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『シン・ゴジラ』感想―日本が世界に示した第3の道、それはパンドラの箱を開けたのか?

シン・ゴジラ』観て来ました。いやぁもう凄いとしか言いようがないですね。僕の中でNo.1の特撮映画ってずっと『ガメラ 大怪獣空中決戦』(1995年公開)だったのですが、それが更新されそうな勢いです。とにかくこの興奮が冷めないうちに記事を書きたいと思います。以下の内容はネタバレ全開なので、まだ見ていない方は決して読まないようにお願いいたします。

蒲田に出現した巨大生物

まず、本作で驚きだったのは、初登場時のゴジラの形状ですね。物語は、東京湾岸で謎の巨大生物が登場するところから始まるのですが、その時点ではまだ尻尾の一部が確認できるくらいで、一体何なのかよく分からない。やがてそれが、川を遡上し始めて、その勢いでボートやら橋やらが次々に飲み込まれていく。すでに他の方が指摘しているように、その光景はまるで、あの東日本大震災で発生した巨大津波を彷彿とさせます。そしてついに、蒲田付近で陸に上がった巨大生物は、我々が想像していたゴジラとは似ても似つかない姿をしていたんです。そいつは、例えるなら、全身ゴツゴツとした50メートル級のツチノコのような姿。しかも、巨大な口とエラがあり、地面を這うように動くという、実におぞましい姿をしています。

「え?なんやコイツ?」と観客が動揺している中、なんとこの未確認生物が急速に変身し始めるのです。日本政府が都市部で自衛隊の攻撃はできないとか、住民の避難がまだ終わってないとか、もたもたしてるうちに、そいつは手が生え、二本足で立ちあがるようになり、ここでようやく我々がよく知っているゴジラの姿になるのです。ゴジラの変身ということであれば、これまでのゴジラシリーズでもリトルゴジラとかゴジラジュニアとかが登場していたわけですが、今回のゴジラは水生生物から両生類的な姿へ、そして二足歩行のゴジラへと、わずか1日で劇的な「進化」をとげていて、進化学や生物学の常識が全く通用しない「怪物」として描かれています。

ゴジラ出現で右往左往する日本政府

ゴジラの変身シーンだけでも凄いのですが、最も特筆すべきはその見せ方にあります。まず映画の冒頭、東京湾アクアラインのトンネルが壊れて周辺から大量の蒸気みたいなのが噴出してきて、政府が「海底火山の噴火やな」とか言って国民に発表しようとしてる矢先に、主人公の矢口(官房副長官)が「いやネットの動画に変な巨大生物みたいなの映ってるで」と必死に訴えるんだけど、周りは聞く耳持たず結局「ただの噴火ですから安心してください」みたいな発表がされる。その後すぐに奴が川を遡上し出して「ほらやっぱ生物だったやんヤバいヤバい」ってなってるところで、今度は「あれは水生生物っぽい形してるから上陸はしないやろ」っていう御用学者の言葉を真に受けちゃって、環境省の若手女性官僚の「いやこれ上陸も有り得るで」という反論は無視され、「上陸はしませんから安心してください」みたいな記者会見をやりだす。その間にも、ゴジラは進化を続けていて、ついに蒲田に上陸して……。という感じで、政府の対応が後手後手に回っていく様子がこれでもかと映され続ける。

形式ばかりの会議で時間を費やしている間に被害がどんどん拡大して町中大騒ぎになってるのに、政府は「著名な生物学者を官邸に呼んでアイツの正体を確認しよう」なんて悠長なこと言ってて、案の定、呼ばれた生物学者も「分かりませ~ん」となり時間を浪費しただけに終わる。ようやく自衛隊に出動を要請しようということになるんだけど、「この場合って防衛出動は認められないんじゃね?」とか「市街地で自衛隊が武器ぶっ放すのは憲法違反じゃね?」とか「とりあえず住民の避難が終わってから攻撃に移ろう」とか、政治家と役人がああでもないこうでもないと議論を繰り返すばかりで攻撃が全然始まらない。で、ようやく軍用ヘリがゴジラの前にやってきて発射するという段階になるんだけど、ヘリのパイロットがまだ避難してないご老人を発見、その報告が超特急で官邸に上がってきて、総理は「攻撃中止!」と決断する。で、その直後にゴジラが進化して、周りのビルとかがもうメチャクチャに破壊されて、観客も「ああもうメチャクチャだよ!」とうなだれる。

そんな政治家や官僚たちの右往左往っぷりを、ゴジラそのものよりも多くの時間を割いて映しているのが、本作の序盤なのです。これはもう完全に、東日本大震災の時の首相官邸そのものですよね。事実、この事態は「想定外」すぎて法律やマニュアルもないし…なんて言い訳してる政治家も出てきます。

