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『縄文と世界遺産』感想

2021年に世界文化遺産に登録された「北海道・北東北の縄文遺跡群」についての解説書。この世界遺産登録に関して、よく言われている「何故、北海道・北東北が対象なのか」「建物等が現存しない遺跡を世界遺産登録する意義は?」といった疑問に答える本と言えるだろう。

まず第一の疑問について、今回世界遺産になったのは北海道・青森県岩手県秋田県にある17か所の縄文遺跡であるわけだが、何故日本の他の地域にある遺跡は対象でないのか、という疑問は当然出てくるであろう。これにたいして著者は、そもそも縄文文化というものを一括りに捉えることは難しいと述べる。世界遺産に登録されるためにはその遺跡が「顕著な普遍的価値」を持つ事を立証しなければならないが、場所や時代によって多種多様な縄文遺跡を一まとめにしてそれを立証することは無理があると考えられる。例えば「百舌鳥・古市古墳群」と「宗像・沖ノ島と関連遺産群」のように同じ古墳時代の遺跡でも別々の世界遺産として登録されているように、縄文の中でも一部に着目して世界遺産としているのである。

著者は北海道・北東北の縄文遺跡の特徴について以下の4点を挙げている。

  1. 東アジアの中でも最初期に土器が誕生し使用されたこと
  2. 環状列石(石を環状に並べて作った祭祀場)が作られたこと
  3. 上記のような特徴が津軽海峡を超えて伝播し一つの文化圏が形成されたこと
  4. 農耕の発達が遅れ、狩猟採集を中心とする生活が長い期間継続したこと

特に「狩猟採集」については、例えば西洋では土器などが発達すると同時に小麦などの農耕生活に移行するのに対して、土器を持ながらも狩猟採集生活を1万年以上も継続させた文化というのは世界的にも珍しいとされる。これら4つの特徴を併せ持つ遺跡群は他に例がなく「顕著な普遍的価値」がある、というロジックによって世界遺産への推薦がなされているため、他地域の遺跡は対象とはしていないのである。逆に言えば、北海道・東北以外の地域の縄文遺跡でも、また別の切り口から「顕著な普遍的価値」を証明できれば、世界遺産登録される可能性もある。

第二の疑問についてもよく言われるところであろう。縄文遺跡の多くは、発掘が終わると土壌を保護するために盛り土がされ、その上に環状列石のレプリカを並べたり、縄文時代にあった建物を復元するなどし、一帯は公園として整備される。土器・石器・骨などの出土品は博物館などに持っていき管理される。つまり、世界遺産となった遺跡に観光客などがやってきても、本物の建物跡は土の中にあり、出土品は博物館に持って行かれてるのだ。中には、土器や石斧が見つかっただけで、住居跡や祭祀場跡は一切見つかってない遺跡すらある。世界遺産は建物などの不動産を対象とするため、出土品それ自体は世界遺産にはならない。よって、そのような遺跡は、単に「貴重な遺物が発掘された場所」という意味合いしか持たない。*1

これを世界遺産という観点からどう捉えるべきだろう。確かに、現地に行っても殺風景な公園があるだけでは、他の世界遺産と比べて見劣りしてしまう、と思うのも無理はない。こうした遺跡を世界遺産とする意義があるとすればそれは何なのか、その疑問の答えも本書に書かれている。

実際のところ、世界遺産に地域・時代の偏りがあることは事実であり、制度ができた当初は、例えばヨーロッパにある綺麗な寺院とかお城とかが数多く世界遺産登録された。古代の遺跡についても、例えば壁画が描かれた洞窟とかが登録されている。要するに、これまでの世界遺産は、「パッと見てスゴいと分かる芸術性があるもの」が中心だったわけである。

しかし近年ユネスコは、そうした偏りを是正し、世界各地の幅広い年代の遺物を世界遺産として保護していこうと試みており、特に先史時代の遺跡について登録数を増やす方向に進んでいる。よくよく考えてみれば、人類が高度な文明を築いたのは高々5千年前ほどであり、その何倍もの長さの先史時代が存在しているにもかかわらず、先史時代に関する世界遺産は少ない。これまであまり注目されてこなかった部分を強化し、世界各地に存在したあらゆる文化をカバーしていこうという流れの中で、「北海道・北東北の縄文遺跡群」の世界遺産登録がなされたのである。

こうした遺跡は確かに京都・奈良などに比べれば地味かもしれないが、上で挙げたような世界で類を見ない特徴を持つ貴重な遺跡であることは間違いない。それらを発掘された当時のまま保存し、そこに遺跡があったことを伝えていくために、世界遺産という制度はあるのではないか。縄文時代を含む先史時代の遺跡が世界遺産登録されることは、この地球上に西洋の価値観とは異なる多種多様な文化が存在したことを後世に伝えていくという、重要な役割を担っているのだ。

これは縄文遺跡に関わらず、日本にある他の世界遺産についても重要な示唆を含んでいると個人的に思う。最初の頃に世界遺産となった京都・奈良の寺社、姫路城、日光、厳島神社などは、見た目も美しく多くの観光客を魅了している。一方、後から世界遺産となった場所、例えば石見銀山富岡製糸場明治日本の産業革命遺産、百舌鳥・古市古墳群などは地味で、時には「がっかり名所」など酷い言われ方をする場合もある。しかし、だからといってそれらが「世界遺産に相応しくない」かと言えば決してそうではない。それは、見た目の美しさや、スケールの大きさなどが無いため、その価値が一般人には分かりづらいというだけである。これは世界遺産に限った事ではなく、見た目だけではよく分からない歴史遺産の価値をどう人々に伝えるかが今後の大きな課題といえるだろう。

*1:同じようなケースは他にもあり、例えば、南アフリカにある「南アフリカの人類化石遺跡群」はアウストラロピテクスなどの化石が見つかった地として世界遺産登録されている。これも、建物などではなく単に「化石が見つかったという事実」のみに価値が置かれた世界遺産であるといえる。