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新・怖いくらいに青い空

アニメ・マンガ・ライトノベル考察

『結城友奈は勇者である』の気持ち悪さ

『結城友奈は勇者である』を第9話まで見た時点で感じた違和感をまとめてみた。

主人公達が正体不明の敵と戦うという設定

バーテックスと呼ばれる正体不明の怪物を和解不可能な悪と決め付け、勇者部一同による「国防」を絶対的に正しい行為として描いているのがキモい。当たり前だが、現実世界に絶対的な正義・悪は存在しないし、敵もまた彼らの考える正義のために戦っている。そして、敵とはいえ同じ人間を殺すということは、残虐な行為であり、新たな悲しみや苦しみを生む行為である。しかし、正体不明の怪物を敵とすることで、戦うという行為に対する葛藤は描かれなくなる。

登場人物がみんな好戦的

敵が人間じゃなくても、それが「人類が克服すべき悪の象徴」として描かれているのならまだ良い(例えば、『ストライクウィッチーズ*1や『ニーナとうさぎと魔法の戦車*2)。しかし、『結城友奈は勇者である』で掲げられているのはあくまでも「国防」であり、敵と戦うこと自体の必要性や意義が問われることはない。そのため、登場人物がみんな好戦的で、自らの掲げる正義を内省しようとしない。

勇者達が戦わないと世界が滅びるという設定

ここで逃げたら世界は終わりなんですよ、そして今ここで敵と戦えるのはあなた達だけなんですよ、という無理やりな状況を提示して、勇者達の自己犠牲を正当化しているのがスマートじゃないしキモい。現実の世界で、そのような分かりやすい自己犠牲を必要とする状況は存在しない。あると主張するならばそれは、「特攻や自爆テロで形勢逆転!」みたいな作戦とも呼べないお粗末なものだろう。

勝手に「英霊」という位置づけにさせられる

学校でも神樹様を崇めている様子は、まるで戦前の日本や北朝鮮のようでキモい。満開の後遺症で寝たきりになった乃木園子が大赦から神のように崇められてる姿は、戦争で亡くなった人を勝手に「英霊」として祀り上げて戦争を正当化している靖国神社を髣髴とさせる。しかも、靖国神社は自ら兵を戦場に送ったわけじゃないが、大赦は自分で勇者を選定してバーテックスと戦わせているから、尚更たちが悪い。

どんなにひどい仕打ちを受けても大赦に刃向かわない勇者達

どれだけ酷いことされても友奈たちの怒りが大赦に向かわないのは、声や味覚を失っても余りあるくらいにかけがえのない大切な仲間を得たと考えているから。しかしそれは、「家族が殺されたことがきっかけで命の大切さに気付くことができたから、犯人には感謝している」と言ってるようなもので、全く共感できない。他人の悪意によってなされた行為によって、結果的に良かったと思えることがあったとしても、その最初の罪が消えることはないはず。

少女達の自己犠牲を美化する醜悪さ

後遺症が治らないと分かった時点で、5人が結託して大赦を潰しに行くのが今のところの最適解。結局、それが出来ないのは、「国防」が絶対的に正しいとされる設定があり、友奈らが「たとえ最初からこうなる事が分かってても、結局は戦ったんじゃね?」と感じているから。自己犠牲を払わざるを得ない状況に追い込んでおいて、後から「仲間のため国のために自ら進んで犠牲になろうとする少女達の自己犠牲精神」の美化して描くという、醜悪な構造。

今後の展開次第で作品の評価も大きく違ってくるとは思うけど、現時点でこの作品に対して感じている「気持ち悪い(霜月監視官並みの感想)」という感覚は大切にしたい。