これがハリウッド映画なら、絶対にこういう描き方はしなかったでしょう。ハリソン・フォード演じる大統領が強いリーダーシップをとって国民を導き、メリル・ストリープ演じる参謀役が大統領に的確な情報を与え、デンゼル・ワシントン演じる軍司令官が見事な手腕で現場を動かす。でも、日本には、そんなリーダーは誰一人いないんだ…。本作はまさに、大災害の象徴であるゴジラが出現した時、日本政府はどうなるのか、という問題に対する最もリアルで明確な回答になっているのです。

街を破壊し尽くすゴジラ、そして、絶望

さて、蒲田や品川で大暴れしたゴジラは一旦海に戻り、日本政府が次こそ万全な体制でゴジラを迎え撃とうと準備を開始します。矢口率いるチームがゴジラの解析を行い、自衛隊も準備を進めます。そしてついに、ゴジラが今度は鎌倉に上陸、神奈川を縦断し東京に迫ります。自衛隊は多摩川の河川敷でゴジラを殲滅しようとします。軍用ヘリと戦車とミサイルを大量投入しますが、ゴジラには傷一つ付けることができません。とうとう多摩川を突破され東京に侵入してきたゴジラ。住民の避難が完了していないということで攻撃は一時中断、政府機能も立川の広域防災基地へ向けて移転を開始します。日本政府の対応に痺れを切らした米国は、B-2爆撃機によるゴジラ攻撃を決定。日が暮れた後、東京のど真ん中でゴジラと米軍が対峙します。爆撃機がゴジラに傷を負わせて「お、いいぞ」となった次の瞬間、観客全員が言葉を失うような衝撃的シーンがやってきます。

ゴジラが口から白いガスのようなものを出して、それがドライアイスみたいに街中に広がっていく。やがて、ゴジラの口から真っ赤な炎が噴き出し、白いガスに引火したかのように街が一瞬で炎に包まれます。真っ赤な火炎放射は、やがて黄色い光線となり、その光線に当たったビルや爆撃機は粉々に砕け散る。さらにさらに、背びれの間からも同様の光線が無数に放出され、街も、爆撃機も、閣僚たちが乗ってるヘリコプターも、あらゆるものが砕け散り、炎に包まれていく……。この瞬間、私はただ茫然自失となり「あ…終わった…日本終わった…」とつぶやく事しかできませんでした。

これまでのゴジラというものは、言うなれば「竜巻」のようなもので、通った所だけ局所的に破壊していくものでした。要するに、「悪い子はいねがー」と暴れまくる妖怪を見ながら、人々が「こっちくんな、こっちくんな」と祈ってるのが、それまでのゴジラの襲撃だったわけです。でも、火の海になった東京を悠然と闊歩するゴジラを見て、「運が良ければ助かるかも」という希望的観測は一瞬で消し去ります。それは、日本に襲い掛かった圧倒的な「絶望」に他なりません。

初代『ゴジラ』とオキシジェン・デストロイヤー

エネルギーを使い果たしたゴジラは東京駅付近で休眠状態に入ります。その間にゴジラを抹殺しようということで、国連やアメリカはゴジラに対する核攻撃を強く主張、2週間後に核攻撃を開始すると日本政府に通達します。矢口やカヨコ(米大統領特使)は、唯一の戦争被爆国である日本で再び核を使用することに反対し、別の道を模索します。矢口のチームによるゴジラの解析によって、ゴジラのエネルギー源は体内にある核融合炉であり、それが正常に作動するためには血液の循環が不可欠であるということが判明。そこで、血液凝固剤をゴジラに経口投与しゴジラの活動を停止させようという計画がスタート。さらに、とある科学者が残した解析表をもとにして、ゴジラの細胞膜に作用し血液凝固剤の効果を高める物質も発見されます。こうして、ゴジラに対する人類の反撃が始まるのです。

ゴジラをよく知ってる人なら、ここまでのストーリー展開が完全に、1954年に公開された初代『ゴジラ』と同じである、ということに気付いたでしょう。最初のゴジラ上陸で、日本人がゴジラの恐ろしさを思い知らされる。そして、国を挙げて次の攻撃に備えるためにあらゆる手段を尽くす。でも2回目の上陸で東京は火の海になり、日本の持てる力を全て使い果たしてもゴジラには敵わないことが分かり、人々は絶望感に包まれる。そんな時、一発逆転の「最終手段」が登場、人類はそれに一縷の望みを託してゴジラとの最終決戦に臨む。どうでしょう。まさに『シン・ゴジラ』と初代『ゴジラ』は瓜二つだと思いませんか。

