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『キルラキル』と『利己的な遺伝子』

利己的な遺伝子 (科学選書)

利己的な遺伝子 (科学選書)

リチャード・ドーキンスは著書『利己的な遺伝子』の中で、生命とは遺伝子が次世代に情報を伝達するためのヴィークル(乗り物)なのだと述べた。誕生して間もない地球の海の中で生命の元となる物質が作られ(あるいはそれは宇宙空間で作られたのかもしれないが)、それらの中からやがて、自らのコピーを作り出す能力を持った物質――自己複製子が生まれた。それらの分子の中で、化学的に不安定であったり、自己複製能力が弱い分子は淘汰され、より安定で複製能力の高い分子が残っていった。さらに、様々な刺激から身を守るための有機物(脂質やタンパク質)の膜を持つ自己複製子が現れた。また、自らの生存に有利になるように他の自己複製子を攻撃するものも現れただろう。このような事が繰り返し起こり、よりたくさんのコピーを作り出せる自己複製子だけが生存競争に打ち勝ち、次世代に引き継がれていった。このようにして、自己複製子とその周りの有機物から成る複合体は、どんどん巨大で複雑なものになっていった。もうお分かりだろう。この自己複製子こそが今日「遺伝子」と呼ばれているものであり、それを含む複合体こそが最初の細胞、すなわち生命だ。その生命の中には、より生存に有利になるようにコロニーを作って共同生活を始めるものも居ただろう。それはやがて、多細胞生物となり、その中から私たち人間が生まれた。

つまり、人間を含むありとあらゆる生命とは、突き詰めて考えれば、遺伝子の表現型の効果として現れてきたヴィークルに過ぎないのだ。そして、遺伝子の表現型効果は時として、ヴィークルのはるか外側にすら及ぶことすらある。ドーキンスは、クモの巣、ビーバーの作るダム、宿主の行動を操作する寄生虫、石を使って巣を作るトビゲラの幼虫などの例を用いて説明している。

遺伝子は、一つのタンパク質のアミノ酸配列を決定し、それがXに影響を及ぼし、それがまたYに影響を及ぼし、それがまたまたZに影響を及ぼし、そして最終的に種子のしわや神経系の細胞の配線に影響を及ぼすというわけである。トビゲラの巣はこういった因果の系列をさらに先まで延ばしていっただけにすぎない。石の固さは、トビゲラの遺伝子の延長された表現型効果なのである。もし、豆のしわや動物の神経系に影響を及ぼす遺伝子について語ることが正当ならば(すべての遺伝学者はそう考えている)、トビゲラの巣の石の固さに影響を及ぼす遺伝子について語るのもまた正当でなければならない。これはとんでもない考え方ではないか! しかし、このような推論からのがれることはできないのだ。*1

この考えを用いれば、ある種の寄生虫がカタツムリの体を乗っ取ってその行動を制御するのも、寄生虫の遺伝子が自己のヴィークルを超えて他のヴィークルに影響を及ぼした結果だと言えるだろう。また、ビーバーが木の枝などを使ってダムを造るのも、遺伝子がヴィークルを超えて周りの環境に影響を及ぼしたためと説明できるだろう。このような「延長された表現型効果」のことを、ドーキンスは「遺伝子の長い腕」とも述べている。そして、この考え方が指し示す事とは、我々の体=ヴィークルの「輪郭」というものが極めて曖昧であるという事実だ。

生命物質を離散的なヴィークルへ包み込むことは、あまりにも際立った頻出する特徴となったため、生物学者がこの世に登場し、生物に関する問いを発しはじめたとき、彼らの問いはもっぱらヴィークル、つまり生物個体に関するものとなった。生物学者の意識にはまず生物個体がのぼり、自己複製子(現在では遺伝子として知られている)は、生物個体が用いる仕掛け(マシネリー)の一部とみなされた。生物学をもう一度正しい道に戻し、歴史においてだけでなく重要性においても自己複製子が最初に来るということを肝に銘じさせるためには、意識的な精神の努力が必要である。*2

