてそうでしょうか。稲葉が抱いている「信頼できない」という感情は、どんなに友情を深めたとしても解消されないと思います。稲葉がそのように感じてしまうということは、もう仕方のない事なんですね。分かりやすい例が、食べ物の好き嫌いですよ。ピーマンが嫌いな人に、ピーマンの良さをいくら説明したって、食べれるようにはなりませんよね。それと同じように、いくら絆を深めたとしても、相手のことを信用できないと思うのは避けられないんじゃないでしょうか。

司会者  では、稲葉が太一達のことを信用できないのは、稲葉の性格が悪いからでもなく、文研部5人の間で十分な信頼関係が築けていないからでもなく、ただ単に稲葉がそう思ってしまうからであって、それはもう避けることのできない仕方のないことなのだ、ということでしょうか。

九州人  その通りです。もう一つ例を上げるとすれば、アニメ『氷菓』第7話が最適だと思います。この回では、着物の貸し借りすらままならない姉妹の姿を描くことで、千反田さんの考えていた理想的な兄弟像が打ち砕かれるわけですが、落ち着いて考えれば、姉妹の間で着物の貸し借りが出来ないからと言って、必ずしもその姉妹が仲が悪いとは言い切れないですよね。誰だって多かれ少なかれ、自分の持ち物を他人に使われるのは良い気がしないものです。姉は、妹に自分の持ち物を使われるのが嫌いなだけで、妹自体が嫌いだとは限らないわけです。どんなに仲の良い兄弟であっても、着物を貸し借りできないこともあるように、どんなに仲の良い人どうしでも、「信頼できない」と思うことはあります。

「そんなことを想像してしまう自分が心の底から嫌いだ」

司会者  ここまで3人の論者の皆さんに、稲葉が文研部5人のことを信用できないと感じてしまう理由について考察してもらいました。次に、稲葉が文研部5人への不信を募らせる中で生じてきた自己嫌悪の問題について論じてもらいます。

「そしてなにより、そんなことを想像してしまう自分が心の底から――嫌いだ。死ねばいいと、思う。……アタシは、お前らのことを、仲間だと思ってる。そんなことするはずもないと、わかってはいる。これは……、本当だ。矛盾してるように聞こえるかもしれないけど、それは信じて欲しい。……でも、それとこれとは別なんだ。 (中略) 誰かと入れ替わって元に戻った時は、なにかが起こってないか確認せずにはいられない。そんな……自分の心の醜い部分をお前らに見せるのが、アタシは恐い」*2

いなばん信者  稲葉という人は、他人にも厳しいけれど、自分にも凄く厳しい人だと思うんですね。だからこそ、仲間のことを疑ってしまう自分が許せない。そう思ってしまうのは、自分の心が「醜い」からだと考えてしまう。けれど、仲間を信じられないという事は、そんなに「醜い」ことでしょうか? 誰だって同じ目に遭えば、多かれ少なかれ稲葉と同じような不安を抱くし、これは何ら責められるようなことじゃないですよね。あるいは、そういう「醜さ」も個性とか長所という風にとらえてしまえば良い。例えば、仲間を信用できないことは確かに良くないことかもしれないけど、これは逆に言えば、用心深さや慎重さの証と言えなくもない。いずれにせよ、稲葉は何も悪いことはしていないんだから、自分を責めないで堂々としていていればいいと思います。

いなばん主義者  私はむしろ逆ですね。あなたのような発想では、心の醜い部分を覆い隠す事になってしまう。誰だってある種の醜い部分を持っているんだから、むしろ稲葉には、そういう嫌な部分もひっくるめて自分を肯定できるようになってほしいですね。醜くくたっていいじゃん。他人の評価なんて関係ない。稲葉は稲葉の道を進んでほしい。

「つーか、アタシは多かれ少なかれ、人間はそんな一面を持ち合わせていると思っていた。表ではどんなに『みんなのこと信頼してます』みたいな顔をしている時でも、裏では、やっぱある程度疑ってるんじゃないか、って。でも、入れ替わってわかった。お前ら、アタシを含めてみんなのこと、本当に信用してるじゃん。 (中略) ……じゃあアタシは、なんなんだ?」*3