初代の『ゴジラ』においてゴジラと対峙するための「最終手段」となったのは、言うまでもなくオキシジェン・デストロイヤーです。それは、その名の通り、水中の酸素を一瞬で破壊し、その場にいる生物を白骨化させる大量破壊兵器です。オキシジェン・デストロイヤーの使用、それは、人類が核兵器以上の強大な力を手にすることを意味する、まさにパンドラの箱だったのです。しかし開発者の芹沢が、その箱を開けることを許しませんでした。映画を見た方ならご存じの通り芹沢は、オキシジェン・デストロイヤーに関する全ての資料を破棄し、ゴジラとと共に自らも命を絶つことによって、この技術が悪魔の手に渡ることを食い止めたのです。

ラジオの実況が人類の勝利を高らかに喜ぶ傍らで、芹沢の婚約者だったヒロインが泣き崩れる、そんな印象的なシーンで初代『ゴジラ』は幕を閉じます。それは到底、勝利などと呼べるものではない。人類は今こうしている間にも自らの持つ力によって自らを滅ぼしかねない、そんな薄氷の上を歩いているのだという怖ろしい事実が、観客に突きつけているのです。

科学技術観の変化と核抑止論

一方、『シン・ゴジラ』では、2つの道が提示されました。そのうちの一つが、ゴジラに対して核兵器を使用するというものでした。21世紀の現代において、オキシジェン・デストロイヤーや芹沢博士のような人物が登場することは有り得ません。何故ならば、現代において何か新しいものを作り上げようとした時に、たった一人の科学者だけで完結するなんてことはまず有り得ないし、他を圧倒する突出した「天才」という存在も誕生しにくくなっているからです。というか、1954年の時点で、芹沢氏のような科学者像はフィクションの世界にしか存在していなかったんですけどね。

よく考えてみれば核兵器というもの自体が、米国がその当時の最高の科学者・技術者・開発資金・開発環境をそろえて国策として作り出したものですよね。開発に決定的に大きな役割を果たした何人かの科学者はいましたが、原爆は彼らだけで開発されたわけではなく、おそらく何千何万という技術者や政治家が関わっている。そんな大きな流れの中では、科学者個人の倫理観なんて一瞬で吹き飛んでしまうんですね。よしんば誰かが開発を拒否しても、また別の誰かがその代わりに原爆を開発するだけです。

だからこそ、核やその他の大量破壊兵器というものは、一度でも使ってはいけないんですよ。現実の社会に芹沢氏は存在しないので、「今回だけだから」は絶対に通用しない。通常兵器では敵わない強力な怪獣を倒すため、それは、大義名分としてはこの上ないものです。けれどもどんな理由であれ、一度でもそれを使ってしまったら、きっと人類はその甘い味を忘れられなくなる。これからますますその甘い誘惑に抗えなくなって、社会は再び混沌に包まれるでしょう。

日本の技術者魂が生み出した「第3の道」

しかし本作では、オキシジェン・デストロイヤーと核兵器に代わる「第3の道」が用意されました。それは、1人の天才が作り上げた最強兵器ではない。圧倒的なパワーを持つ大量破壊兵器でもありません。ただ、世界中のスパコンを使ってゴジラを解析し、日本中のプラントを総動員して血液凝固剤を作り、それを東京まで運び、作戦決行までに万全の準備を整えるだけ。そこには芹沢博士に相当する人はいません。ただ、各人が自分の置かれた環境で自分のできる事を実行し、それらをチームプレーと創意工夫によって統合していく。地味で根気のいる作業ですが、結局、日本人にはそれしか無いのです。

僕は今回の熊本地震を経験して、その事を本当に実感したのです。地震が発生した直後から、国と県が指揮を取り、消防・警察・自衛隊が被災地に入り、救出作業を進めて行く。わずか数日後には、スーパーにおにぎりや飲料水やパンやお惣菜やその他日用品が山のように並べられる。あっという間に主要な道路や鉄道が復旧し、復興に向けた準備が進行していく。もちろん、全てが完璧に機能しているわけではないし、完全な復興にはまだまだ時間がかかるでしょう。でも、何か緊急事態が発生した時に、まるで人が変わったかのように一致団結して、普段なら考えられないくらいの猛スピードで突き進んで行ける。こんなことのできる国が、日本の他にあといくつあるのでしょう。

本作においてゴジラとは、人類の愚かさによって生み出された核兵器の象徴であると同時に、人類が決して逃れることのできない大災害の象徴でもあるのです。そして、その脅威に対抗するために日本という国が取るべき道は、結局、上で述べたような地道で泥臭い「第3の道」しかないのです。それを可能にするのは、その場にいる一人ひとりの「この国を救いたい」という思い、もっと突き詰めるならば「愛国心」と言っても過言じゃないでしょう。

細かいことは気にしちゃいけないクライマックス

さあ、映画のクライマックス、日本の持てる技術を全てつぎ込んだゴジラ冷温停止作戦、通称・ヤシオリ作戦が始まります。映画を見た方なら分かると思いますが、このシーンの圧倒的熱量を上手く文章にすることは到底できません。でも、あえて言葉で表すなら、まあこんな感じです。

無人新幹線爆弾、ドーン!

