『劇場版 艦これ』見てきたよ~。
私は普段はほとんど映画館に行かないのですが、今年は『シン・ゴジラ』『聲の形』に引き続き、3度も映画館で見た感想を書くという異例の年となりました。ちなみに、『君の名は』と『この世界の片隅に』にはまだ見てないので、今後どうしようか考え中です。
以下、『劇場版 艦これ』のネタバレあり感想です。
ストーリーについて
この映画の主役は睦月ちゃんと言っても過言じゃありません。睦月と如月を中心にしてストーリーをまとめると、
轟沈したと思われていた如月ちゃんが帰ってきた。わーい!わーい! あれっ?でも、吹雪と夕立の名前忘れとるし何か様子おかしくない?
睦月「大丈夫!大丈夫だよっ!きっと疲れてて記憶が曖昧になってるだけだから!如月ちゃんはちゃんと戻ってきたんだから!」
いやいや!我を忘れて泊地の施設を攻撃したりしてんぞ!如月ちゃんは深海棲艦になってしまったんや!
睦月「大丈夫!大丈夫だよっ!これは戻ってきたばかりで気が動転してるだけだから!如月ちゃんは深海棲艦なんかじゃない!」
皮膚がどんどん変色していってるし、何か変な角生えてきたやん!やばいやばい!
睦月「大丈夫!大丈夫だよ、如月ちゃん!どんなことがあっても私はずっと如月ちゃんのそばにいるから!」
変色海域の中心で吹雪が、自らの分身でもある沈んだ船の怨念(?)のようなものと対峙し、運命を塗り替える希望の力(?)によってその怨念は消滅。同時刻、吹雪らを支援するために抜錨していた如月もまた、無数の塵芥となって消滅しようとしています。
睦月「大丈夫!大丈夫だよ、如月ちゃん!今から戻ってドッグに入ればまだ何とかなるから!お願い!行かないで!うわ~~~~ん!!!」
……と、まあ、こんな感じですね。なんかもう、これが普通の映画なら「睦月ちゃん、頭、大丈夫?」って感じですが、この現実を直視できてない感じが睦月ちゃんの睦月ちゃんたる所以だなあと思います。
途中からはもう半ば諦めて達観した感じで別れを告げるとかじゃなくて、あくまでも、如月ちゃんが死ぬその瞬間まで、必死に現実と抗って如月ちゃんと一緒に暮らす道を探ろうとする執念が実に良いんです。
その執念があったからこそ、エンディング後に、再び2人は出会うことができたのだと言えるでしょう。
設定について
今回の映画では、艦娘に関する重要な設定が明らかになりました。それは、轟沈した艦娘は「帰りたい」という怨念によって深海棲艦になり、深海棲艦が艦娘に倒されると再び艦娘に戻れる、というループ構造で、要するに『魔法少女まどか☆マギカ』『selector infected WIXOSS』と同じようなパターンということです。
しかし、この設定、いろいろ考え出したらキリがないのです。例えば、深海棲艦になるはずの如月ちゃんが一度は睦月のところに戻ってきたのは何故か。深海棲艦だったころの記憶を持ってる艦娘とそうでない艦娘の違いは何か。吹雪だけが分身を作り、運命に打ち勝つ力を持って艦娘化できたのは何故か。
こういった点がよく分からないまま終わったので、なんだか消化不良な感じがするし、「細かいところはあんま深く考えないでね~」ということなのかなあと思います。その点で、個人的には少し不満の残る映画だったと言わざるを得ませんね。
キャラクターについて
- 海上で艦載機を飛ばす龍驤さん可愛い。その後こける龍驤さん超可愛い。
- ある海域から謎の声が聞こえるという噂話を聞いてビビってる天龍さん萌え。
- 画面にちょくちょく出てくる綾波・敷波が可愛い。でも、台詞が全くない! スタッフ何考えてんねん!
- 天津風と時津風が少ない出番ながらクソ可愛かった。特に、吹雪に抱きついて服を脱がそうとする百合っ娘トッキーが最高で、このシーンだけで映画館まで行った甲斐があったと言える。
- 映画館では第六駆逐隊のイラストが描かれたポップコーンが売られてるのですが、映画内での出番はメッチャ少ない。どうなってんねん。
- しかし、暁はまさに一人前のレディという感じでした。強大な敵を前にして、たぶんスカートの中とかおしっこ漏らしてグチョグチョなんだろうけど(※これはあくまでもイメージです)、それでもなお、恐怖心を必死に押し殺して、泣き崩れるのを懸命に我慢してる横顔が、最高にカッコいいのです。お世辞にも強そうには見えない泣き虫なチビッ子が、怖くて逃げだしたくなるのを必死に我慢して敵に立ち向かっていく、その姿のなんと凛々しいことか。本当の格好良さというのは、まさにこういう事を言うんじゃないのでしょうか。わずか数秒のシーンですが、映画版のベストシーンに挙げたい。
以上。