新・怖いくらいに青い空

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『がん‐4000年の歴史‐』―失敗と成功、絶望と希望、その全てが詰まった傑作ノンフィクション

神話の世界に登場する邪悪な神々や怪物たち、地球に突然飛来してきた謎の宇宙人、核実験の影響を受けて突然変異した巨大怪獣、突如人類に対して反乱を開始した人型ロボット。人類が強大な敵と戦う物語は、いつの時代も人々を魅了してきた。ここで今日紹介する本も、とある怖ろしい怪物と人類との4000年にもわたる戦いの物語である。しかしそれは、単なる神話やSF作品ではなく、紛れもないノンフィクションである。

その敵とは、“がん”という怪物である。

がん‐4000年の歴史‐ 上 (ハヤカワ文庫NF)

がん‐4000年の歴史‐ 上 (ハヤカワ文庫NF)

がん‐4000年の歴史‐ 下 (ハヤカワ文庫NF)

がん‐4000年の歴史‐ 下 (ハヤカワ文庫NF)

人類4000年のがん研究史

他のあらゆる科学がそうであるように、がん研究もまた、周辺分野と密接な関わりを持ちながら発展していった。公衆衛生の向上や感染症の撲滅によって人類の平均寿命が延びたことで、がんは多くの人にとって身近な脅威と見なされるようになった。麻酔や消毒法の発展により、腫瘍を取り除く外科手術が発達した。毒ガスや化学工業の研究を発展させることで、いくつかの有用な抗がん剤が誕生した。分子生物学の飛躍的進歩によって、科学者はがんの発生メカニズムを次々に解き明かしていった。また、がんとの戦いの中で、その周辺の科学技術、我々の生命観、医師と患者との関係などが大きく変わっていった。例えば、治療の効果を正しく判定するために、あるいは、発がん性が疑われる物質とがんとの関連性を証明するために、統計学やその他の分析手法がより洗練されていった。抗がん剤の副作用や不適切な治療によって苦しむ患者が声を上げたことで、患者の権利は拡充され、ホスピスターミナルケアといった概念が発展していった。

しかし、がんという強大な敵に挑む人間の陣営は、常に一枚岩とは限らなかった。いつの時代でも、古い学説に固執する保守的な学者と、新しい仮説を唱える若い学者との間で、激しい内戦が繰り広げられた。多くの学者や活動家が、がん治療のための莫大な研究費を得ようとして、大衆を扇動し、ロビー活動に邁進した。患者にとってほとんど「毒」と言っていい程に危険な薬を多量に投与しようとする医師と、いやそれは倫理的に許されないと考える医師との間で、激しい論争が巻き起こった。がんと煙草との因果関係を立証しようとした統計学者は、煙草メーカーとその御用学者から激しい攻撃を受けた。

対立を乗り越えて新しい戦略を作り上げることに成功したケースもあった。例えば、外科医と内科医は治療方針をめぐって長年対立していたが、今日では両者が手を組み、外科医による手術と内科医の処方する薬(それに放射線治療など)を上手く組み合わせて、より効果的に敵を弱体化できる道が開けた。

しかし、この本を読むと、いつの時代でもがんとの戦いの最前線にいる「主人公」は、医師でも科学者でも政治家でもなく、がん患者自身なのだと痛感させられる。医師や科学者が、がんを倒すための作戦を立案する指揮官だとするならば、患者は、がんという強大な敵の住む城にろくな武器も持たされないまま突入させられる憐れな歩兵であり、ひとたび城に向かった患者が生きて帰ってくることは非常にまれだった。多くの外科医が、乳がんの再発を防ぐためには乳房だけでなく周りの筋肉やリンパ節まで根こそぎに切除すべきだという学説(根治的乳房切除術)を盲信し、患者のQOLを著しく下げた。多くの内科医が、複数の抗がん剤を一度に大量投与する治療法(超大量化学療法)を試し、患者は重い副作用に苦しめられた。