いなばん主義者  結局、今回の件で稲葉が一番ショックだったのが、他人と自分との差異が浮き彫りになったことだと思います。今までは、そういった心の醜い部分を多かれ少なかれ誰もが持ち合わせていると思っていたけれど、実際はそうではなかった。人間、誰だって他人と同じでありたいと願うものです。この日本において、「差異」は「差別」へと直結しているし、「出る杭は打たれる」なんて諺もある。だからこそ、人格入れ替わりによって他人との違いが明確になって、強いショックを受けたんだと思います。

九州人  しかし、実際には稲葉が言うように、人間は多かれ少なかれ「そんな一面を持ち合わせている」わけですよね。にもかかわらず、稲葉が周囲との差異を意識してショックを受けてしまうのは、やはり肉体的・精神的に疲れている状態で、思考がネガティブになっているからだと思います。確かに稲葉が仲間のことを信頼できないのは事実ですが、だからと言って、「みんなは仲間のことを信用しているのに…」という風に考えて自己嫌悪に陥るのは、やはりネガティブに考え過ぎていると思うんですね。

司会者  さて、ここから稲葉はトラウマに関する話を始めます。その場面を少し引用します。

「アタシには、唯とか伊織みたいなトラウマなんて、別にないんだ。……物語の人物だと、壮絶な人生を送ったせいで余り望まれない性格になってしまったとか、よくあるよな? (中略) アタシに言わせれば、それはまだ幸福だと思うんだよ。だってちゃんと、そうなった原因があるんだろ? (中略) でもな、そんなトラウマなんてない人間はどうしたらいいんだ? 原因は自分が自分として生まれてきたことだ。それだと、救いがない。生まれ持ってのものなんだから、それを直そうと思ったら、自分が自分でなくなるしかない」*4

九州人  このストーリーを最後まで読んだ後に、この場面を再度読んでみると、やっぱり稲葉はネガティブに考え過ぎだなあと思いますよね。単に「仲間が信用できない」という話だったのが、「救いがない」とか「自分が自分でなくなるしかない」という風に飛躍されてしまっている。

いなばん信者  しかし、稲葉にとって、この「原因がない」という感覚は、すごく絶望的で苦しいことだと思うんです。例えば、ひどい腹痛や頭痛に襲われて病院に担ぎ込まれた場合、その原因さえ分かれば何らかの対処ができるわけですけど、原因が分からなかったらどうしようもない。自分を変えたいのに、そうなった原因がないから、どうすることもできない。こういう感覚は、傍から見てる分には「考え過ぎだ」と思っても、実際にその本人にとっては深刻なことなんじゃないでしょうか。

いなばん主義者  確かにそれは有り得ますね。我々は、オリンピック選手のように速く走れるわけでもないし、東大生のように頭が良いわけでもない。でも、その原因は何かと聞かれると、非常に漠然としていて答えに詰まる。少なくとも「フォームを変えればもっと速くなる」とか、「日々の勉強法を変えればもっと偏差値が上がる」というようなレベルの話じゃない事は確かです。もちろん努力で何とかなる部分もありますが、そうではない事も多い。そこであえて原因を言うなら、体や頭の構造が違うからとか、稲葉の言うように「自分が自分として生まれてきた」からとしか言いようがない。そういうどうしようもない「壁」にぶつかった時、どう対処していくかが重要になると思います。

司会者  なるほど、この稲葉の抱える苦悩に関しては、「ネガティブに考え過ぎ」と思える気もしますし、一方で「実は結構深刻な悩みなんじゃないか」と思える部分もあって、色んな見方があるんだということが分かりました。しかし、大変申しわけありませんが、長くなりましたので、ここで一旦議論を打ち切りたいと思います。その「原因のない」苦悩に対して、太一はどのような解決法を示し、どのようにして稲葉は救われたのか。それについては、次回の討論でじっくり議論したいと思います。

*1:第1巻、218P

*2:第1巻、218〜219P

*3:第1巻、219P

*4:第1巻、222P