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新・怖いくらいに青い空

アニメ・マンガ・ライトノベル考察

(ネタバレ注意)〈古典部〉シリーズ『いまさら翼といわれても』を読んで感じたことをダラダラと書く

<古典部>シリーズの最新作『いまさら翼といわれても』を読みました。素晴らしかったです。親や教師や大人が軽く考えてることでも、子どもにとっては非常に深刻な悩みだったりする場合は結構多いし、そういう認識のズレによって大人は無自覚に子どもを傷つけ続けているんだよ、という真実が極めて明瞭に描かれていましたね。お父さんからの「家を継がなくてもいい」「自由に生きていい」という言葉が、千反田さんの心に与えるとてつもない衝撃。にもかかわらずお父さんの方は、自身の放つ言葉が彼女にとってどれほど重たい衝撃となるか理解していないという温度差。物語前半にあったコーヒーの話は、「砂糖とミルクをつけてください」という言葉に対する店員と客(伊原)との間の「認識のズレ」についてのお話でした。そして物語全体もまた、人と人との間、特に、大人と子どもとの間にあるどうしようもない「認識のズレ」がテーマとなっていました。

私は中学時代に陸上部に入っていたのですが、その部活が結構ハードで、顧問は厳しいし、毎日走りっぱなしで体じゅう痛くなるし、休日返上で練習や大会に行かないといけないしで、だんだんと部活をするのが嫌になってしまって、とうとう2年の冬に退部する決心をしました。その事を親に言ったら、別に反対されることもなく、むしろ「良かった良かった、あんな部活やめて正解やわ」みたいな感じで賛成してくれました。で、翌日、顧問や部員のみんなに辞めますって言うつもりだったんですが、何か言い出しづらくて結局その日は何も言わないまま帰宅しました。そしたら母親がカンカンに怒って「辞めるって決めたんなら早く言わんかい!ちゃんと自分の意志を伝えんとあかんやろ!」みたいな事を言い出して、私の方ももう腸が煮えくり返るような気持ちになって、ずっとイライライライラして布団に入っても全然寝付けなかったんですね。ここではっきり断言しておきますが、これは決して退部するかどうか迷っていたわけではありません。こんな部活続けても意味ないから辞めようっていう決心は結構前からしてたんですよ。でもこっちには心の準備ってもんがあるんです。言い出すタイミングってのもありますやん。1年の時からずっと続けてきたことなのに、今さらになって辞めますとか言うのって、結構勇気がいるでしょう? 今思えば、母はずっと私に部活を辞めてほしいと思ってたんでしょうね。ようやく辞めると思ったらまだ悩んでるような素振りを見せて「何でやねん!」って気持ちになって怒ったのかもしれません。でもねえ、こういうのは、あっさり退部届書いて「はい、サヨナラ」で済む問題じゃないんです。その辺の事情とか子どもの気持ちとか、親は全く理解していないんだなあ、と思ってショックを受けたからこそ、私もあんなにイライラしたんだと思います。

結局、親の言うことはどこまで行っても正論でしかないんですね。部活辞めたら放課後も休日も自由になってええやん! 無理に家を継がなくてもいい、自分の進路は自由に決めていいんやで! でも、言われた本人からしたら、そんな簡単に割り切れる問題じゃないんだ!と言いたくなるわけですよ。かつて折木が言っていた言葉を借りるなら、「これはあれだ、大罪を犯している」*1。それは「傲慢」という大罪です。自分の理解力を過信して子どもの事を分かった気になっている。そして、子どものためを思って「正しい」ことをしようとして、その「正しさ」のせいで子どもを無自覚のうちに傷付けている。物語のラストで折木が怒りを覚えたのは、千反田さんの気持ちを理解した気になって実は何も理解していない周囲の大人達に対する怒りのためではないかと思います。

