新・怖いくらいに青い空

アニメ・マンガ・ライトノベル考察

『そんな世界は壊してしまえ -クオリディア・コード-』考察

『変体王子と笑わない猫』を読んだ時も思ったけど、やっぱりこの作者は相当な変態さんですね。にもかかわらず『そんな世界は壊してしまえ -クオリディア・コード-』は非常に深いテーマを扱っているのだから怖ろしい。要するにこれは、他人のために自分を犠牲にすること、無償の愛によって他人に尽くすことが出来る人は、究極的に言えば「変態」であり「異常」であり「狂気」である、ということをはっきり宣言しちゃってる作品なんですね。そして何より、そうした自分と異なる「狂気」と出会うことで、自分の中にある「狂気」にも初めて気付くという、実に興味深い構造になっているんです。

例えば事件報道などで、何人もの人間を平気で殺せるような狂人を目の当たりにした時、私達はそれに対してどうすることもできないという無力感に襲われます。どんなに厳罰化を徹底しても、国民の自由を犠牲にして犯罪抑止に努めても、そういう凶悪犯は一向になくならない。むしろ「死刑にしてほしいから罪を犯した」というような者すらいる。今まで私たちがやってきた犯罪対策は全て無意味だったのではないか、いや、それどころか、社会にとって有害でしかないことをずっと繰り返してきたのではないか、という内省を得ることになる。

ドMと言われるほどに他人に奉仕するカナリアを見て、壱弥がこれほどまでに怖れ慄いたのは、彼女が自分の価値観を根底から覆す存在に思えたからだ。と同時に、壱弥はきっと鏡を見ていたのだ。恐怖に震え立ちすくんだ彼が見ていたのは、紛れもなく、鏡に映った自分の中にある狂気、そして、彼が正しいと信じて疑わない世界の中に潜む狂気だった。

だが、話にはまだ続きがある。これはまだ私の推測でしかないが、壱弥が世界と人類を愛しているように振る舞うのも、実は、自らの中にある真の狂気を覆い隠そうとしているからなのかもしれない。おそらく彼は、自分は誰よりも世界を愛していると信じているけれども、心の一番深いところでは、誰よりも世界を恨み、憎み、壊したいと願っている。だからこそ彼は、カナリアの中にある狂気を誰よりも早く感じ取り、それに怖れ慄いたのではないだろうか。その答えは第2巻で明らかになるだろう。

(順不同)