根治的乳房切除術が主流だった一八九一年から一九八一年までの一〇〇年近くのあいだに、約五〇万人の女性ががんを「根治する」ためにこの手術を受けた。自ら望んだ者も多かったが、無理矢理受けさせられた者も多かった。そして、自分には選択の自由があることすら知らない者も多かった。多くが永久に外見を損ねられ、多くが手術を祝福として受け容れ、多くがその責め苦を勇敢に耐えた。がんを可能な限り攻撃的かつ徹底的に治療したのだと信じて。
(上巻、365頁)

『前線からの風景』というエッセイのなかでジェンクスは自らのかんの経験を、真夜中にジャンボジェット機の機内で起こされ、パラシュートをつけさせられ、地図も持たずに見知らぬ風景のなかへ放り出されるようなもの、と表現している。
(中略)
そのイメージは時代の孤独と絶望をとらえていた。徹底的で攻撃的な治療法に取り憑かれていた腫瘍医は、より新しいパラシュートを次々と発明した。だが、沼地を歩く患者や医師を導く系統立った地図を、彼らは持ってはいなかった。
(下巻、178~179頁)

それらの医師の姿は、私には、実験室でマウスやモルモットを扱う動物学者や、怪しげな人体実験を繰り返すマッドサイエンティストとほとんど変わらないようにすら思えた。

もちろん当時の医師たちは「目の前にいる患者を救いたい、がんを根治する治療法を確立したい」という医師として至極真っ当な使命感からこのような処置を行っていたのだろうし、その当時はまだ患者を救う手段も非常に限られていたのだから、当時の判断が間違いだったと結論付ける事はできない。しかし、それを差し引いたとしても、身の毛もよだつような怖ろしい治療・実験が当たり前に行われ、それによって多くの患者が犠牲になったという事実は記憶にとどめておいて良いだろう。

がん研究史における失敗と挫折

人類とがんとの戦いの歴史、それは、数えきれないほど多くの死と苦しみの上に築かれた歴史であり、人類の失敗と挫折の物語に他ならない。新しい学説や治療法が次々に生まれ、そのたびに人々は未来を明るく照らし出す輝かしい光を見たが、その光はすぐに幻のように消えて見えなくなった。血のにじむような努力の末に人々が掴み取った希望は、次の瞬間にはもう砂のようにサラサラと掌からこぼれ落ちて消えていった。

古代エジプトの医師は、乳癌の病態を克明に記録し「治療法はない」と述べた。古代ローマの医師は、黒胆汁という体液の過剰生産ががんの原因だと考え、何世紀もの間、その間違った仮説が信じられてきた。20世紀初頭、白血病の子どもに様々な化合物を投与し、一時的に症状を緩和させることに成功したが、すぐに白血病が再発し子どもたちは次々に死んでいった。ある種のがんで効果のあった超大量化学療法も、別のがんでは全く使い物にならない場合があった。長年効果があると信じられてきた根治的乳房切除術に、実はほとんど効果がないことが分かった。ある検査技術の有用性を確かめるための「完璧」な臨床試験に致命的な欠陥が見つかり、統計学者や医師は、何が正解で何が間違ってるかも分からない袋小路の中に落ちていった。レトロウィルスがあらゆるがんの原因であるという学説を否定するのに、何十年もの時間が費やされた。

そんな絶望の中で、ある者は、経過を克明に記録し論文にすることで、将来の医学の発展に希望を託した。ある者は、自分たちの間違いを頑なに認めようとせず、古い学説に固執して真実を見誤った。ある者は、失意のうちに研究の現場から去った。ある者は、その失敗から「次」に繋がるヒントを得ようと奮闘した。そして、ある者は、がんの発生メカニズムという根本を解明しなければならないと強く思うようになった。

一九四七年から一九四八年にかけての半年間のあいだに、ファーバーは、ドアが開き――ほんのつかのま、彼を誘惑するかのように開き――そしてまたしっかりと閉まるのを見た。そしてその開かれたドアの向こうに、彼は光り輝く可能性を垣間見たのだ。
(上巻、86頁)