もちろん、千反田さんの親がとんでもない人だと言いたいわけではない。自分の将来は自由に決めなさい。自分のやりたいように生きなさい。彼女のお父さんは親として間違ったことは何一つ言ってないのです。でもね、お父さん、これまでずっと千反田さんの将来の可能性を潰してきたのは、他でもないあなたじゃありませんか。千反田さんの心の中ではもうとっくの昔から、家を継ぐという未来に向かう列車がスタートしているんです。それも新幹線なみの超スピードで。私は将来この家を継ぐことになるだろう、そしたら商品価値の高い作物を作って家と地域を守っていかなければならない、なので大学では農学を学ばないといけない、そのためには高校で理系を選択しといた方がいい、良い高校に入って1年の時から勉学に励むべきだ、そのために中学時代も頑張って勉強して……という風に、将来の姿から逆算して自分のすべき選択をしてきて、今ここに高校2年生の千反田さんがいるんです。文字通り「いまさら」、それをひっくり返して別の道があるよ、翼を広げて飛び立ってもいいんだよと言われても、千反田さんがかつて持っていた多くの「可能性」は、はるか前の過去に置いてきてしまっているのです!

いや、もちろん、千反田さんはまだ高校生なのだから、引き返して別の道に進んでもまだ全然大丈夫です。大学に入ってから将来やりたい事を考えても遅くはないでしょう。事実、そういう風に途中から別の道に進む人はたくさんいます。例えば、怪我のためにスポーツ選手になる夢を諦めたとか、そういう人はこの世に腐るほどいます。でも、今から道を引き返してしまえば、家を継ぐという未来を見据えて千反田さんがこれまで積み上げてきたことの何割かは、確実に無駄になるのです。その後退は、千反田さんの今後の人生において大きなハンデとなって一生ついて回るかもしれません。だからこそ、急に自由を与えられて、これから自分はどうすれば良いのか、どうすべきなのか、どうしたいのか、そんな疑問が頭の中に一気に押し寄せてきて、千反田さんはそれに耐えきれず、自ら蔵の中に閉じこもってしまったのでしょう。

千反田さんはあの後、発表会の会場へ向かったのでしょうか。彼女の性格からして、おそらく、向かうでしょう。私は、どちらかというと、歌詞は歌詞として割り切って歌えばいいやん、というタイプの人間です。また個人的な体験で恐縮なのですが、私は中学時代に選択教科で合唱をやっていたことがありまして、発表会でその練習の成果を発表する機会がありました。その時、私の同級生の何人かが、ヘラヘラしながらふざけ半分で歌っていて、後で先生からメチャクチャ怒られていました。そのとき歌っていた曲が『世界に一つだけの花』でした。あれ?この曲って「オンリーワンでええんやで」みたいな曲じゃなかったっけ(笑)。でも、私を含むほとんどの人は、歌詞は歌詞!発表は発表!ふざけて歌った生徒が100%悪い!と思うでしょう。でも、千反田さんはそういう風に割り切ることができなかった。どうしようもない怒りと悲しみと苦しみを抱えたまま、自由万歳!自由って素晴らしいね!という曲を歌わされるのです。そして、それを見て、千反田家の事情を知ってる周囲の大人はこう思うのです。ああ、千反田さんの娘さんも本当は自由になりたかったんだ。今、家から解き放たれて自由になって、幸せな気持ちでこの曲を歌っているんだろう。やっぱり自由って素晴らしいね!

大人になって人生を振り返ってみたら、あのとき引き返して良かった、別の道に進んで良かった、と思えることもあるでしょう。しかしそれは、やっぱり大人になってから初めて言えることであって、その場にいる当事者からしてみれば、別の道に進むというのはとてつもない勇気と覚悟が必要なのです。でも、大人にはその感覚がいまいち理解できない。若いうちはどんどん失敗して、いろんな道を行ったり来たりしていいんや、と気軽に考えてしまう。だから、千反田さんのお父さんが悪いというわけではない。誰が悪いと言うわけではない。でも、私が「誰が悪いと言うわけではない」と考えてしまうのもまた、私が大人になったからなのだろうか?

*1:遠まわりする雛』(角川文庫)、99ページ