無人爆撃機、ドーン!!

高層ビル爆破、ドーン!!!

ゴジラが倒れた! 今だ! 凝固剤注入!

またゴジラが動き出したぞ!

無人在来線爆弾、ドーン!!!!!

よし! とどめだ! 凝固剤注入!

……なんというか、もう何でもありのハチャメチャ状態です。「なんかCGがショボい」「無人在来線爆弾って何だよ」「ゴジラが都合よく血液凝固剤を飲みんでくれるとか有り得ないだろ」「無人在来線爆弾って何だよ」「周囲に瓦礫散乱してるのによくあの車ゴジラに近づけたな」「無人在来線爆弾って何だよ」などなど、色んなツッコミどころが登場してきますけど、

こまけーことはどうでもいいんだよ!

ここは、21世紀に生きる我々がゴジラと対抗する唯一の手段を提示する場面なんだ! 人類を破滅に導く核兵器でもない、1人の天才科学者でもない、他の誰でもない、名もなき日本人全員が、力を合わせて脅威に立ち向かいそれに勝利する! この圧倒的な熱量の前にしたら、数々のツッコミどころの存在なんて小さ……くはないけれど、まあ、心の片隅に追いやってしまえるくらい、すごいシーンだったと思いますよ、うん。

日本は「パンドラの箱」を開けたのか?

こうして東京駅付近で冷温停止状態となったゴジラを見つめて「我々はゴジラと共存していかなければならない」と言う矢口。東京の中心でいつまた暴れ出すかも分からない強大なエネルギーと共存せざるを得なくなった劇中の日本人。その姿を見て、観客は福島第一原発のことを思わずにはいられません。原発推進派だろうが反対派だろうが関係なく、日本人一人ひとりが今後何十年と向き合わなければならない「現実」を叩きつけて、この映画は幕を下ろします。

でも、映画を見終わってしばらくすると、私の中で一つの疑問が湧きあがります。果たして、ヤシオリ作戦は成功だったのだろうか。ヤシオリ作戦は、現代におけるオキシジェン・デストロイヤー(=核兵器に代わる大量破壊兵器)を生み出したのではないだろうか。日本は、結局のところ、ゴジラを制圧することによって「パンドラの箱」を開けてしまったのではないだろうか。

確かに、ヤシオリ作戦で使われている技術一つ一つは、人類を破滅に導くような強力な新技術ではありません。でも、たとえ既存の技術の寄せ集めであっても、それによってゴジラという強大な力を制御することに成功した。これはもう、とてつもない「新技術」と言って間違いはないと思います。

例えば、この技術を応用して、ゴジラの持つ強大なエネルギーを発電に利用しようとしたら、どうなるだろうか。そうすれば、原発を使うよりもはるかに安くて簡単に電気を生み出せるかもしれないけれど、ひとたび大事故が発生すれば日本だけでなく世界全体が滅びてしまう、そんな危なっかしいものに日本や世界が依存せざるを得ない状況が作り出されるのではないだろうか。

例えば、ゴジラの休眠と暴走を自在にコントロールできる技術が出来たら、そして、ゴジラの「進化」ですらコントロール可能になり、小型化したゴジラを自由に移動させることができるようになったとしたら、どうなるだろうか。そうなった時、日本は、核兵器以上に強大な、今度こそ本当に人類を破滅に導くであろう大量破壊兵器を手にすることになる。

もちろん、反核の誓いを破って東京を放射能まみれにするよりも、ヤシオリ作戦による冷温停止の方がはるかに優れた選択だとは思う。けれども、たとえそれが日本のためという純粋な善意の結果であっても、長期的に見ればそれがとてつもない破滅をもたらすという危険性は確実に存在する。原爆の開発者ですら、きっと、最初は「祖国を救いたい」という純粋な気持ちでそれを開発したのだ。

果たして、日本は「パンドラの箱」を開けたのだろうか。その答えがどうなるのかは、今後の日本や世界の対応にかかっている。そして、その問いに答えを出すことができるのは、矢口やその仲間たちではなく、彼らの何十年か後に生まれる次の世代の人達なのだ。

『どうでもいい 世界なんて』感想

主人公の上司がウェイウェイ系の戦闘科メンバーに連れて行かれるところとか、青色LEDで装飾されたまるでイカ釣り漁船のような営業車が登場するところとか、腹を抱えて爆笑した。よくもまあ、こんなにも笑える場面を思いつくものだ。こんな感じで、全編通して渡航節全開といった感じでした。というか、内容の半分くらいは作者の営業職時代の実体験が元になってんじゃねえかってくらいリアルで、そこもまた笑えました。

