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新・怖いくらいに青い空

アニメ・マンガ・ライトノベル考察

日常系アニメの中の戦争―『ソ・ラ・ノ・ヲ・ト』を見て感じた胸の痛み

なんだか『ソ・ラ・ノ・ヲ・ト』を見終わった後に、心苦しいというか、胸が痛くなるような感覚に襲われて、「この感覚って一体何なんだろう」としばらく考えこんでしまいました。おそらく、何の罪もない普通の少女達が戦いに巻き込まれてゆくという展開こそが、このような胸の痛みの原因なのだと思います。もちろん、戦争というものが実に不条理なものだってことは前々から分かっているけれども、屈強な兵士ではなくて、まだ若い女の子が否応無しに戦争に引きずり込まれるのを見るのは、やはり胸を締め付けられる思いがします。

落ち着いて考えてみれば、少女達が戦いに巻き込まれるのは本作に限った事じゃなく、例えば『ストライクウィッチーズ』とか、最近では『魔法少女まどか☆マギカ』でもそうです。しかし、スト魔女は「誰かを守りたい」という明確な意志を持ったウィッチが自ら志願してネウロイと戦っていたし、まどマギだって、あの雰囲気と製作陣を見ればみんなある程度「覚悟」して視聴しようとするわけです。一方の『ソ・ラ・ノ・ヲ・ト』は、明らかに『らき☆すた』とか『けいおん!』といった日常系アニメの延長線上から生まれた作品で、それは本来、戦争とか人の死とかから最も程遠い所にある作品のはずです。だからこそ、不意打ち的にやってきた戦争描写に少なからぬショックを覚えたのでしょう。本作ラストでは何とか戦争は回避され、再び「日常」が戻ってきたわけですが、私はとても「めでたし、めでたし」と言える心境じゃありませんでした。

この作品を見てると、けいおん1期の第11話(澪と律が喧嘩した回)を見て不平不満を言っている人達の気持ちも分かるような気がします(私自身はこの意見には与しませんが)。キャラクターに愛着が沸けば沸くほど、彼女たちが平穏無事な日常を送れるように、と願ってしまうものです。しかし戦争というものは、個人の意思とは無関係に、人々の安全や生命を奪ってゆきます。(まどマギなどとは違う)日常系アニメという文脈の中のごく普通の少女達が、(スト魔女とは異なり)本人の意志に反して戦いに巻き込まれてゆく、という設定が戦争の不条理さを際立たせています。

私は別に「萌えアニメは日常描写だけに特化しろ」と言いたいわけではありません。もちろん、心が和むようなアニメは好きですが、心に揺さぶりをかけてくるような作品、今まで感じたことの無かった感覚を与えてくれる作品だって、同じように素晴らしいものです。私にとって、『ソ・ラ・ノ・ヲ・ト』とは、まさにそういう作品でした。この感覚は、普通の萌えアニメでも、普通の戦争アニメでも味わうことが出来ない。萌えと戦争を掛け合わせた本作だからこそ味わえるものだと思います。