ハルステッドやブルンシュウィクやパックは、大規模な手術にあくまでも固執した。だが、その有効性を証明するはっきりとした証拠はなく、自分たちの信念という孤立した岬に向かって彼らがどこまでも進んでゆくにつれ、証拠などますます見当違いのものに、臨床試験をおこなうことなどますます不可能になっていった。
(上巻、144頁)

そして20世紀後半、人類はついに、論理的かつ包括的ながんの発生メカニズムを解明するに至る。それはすなわち、人間が本来持っている遺伝子の機能が、様々な要因*1によって失われたり、暴走したりすることで、異常な体細胞増殖がスタートしがんになるというものだった。

巻末の解説でも述べられている通り、この物語は「未完」なのだ。人類とがんとの戦いは、これからもずっと続いていく。そしておそらくこの戦いは、人類が存在し続ける限り、終わることはないだろう。しかし、4000年にわたる戦いの中で人類は、知識と経験を積み上げ、勝率の高い方法を選択することができるようになった。戦い方は一つではなく、化学療法や手術や放射線などの多くの選択肢があり、それらを組み合わせることでより効果的に敵を倒せるようになることを学んだ。一言で「がん」と言っても、固形ガンから白血病まで様々なタイプがあり、それらに応じて戦い方を変えなければならないことを学んだ。がんの発生メカニズムを知り、分子標的薬という概念を生み出すことで、がんとの戦いは決して負け戦ではない、戦い方次第でいくらでも希望は見出せる、という確信を得た。*2

それらの知識や経験、失敗や成功の中で、無意味なものなど何一つとして存在しない。本文中にも書かれている通り、「何一つ、無駄な努力はなかった」。これらの全てが、人類にとってかけがえのない財産となり、今日そして将来の人類を支えていくのだ。

われわれが五〇年後にがんとの闘いで使っている道具はがらりと変わっているはずであり、がんの予防と治療の地形も大きく様変わりしているはずだ。 (中略) しかしこの闘いの多くは今と変わっていないはずだ。執拗な努力も、創意も、立ち直りも、敗北主義と希望とのあいだで揺れ動く不安な心も、普遍的な解決策を求める強い衝動も、敗北がもたらす失望も、傲慢とうぬぼれも。
(下巻、402~403頁)

化学史書・生物学史書としてみる本作

本作は、がん研究史・医学史の本であり、フィクションに勝るとも劣らない壮大な戦記でもある。

しかし同時に、がんという一つのキーワードを軸にして、現代化学や分子生物学の歴史を見渡せる画期的な本でもある。

例えば、化学という観点から見たとすると、本文中には無数の化合物が登場してくる。初期の化学療法を支えたが副作用も凄まじかったアミノプテリン、6-メルカプトプリン、シスプラチン。乳がん治療におけるホルモン療法という新しい可能性を切り開いたタモキシフェン。分子標的薬という全く新しい手法によってがん治療の世界に革命をもたらしたハーセプチングリベック。それらは、構造も分子量も性質も全く異なる多様な化合物だ。化学に興味のある学生なら、ここに書かれてある内容を足がかりにして、自分の知識を広げていくことができるだろう。

もちろん、「いや、そんなこと既に知ってる」という人であっても十分に読みごたえがあると思う。例えば、がん遺伝子とかがん抑制遺伝子については教科書で習った、SrcやRasやRbやp53の名前も機能も全部知ってる、という人であっても、それらの「常識」がどのようにして発見・解明されてきたのかを知ることは、とても重要なことだと私は思う。

なので、大学や大学院で化学・生物学・医学を専攻している、もしくは、これから専攻しようとしている学生さんは、是非この『がん 4000年の歴史』を読んでみることをお勧めします。もちろん、全く専門外の人が読んでも良いけれど、ある程度の前提知識*3があった方が、より楽しめると思います。

*1:それには、タバコの煙、アスベスト、ウィルス、ピロリ菌、食生活、紫外線、など様々なものが考えられる。

*2:事実、様々な治療法の普及、予防の徹底、診断技術の向上などによって、アメリカ国内でのがんによる死亡率が徐々に低下して行ってることが統計学的にも確認されている。

*3:例えば、分子生物学・遺伝学・免疫学などに関する基礎知識