やはり俺の青春ラブコメはまちがっている。』でも言えることですが、渡航作品の面白みって、傍から見ると実にバカバカしい有り得ない理不尽なことが、日本的な同調圧力とか場の空気みたいなものの中で正当化されていて、しかも主人公はその異常性に気付いているんだけど何やかんやでそこから抜け出せない、みたいなどうしようもない状況を、終始淡々とだけどコミカルに綴っていく独特の文章にあると思うんですね。みんなが理性的で論理的整合性のある行動をしていれば多くの人がもっと生きやすい社会ができるのに、結局どこまで行っても人間はその場の雰囲気とか単純な好き嫌いとか保身とか目先の利益とかに惑わされてしまう生き物で、そのせいで我々人間は日夜しょうもない面倒事に巻き込まれ、時間と労力を取られて疲弊していく。そんな人間社会の有り様を、主人公のシニカルでどこか達観した目線から眺めることで、ああ人間とはなんて愚かで滑稽な生き物なんだろう、という認識を新たにするのです。

主人公・千種霞の労働観を一言で表すなら「仕事が人を狂わせる」ということに尽きると思います。極端な成果主義に走り、使えない人間を容赦なく切り捨てる弱肉強食のシステムを敷く戦闘科。その戦闘科に対抗する中でブラック企業と化していく生産科。そんな争いを見ておかしいと思いつつもそこから逃れることのできない霞。彼が朝顔のロビー活動に協力しているのは、全て、自らの置かれた厳しい状況を変えるため、そして、愛する妹の傍にいても恥ずかしくない自分になるためでした。けれども、そのための手段として彼に課せられるのは、上司からの理不尽な要求と、いつ終わるとも知れないサービス残業なのです。彼自身は延々と最善手を指し続けているのだけれども、状況は一向に改善しないどころか、もうすでに詰んでいるのかもしれないという、何とも言えないやるせなさ。この描写こそ、渡航作品の真骨頂と言えるのかもしれないですね。

今後のアニメと、本作の第2巻の発売が待ち遠しいです。

『この美術部には問題がある!』に出てくる今期アニメで一番可愛いキャラクター

今日は個人的に今期アニメで一番可愛いと思うキャラクターについて話したいと思います。

その子はアニメ『この美術部には問題がある!』に出てくるキャラクターでして、アニメが始まる前から「このアニメはキャラクターがとにかく可愛い!」と評判になっていましたが、本当に予想以上の可愛さでしたね。

いやもうホント、可愛くて仕方がないんです!

マジで抱きしめたいんです!

内巻すばる君が可愛すぎて生きるのが辛いんですよ!

かなり明るめの茶髪と、まだ幼さを残す顔、いつも着てるオレンジ色のパーカーと制服。もう外見の時点で可愛すぎるんですが、声を担当しているのが、小林裕介さんというのもいいですよね。小林さんはこれまでにも、『selector infected WIXOSS』の香月君や『SHIROBAKO』の平岡さんなど、可愛い青年の声を担当していますが、すばる君の可愛さを前面に引き出す演技を見せてくれています。

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宇佐美さんのパンツを見ても慌てることなく飄々としてるのがまた可愛いんですが、そんな彼が時折見せる笑顔がもう「萌え萌えキュン」っていう感じです。泣かせたい、その笑顔!

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可愛い子にはちょっかい出したくなる心理というのがありますが、すばる君はもう見てるだけで苛めて泣かせたいオーラが漂ってるんですよ! いろいろ困らせて遊びたいんですよ! きれいな女の子に襲われて赤面してるすばる君が見たいし、服を無理やり脱がされて涙目になってるすばる君が見たいんですよ!

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他にも色々と萌えポイントがありまして、まず第一に、二次元嫁の絵を描いてる時の真剣な眼差しが、普段とのギャップですごく萌えます。あと、一人称が「ぼく」なのも個人的にポイント高いです。そして、宇佐美さんと並んだ時もあまり身長が変わらない、この小柄な感じもまた非常に素晴らしいですよね。

某アニメ監督も「最近のアニメはおちんぽしゃぶりたくなるキャラクターがいない」と言っていましたが、久しぶりにしゃぶりたくなる可愛いキャラが登場してきましたね。というわけで、これからも内巻すばる君に注目しながらアニメ『この美術部には問題がある!』を楽しく見ていきたいと思います。

『女の子が完全なる恋愛にときめかない3つの理由』考察

う~ん、なんかよく分からない作品だった。でも、決して面白くないわけではない。生徒会の恋愛利権を侵したために部活を追われた主人公・神崎は、雑用係の夕凪とともに、亜衣が代表を務める恋愛コンサルタントサークルを手伝うことになる。生徒の恋愛をサポートしたり、恋人を探している者が集うSNSを運営して金を巻き上げようとしたり、それに失敗して地下監獄に入れられたり、AIと恋愛して修羅場を経験したりと、場面は目まぐるしく変わっていくが、終始淡々とした文章が続く。すごく不思議な作品だ。

