新・怖いくらいに青い空

アニメ・マンガ・ライトノベル考察

『安達としまむら』第5巻―安達にとっての「存在の耐えられない軽さ」

安達としまむら』の安達がもう大変なことになってた。これはもう完全にしまむらの事しか見えてない感じですね。この強烈な視野の狭さが一向に改善されないところが、『安達としまむら』の大きな特徴であるとも言えるでしょう。

例えば『Aチャンネル』のトオルなんかも、最初の頃は本当に、るんちゃんが居なくなったらこの子はどうなるんだろうと心配になるくらい、るんにべったりだったんですよね。でも、その関係が少しずつ変わっていって、いつしかユー子やナギと過ごす時間も大切に思えるようになった。さらに、るん達と過ごす時間と同じかそれ以上に、クラスメイトのユタカやミポリンと過ごす時間が多くなっていっている。

このように、物語は基本的に登場人物の視野を広げるような方向に展開していくものですが、安達の場合は第5巻まで来ても一向にそのような気配が見られない。むしろ、どんどん視野が狭くなって、しまむらしか見えないようになってる感じすらある。

今回、安達の知らない子としまむらが一緒に夏祭りに行ってたのを偶然目撃してしまった安達は、嫉妬で冷静さを失い、しまむらへ電話ごしに怒りをぶつけます。それを聞いたしまむらは、一言「めんどくさいなぁ」(124ページ)と、これまでの物語の中で最も明確な形で安達を拒絶します。

ショックに打ちひしがれた安達でしたが、その後、案外あっさり仲直りができてほっと一息つきます。しかし、しまむらは「安達もさ、もっと色んな人と仲良くしてみたらいいんじゃないかな」(167ページ)と忠告します。ここで安達は、自分としまむらとの間にある大きすぎる「温度差」に気付き愕然とします。

そうしてようやく、私は、自分の見落としを悟る。
解決していない、問題ですらないという事実に直面する。
昨日の電話でのことも喧嘩とは意識してなくて、あっさり仲直りしたというのは実際のところ、しまむらにとって波風もほとんど感じていなかっただけだ。だから簡単に、波乱もなく昨日と今日が繋がった。順調であることと、平坦であることは似て非なるものだった。
(168ページ)

つまり、しまむらにとって安達は、仲直りしてもしなくてもどちらでもいいような、取るに足らない存在なのだ、という事実を思い知らされるわけです。これは勿論、しまむらが安達を嫌っているという意味ではなくて、ただ単純に、心の中に占める「相手の存在の大きさ」が決定的に異なっているというだけの話です。でも、だからこそ、それはどうすることもできない決定的な差異として、二人の間に純然と存在し続けます。

その後、しまむらの忠告に従って、安達は自分の視野を広げる努力をしようともがきます。日野と永藤も交えて4人でカラオケにも行きます。でも結局安達は、やっぱりその時間を楽しいと思えない自分に気付き、再び感情を爆発させます。

今日だって、本当はしまむらと二人で出かけたかった。
そっちの方が絶対に幸せになれるのが、分かりきっていた。
(219~220ページ)

この感情を一言で表すなら「存在の耐えられない軽さ」という言葉があっているでしょう。しまむらにとって安達は、取るに足らない「軽い」存在でしかない。でもその事実が、安達には耐えられないほど苦しい。私にとってのしまむらがそうであるように、しまむらも私のことを掛け替えのない大切な存在だと思ってほしい。

どんどんヤバい方向に墜ちて行く安達の描写が、本当に狂おしいほど胸に響きます。私にはしまむらしか必要ない、しまむらも私だけをみていてほしい、そう願った安達がこれからどうなってしまうのか、第6巻が非常に気になる終わり方でした。

参考記事:オタクと形而上学(旧:山中芸大日記) 「分からない」相手に触れる――『安達としまむら 5』
参考記事:安達としまむら 5巻 感想: 日常
参考記事:この世の全てはこともなし : 安達としまむら (5) 入間人間 電撃文庫
(順不同)