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『キルラキル』と『利己的な遺伝子』(その2)―遺伝子に「着られる存在」から「着こなす存在」へ

リチャード・ドーキンスの『利己的な遺伝子』の本文は、次のような一文から始まる。

ある惑星上で知的な生物が成熟したといえるのは、その生物が自己の存在理由をはじめてみいだしたときである。 (中略) 地球の生物は、三〇億年もの間、自分たちがなぜ存在するのかを知ることもなく生き続けてきたが、ついにその一員が真実を理解しはじめるに至った。その人の名がチャールズ・ダーウィンであった。
(『利己的な遺伝子』、15P)

ドーキンスはこの本の中で、生物とは本質的に、自己複製子=遺伝子が自らの生存や複製のために生み出した乗り物(ヴィークル)でしかないと述べている。これを『キルラキル』風に言い換えるなら、生物とは遺伝子に「着られる」存在だということになるだろう。生物とは、遺伝子の生存のために作られた服だ。一方で、遺伝子の方こそが、生物を操る生きた服だという見方もできる。作中に出てきた生命繊維とは、まさにそのような、我々人間を外部から操る遺伝子という名の服だ。生物を自己の遺伝子から「着られる」服と見なす場合でも、遺伝子という服に「着られる」存在と見なす場合でも同様に、遺伝子の方が「主」であり、生物の方が「従」であるという事実は変わらない。

ところがドーキンスは、『利己的な遺伝子』の中で次のようなことも述べている。

われわれの意識的な先遣能力――想像力を駆使して将来の事態を先取りする能力――には、盲目の自己複製子たちの引きおこす最悪の利己的暴挙から、われわれを救い出す能力があるはずだということである。 (中略) われわれは遺伝子機械として組立てられ、ミーム機械として教化されてきた。しかしわれわれには、これらの創造者にはむかう力がある。この地上で、唯一われわれだけが、利己的な自己複製子たちの専制支配に反逆できるのである。
(『利己的な遺伝子』、320~321P)

なぜ我々人間だけが、生命繊維の支配、言い換えれば「利己的な自己複製子たちの専制支配」に反逆することができるのだろう。それは、人間が進化の過程で理性を獲得し、「なんだかよく分からないもの」になったからだ。

今分かった。世界は1枚の布ではない。なんだかよく分からないものに溢れているから、この世界は美しい。
(『キルラキル』、第22話)

この「よく分からないもの」という言葉にはいろいろな解釈が可能だと思うが、私は『魔法少女まどか☆マギカ』の中でキュゥべえが言った台詞と関連があると思っている。

君たちはいつもそうだね。事実をありのままに伝えると、決まって同じ反応をする。
訳が分からないよ。どうして人間はそんなに、魂の在処にこだわるんだい?
(『魔法少女まどか☆マギカ』、第6話)

キュゥべえのような徹底的な合理主義者からすれば、人間の行動はあまりにも非合理的すぎて「わけのわからないもの」に見える。だが、その非合理性の中にこそ、生命繊維の支配に打ち勝つために、そして、人間を人間たらしめるために必要不可欠なものが存在する。

これまで生物は何億年もの間、遺伝子の生存と複製に有利になる行動を「合理的な行動」として選択してきた。それはすなわち、自らの身を守り、他の生物を殺して食べ、生殖して子どもを産むことだ。しかし、理性を獲得した人類は、以上のような合理的行動にとどまらない、ありとあらゆる「わけの分からない」行動を取れるようになった。遺伝子から着られる存在でしかなかった人間は、長い進化の末に自らの存在理由を見いだし、遺伝子を上手く着こなす存在になったのだ!

この壮大な人間賛歌の物語に隠されたメッセージがあるとすれば、我々は人間社会の持つ「わけの分からなさ」を許容する存在であるべきだということに尽きるだろう。それは「多様性」という言葉に置き換えてもいい。人間社会は多様性に満ちているからこそ美しく、また、強いのだ。

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