一見すると、一つ一つのエピソードには繋がりがないように感じられる。しかし、この作品で描かれていたのは、「愛」というものの価値が徹底的に揺さぶられている様だったように思うのだ。作中において、愛は市場で売買される商品に過ぎない。愛も、その他の多くの物やサービスと同じように、人が時間とお金をかけて人工的に作り出すことができる。それも、侮蔑や嘲弄といった、愛とは似ても似つかない感情の中から、まるで錬金術のように生み出すことができる。自動販売機のような人工物の中にすら、愛は芽生える。そのような愛にまつわる光景は、カメラによっていつでもどこでも視聴可能であり、学園内でエンターテインメントとして消費されている。

これはまさに、現代社会における「愛」の諸相と全く同じではないか。出会い系サイトやSNSやその他の様々なシステムにおいて、実際に愛は売買されている。芸能人の結婚・離婚・不倫といったニュースは、テレビやネットを通じて世界中に拡散していく。そして、実際にAIに恋をしている人間も存在する。本来は聖なるものである(と皆が思いたがっている)「愛」というものは、この資本主義社会の中ではビジネスの対象、絶え間なく生産・消費される商品に過ぎないのだ。

という風な作品理解の仕方は、ちょっと考え過ぎだろうか。でも、ここまで考えて作られた作品だとしたら凄いなあ。

科学技術関連で最近気になった記事など(その1)

科学の「再現性」が危機に瀕している

科学の「再現性」が危機に瀕している - GIGAZINE
脳に関する研究結果に誤りの可能性? fMRIのソフトウェアにバグを発見 ─欠陥はすでに修正も残る不安 | Forbes JAPAN(フォーブス ジャパン)

大学とかで研究に関わってる人なら身を持って感じていると思いますが、やはり、in vitroからin vivoへ、アナログ計器からコンピュータを用いた分析手法へと、系が複雑化するに従って再現性をとることが難しくなっていく傾向というのは確実に存在しますよね。

科学と再現性という話題で言えば、STAP細胞の件が一時期大きな騒動になりましたが、あれは結局、論文不正のやり方があまりに杜撰だったし、大々的に発表が行われて社会的インパクトが極めて大きかったため、すぐに問題点が明るみに出たわけです。しかし、それほど注目されない(他の研究者が再現実験をしようと思わない)論文であったり、より巧妙に不正が行われていたりした場合には、たぶん不正を見抜くことはかなり難しいのではないでしょうか。というわけで、STAP細胞論文ほど酷い例はそうそうないにしろ、再現できない論文っていうのはそこら中に転がっていると思いますね。

カマキリの交尾後の共食い

カマキリの交尾後の共食い、卵の栄養に 視覚的に確認 写真1枚 国際ニュース:AFPBB News

カマキリのオスが交尾後にメスに食べられることによって、栄養が卵に行って子孫を残しやすくなることが確認された、という内容の記事。私が注目したのは、この記事の最後にある「自然界では、雄のカマキリが交尾の際に雌によって捕食される確率は約13~28%」という記述。100%ではないというのがまた面白いですよね。

卵を産むために多くの時間とエネルギーを消費するメスとは異なり、オスの場合は比較的簡単に精子を作れるので、なるべく多くのメスと交尾した方が子孫をより多く残せそうな気がします。しかし、栄養不足によってメスの体内で卵があまり生産されないのだとしたら、かえって子孫の数は減少してしまうかもしれません。なので、交尾する回数は減ってしまうけれども、確実に子孫を残すためにメスに食べられるという選択をするケースも考えられるわけですね。野性のカマキリでは、食べられない・食べられるの両方が見られるということなので、やはりどちらの戦略ともそれなりの利点(と欠点)があって、進化の過程で自然淘汰されることなく今日まで共存し続けているということなのでしょう。

あるいは、若くて体力のあるオスは交尾の後に逃げて他のメスとまた交尾をするけれども、もう寿命が近づいてるオスは食べられることで今ここにいるメスに全てを託すという選択をするのかもしれません。

ウィルスも免疫系を持っている!

巨大ウイルスにもCRISPR様の「免疫系」が! | ネイチャー・ジャパン

CRISPRっていうのは以前の記事でも書きましたが、近年注目されている遺伝子改変ツールの名称です。これは元々、細菌が持っている免疫システムを利用した技術です。このCRISPRに似た免疫系がミミウイルスでも見つかったというのが、この記事の内容です。このミミウイルスというのは、生物学的にはウイルスに分類されるのですが、遺伝子を980個も持っていて、一般に「巨大ウイルス」と言われているものですので、こういった免疫系を持っていても何ら不思議ではないと思います。

哲学的な言葉を使えば、免疫とは「自己」と「非自己」を見分けるシステムのことだと言えます。現代の生物学では生物には分類されていないウイルスですら、自己と非自己を見分けることができるというのは、大変興味深いことです。中屋敷均さんという方が著書『ウイルスは生きている』の中で、ウイルスも生命と見なしていいのではないか、と述べられていましたが、今回の発見はそういった考え方をより補強するものであると言えます。