さて、前置きが長くなったが、ここから話題を『キルラキル』に移そう。生命繊維による人間の支配とは、言い換えれば、「遺伝子の長い腕」によって人間というヴィークルが操作されたという事に他ならない。寄生虫の遺伝子がカタツムリの行動に影響を及ぼしたのと同じように、生命繊維が人間というヴィークルを操っているのだ。しかし、生命繊維による支配を望んだのは、他でもない人間自身の遺伝子なのだ。複数の遺伝子が、自らの生存のために同じヴィークルに相乗りすることは、ごく当たり前に行われている。確実に獲物を仕留める強力な歯を作る遺伝子と、猛スピードで走るための強靭な足の筋肉を作る遺伝子とが相乗りしたからこそ、チーターは最速の肉食獣としてサバンナに君臨できる。また、酸素を効率よくエネルギーに変換できる好気性細菌が他の細胞に寄生し、それが今日の真核生物の始まりとなったという事実*3も、遺伝子の相乗りの例と言えるだろう。それらと同じようにして、人間の遺伝子と生命繊維もまた、人間というヴィークルに相乗りすることを選択したのだ。何故ならそれが、遺伝子の生存にとって決定的に有利だったからだ。実際に第16話では、生命繊維が人類の進化を促した結果、人類はこの星で繁栄を謳歌することが出来たのだとも述べられている。*4

どうやら生命繊維による人間の支配は、遺伝子の生存にとって極めて有利にはたらくらしい。実際に、生命繊維によって人間とその遺伝子は多大な恩恵を受けた。しかし、遺伝子の利益とヴィークル(生物個体)の利益とは、必ずしも一致するとは限らない。例えば、人間社会でも他の動物の場合でも、時折、家族や仲間の命を救うために自己犠牲的な行動を取るケースがある。その生物が自らを犠牲にして守ろうとした仲間や家族の中には、何割かの確率でその生物と同じ遺伝子が入っているのだ。であるからこそ、私たち人間は血の繋がった家族や仲間や民族に愛着を持ち、時には身を挺してそれらを守ろうとする。生物個体は自身を守るというよりもむしろ、自身の中にある遺伝子を守るために行動しているという風に考えなければ、このような行動が見られる理由を説明することは出来ない。人間の遺伝子は、その人間に遺伝子を守るような行動を取るように命令してくる。そのような命令を発しない遺伝子がかつてあったとしても、進化の過程でとうの昔に淘汰されたであろう。

であるからこそ、人間の遺伝子は生命繊維による支配に抵抗しようとしないだろう。人間が生命繊維に完全に支配された時、人間というヴィークルは消滅するが、人間の遺伝子は新たに誕生したヴィークルの中で生存し続けることができる。生命というものが遺伝子を守るために作られたヴィークルでしかないのなら、人間には生命繊維によって支配されるしか道はないのだろうか。いや、そうではない。人間という生物は、地球上で唯一、自らの遺伝子に反逆することのできるヴィークルなのだ! なぜならば、人間には「理性」というものが存在しているからだ。遺伝子に命令されるがままではなく、自分の頭で考えて、自分や大切な者のため、自分の考える正義のため、自由のために戦うことができる。

『キルラキル』で描かれるのは、人間の生命繊維への反抗であると同時に、自らの遺伝子への反抗でもあるのだ。遺伝子を守るヴィークルとして遺伝子に支配され続けるという、生命の根幹に関わる運命。その運命の糸を断ち切ったその先には、いったい何があるというのだろう。物語のクライマックスはもうすぐだ。

*1:利己的な遺伝子』、P384

*2:利己的な遺伝子』、P424~425

*3:細胞内共生説と呼ばれる仮説。その寄生した好気性細菌こそが、今日のミトコンドリアである

*4:ここでは便宜上、「生命繊維による支配を望んだ」「相乗りすることを選択した」という表現を使っているが、もちろん人間の遺伝子がそのような「意志」を持って行動しているというわけではない。あくまでも「偶然」起こったそのような相乗りがその遺伝子の生存に決定的に有利に働いたため、相乗りしなかった個体を淘汰するほどに勢力を拡大したというだけの話だ。その過程を人間の側から見ると、あたかも遺伝子が意志を持ってそのような行動を選択したかのように見えるというだけである。