現代の生物学では、生物の定義として「内と外を分ける境界線があること」「自己複製能力があること」「代謝を行うこと」などが挙げられますが、ウイルスは他の生物の力を借りなければ増殖できないため、生物とは見なされていません。しかし、巨大ウイルスの発見と、今回の「ウイルスにも免疫系がある」ということの発見などを通して、生物の定義が変わっていくかもしれません。

上の著書の中では、ある科学者が提案した「生物とは、ダーウィン進化をする能力を持つシステムのことである」という定義が紹介されており、これは「なるほどな」と思いました。この定義に従えば「ある種の細胞小器官とか、人工知能を持ったロボットとかも、もしかしたら生物に含まれてしまうのではないか」という議論が出てくるでしょう。しかし、そういった議論の余地はあるにせよ、生物の定義はこれで良いんじゃないかと思います。何年後か何十年後になるかは分かりませんが、たぶん、これが一般的な生物の定義として定着するんじゃないでしょうか。

ウイルスは生きている

ウイルスは生きている (講談社現代新書)

ウイルスは生きている (講談社現代新書)

上でも紹介しましたが、この本面白いですよ~。特に、シンシチンという胎盤形成に必要な遺伝子がウイルス由来の遺伝子だった(つまり、我々の祖先がウイルス感染によって胎盤を作る能力を獲得し、それによって我々哺乳類が誕生したということなのです!)という話は実に興味深いですよね。

その他にも、ウイルスやトランスポゾンが発見されるまでの物語、ウイルスが増殖する仕組み、生物の進化においてウイルスが果たした役割、といった内容をかなり深いところまで掘り下げてあって読みごたえがあります。まさか、一般向けの新書で、分子進化工学なんて単語が出てくるなんて思っても見ませんでしたよ。

CRISPR領域の発見者

遺伝子操る「ゲノム編集」 技術のルーツに日本人:朝日新聞デジタル

当時阪大にいた中田篤男さん、石野良純さんらが細菌のゲノム中に奇妙な繰り返し配列(CRISPR)を発見。21世紀に入り、ダウドナとかシャルパンティエといった海外の研究者がさらに研究を進め、CRISPRを利用した遺伝子改変ツールを作りだしたわけです。これは、下村脩さんがクラゲの研究の中でGFPを発見し、その後ロジャー・チエンらがGFPを生物学研究に応用していった、という流れとよく似ています。

この件について、「日本が基礎研究に投資したからこそ画期的な技術革新ができた→だから基礎研究が大事」と見るか、「せっかく日本人が発見したのにその後の成果は全部海外に取られて残念→だからもっと応用を見据えた研究をすべき」と見るか、それは人によると思います。

余談ですが、Cas9・ガイドRNA・標的DNAからなる複合体の構造を解明したのも実は日本人だったりします(参考記事)。

北川進 京大教授

受験と私:京都大教授の北川進さん 「やりきって達成感を」 - 毎日新聞

上の記事とは直接の関係は無いのですが、記事を見て思い出したことを一つ。私は一度だけ北川進さんの講演を聞いたことがありますが、私のような素人にとっても分かりやすく、それでいてすごく内容の濃い、素晴らしい講演でした。

大学に長くいると有名な科学者の講演を聞く機会も結構あるのですが、その中には、まあ酷いものも有ります。何言ってるのかさっぱり分からない退屈な講演をする人もいました。科学とは何の関係もない自慢話を延々と語るだけの人もいました。講演中に独りよがりな持論を展開して「だから日本の文系研究者はダメなんだ」と悪口を言い出す人もいました。繰り返しますがこれらの例は全て、あまり名前の知られてない普通の研究者ではなく、ノーベル賞候補と言われている超有名な先生の話です。

でも、北川進さんの講演は全然違いました。「19世紀から20世紀は石炭(固体)と石油(液体)の時代」「でもこれからは空気などに含まれる分子を自由自在に分離・回収して様々な用途に使っていく『気体の時代』が来る」「でも気体の分離・回収はすごく難しい」「特に窒素と一酸化炭素を分けることは物凄く難しい(つまり空気と一酸化炭素が混ざってしまうとそれを再び分けることは不可能に近い)」「でも配位高分子なら分子設計次第でいろんな気体を分離できる」「分離だけじゃなくて貯蔵とかその他の用途でも使える」――そういったことを一から順に分かりやすく説明していくので、北川の頭の中にある研究のビジョン、それを達成するための戦略、その成果、そういったことが短時間でスッと頭の中に入ってくる。終わったあと、凄く有意義な時間を過ごせたなあと思える講演でした。

優秀な高校生が医学部ばかりに行ってしまう問題

優秀な高校生が医学部ばかりに行ってしまってよいのだろうか - 語られない闇を語る

医学部ばかりに人気が集中してしまうことの弊害として、記事の中で「本来なら工学などで凄い実績を残せた人が普通の医者になりかねない」というのが挙げられています。確かにそういう側面もあるでしょう。でも、記事にあるような「普通の医者」ならともかく、医学研究をやる場合には工学の知識がメッチャ必要なんじゃね?とも思ったりする。例えば、MRIとか人工関節とか人工心臓とか、最先端の医療機器っていうのは工学の知識がないと研究開発できないし、それらは日本が苦手としている分野でもあるよね。

だから、数学や物理の素質がある人がじゃんじゃん医学部の方に入ってくるのは、確かに他の分野にとっては困るのかもしれないけど、決して悪いことばかりではないのかなあと思いました。

シャープが開発した18万円の電子レンジ

会話ができるようになったシャープのオーブンレンジ「ヘルシオ」、天気や食材に合わせて献立を提案 - 家電 Watch

いや~、なんか目の付け所が全然シャープじゃないなあと個人的には思うんですけどねぇ。電子レンジに18万も出す物好きが一体何人いるんだろう。ましてや、日本より物価の安い新興国では、なおさら売れないと思うんですけど。

アニメ『サイコパス』で描かれていたような、人工知能と家電が連動して生活をサポートする未来(たぶん50年後とか100年後の話)を見越して、こういう家電を開発してるのであれば、まあ、それはそれで悪くない選択だと思います。そんな遠い未来までこの会社が存続しているとは思えないけど。

A380の生産縮小

エアバス、A380の生産大幅減へ 航空会社の戦略変化:朝日新聞デジタル

う~ん。どうするんだろうなあ。全日空A380をホノルル便に就航させるとか言っているけどねえ。なんか、エアバススカイマークANAで機体の押し付け合いしてるだけじゃね?と思ってしまう。

CTC検出

日立化成、血中循環がん細胞に関して米MDアンダーソンと4年間の戦略的提携 | マイナビニュース

血中循環がん細胞(CTC)を用いたガン診断がなかなか普及しないのは、結局のところ、血中にいるガン細胞がごく微量で、それを特異的に検出(捕捉)するのが難しい、という点に尽きると思ってます。

しかし、こういった診断薬というものは、体内に直接投与するものではないので、臨床検査や認証手続きの期間が通常の薬より短いとされています。そのため、何か画期的なアイディアさえあれば、実用化まで一気に進んで大きな利益を得られるかもしれません。なので近年は、あまり医療とは関係のない分野の会社まで、こぞってCTCとか遺伝子診断とかに手を出してるのだと思います。

通潤橋の修復

通潤橋復旧へ義援金募集 山都町-熊本のニュース│ くまにちコム

熊本城も大事ですが、こちらの修復作業も必要ですね。でも私は、たとえ修復が終わっても、もう放水は行わないようにすべきだと思うんですよ(少なくとも年数回とか、それくらいの頻度にすべき)。

通潤橋は、水不足の土地に農業用水を行き渡らせるための水路橋で、あの放水は水路に土砂などが溜まらないようにするために行うものです。ですので、あんな頻繁(去年は年間100回程度)に放水することを想定して作られてるものじゃないですよね。放水の時の振動などは確実に橋にダメージを与えるわけですから、文化財保存の観点からももう止めた方が良いでしょう。これは天皇陛下の生前退位の話題と同じで、もうちょっとご公務の負担を減らした方が良いんじゃねえの?っていう話です。

妊娠検査薬の科学

妊娠検査薬 (にんしんけんさやく)とは【ピクシブ百科事典】
妊娠検査薬とは (ニンシンケンサヤクとは) [単語記事] - ニコニコ大百科

ピクシブの記事を見て興味が湧いたので調べてみました。

人が妊娠すると、胎盤からhCG(ヒト絨毛性性腺刺激ホルモン)というホルモンが分泌されます。一般的に市販されている妊娠検査薬は、尿中のhCGを検出することで妊娠の有無を調べるものです。検査キットに尿を付けると、尿中のhCGとキット内の標識抗体が結合します。その状態で、尿が紙の上を浸透していき、判定ライン(紙上にhCG抗体がたくさん固定化されてるところ)上を通過します。もし、尿中にhCGが含まれているならば、標識抗体によって赤くなったhCGが判定ライン上のhCG抗体に捕捉され、ラインが赤く見えます。ちなみに、もう一本のラインは、コントロール(測定が正しく行われたかどうかを確かめる)用のラインです(参考記事)。

ライン上の赤色は、標識抗体に結合している金コロイド(つまり金の微粒子)の色です。Pixivやニコニコ静画によくある妊娠検査薬を持った艦娘のイラストを見て喜んでいる閲覧者たちの果たして何割が、その興奮の元となるあの赤いラインが煎じ詰めればただの金コロイドでしかない、という事実を理解しているのでしょうか。