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新・怖いくらいに青い空

アニメ・マンガ・ライトノベル考察

『アオイハルノスベテ』第3巻―学校空間で起こり得る全ての出来事は「輪月症候群」と同じである

『アオイハルノスベテ』第3巻読みました。相変わらず、前半の日常パート・ラブコメパートと、後半のシリアスパートとのバランスが絶妙ですね。この作者に限らず、ファミ通文庫はそういう作品が多いような気がします。例えば、『学校の階段』や『バカテス』とかが典型だと思いますが、熱いバトルや感動的なストーリーが見たい、けど、思わずニヤニヤしてしまうような日常のエピソードも見たい、という読者の2つの欲求を同時に満たしてくれるという、我々読者からすれば一石二鳥の内容になっているわけです。

第3巻を読み込むにあたって、まず「輪月症候群」がもたらす能力について基本設定をおさらいしてみると、

  1. その能力は輪月高校の生徒にしか発現しない
  2. その能力がもたらす現象は輪月高校の生徒にしか見えない
  3. その能力は卒業すると消えてなくなる

という3つの大前提がありました。何故そういう設定になっているのか、何故それが作中で繰り返し強調されているのか、そう考えた末に私は一つの結論に到達しました。すなわち、私達が学校という空間で経験し得る様々なこと(勉強・部活・学校行事・その他全て)に注力するということは、結局のところ「輪月症候群」に注力することと同義であるということです。上の前提をちょっと言い換えると、次のようになります。

  1. それは学校に所属している間でしかできないことである
  2. それは学校に所属している生徒以外には本質的に無価値なものである
  3. それは卒業後の人生において何の利益ももたらさない

つまり、部活、学校行事、輪月症候群、その他何でもいいのですが、それをしなければならないという必然性を見いだすことが本質的に不可能であるということなのです!

例えば、体育祭や合唱コンクールについて考えてみればそれが良く分かります。私の場合も少なからず、優勝や金賞を目指して練習に励み、同級生と喜びや悔しさを分かち合った思い出があります。しかし、よくよく考えてみれば、そこでの優勝や金賞は学校の外にいる人間にとっては全く価値の無いものですし、そこで得た能力がその後の人生において役に立つ可能性は極めて低い。たとえ役に立ったと思ってたとしても、それは思い込みかもしれないし、その経験でなければならなかったという必然性を見いだすことはできない。あるいは部活についても同じ。アニメ『響け! ユーフォニアム』が終わって間もないので吹奏楽部を例にしますが、部員は膨大な時間と労力を費やしてコンクール等で良い成績を収めるために努力している。けれども、相当な強豪校であっても、音楽で一生飯を食っていこうと考えてる部員は少なく、ほとんどが普通に進学したり就職したりする道を選ぶ。そこでは、楽器を吹けたところで、その人の価値や評価が上がることはない。このように、学校で行われることは全て、突き詰めれば、社会から無駄・無意味・無価値とレッテルを貼られる類のことです。

じゃあ、そんなものに情熱を注ぐ必要は無い、将来に役に立つことだけやってれば良い、という結論なるかと言えば、決してそんな事はない。もちろん作者もそんな事を言っているわけじゃないです。他人から見れば無意味なことでも、目に見えない何らかの形で将来役に立つことがあるかもしれない。よしんば全く役に立たなかったとしても、それをやった本人が幸せだったならそれで良いんじゃないの?という考え方。

ここで、第2巻および第3巻で描かれたテーマが関係してきます。他人と同じ価値基準に合わせて、皆にとって価値のあることや、将来役に立つことだけやってればいいという考え方は必ず破綻する。それは「そもそも考え方の基点がおかしいから」(第3巻、254頁)です。第2巻では、その議論を時間軸方向に展開して、大事なのは今でしょ! 人は将来のために生きてるんじゃなくて、「いつだって本番なんだよ」(第2巻、294頁)という結論に達したわけですね。そして第3巻では、同じ議論を別次元に展開し、一番大事なのは自分の幸せだろと結論を出します。他の雑多な基準はひとまず置いといて、まずは自分の幸せについて考えてみる、という作業をしないと話が始まらない。そうやって下した選択こそが、実はその人にとって真に価値のある選択になるんだ、という高らかな宣言が本作には書かれているんですね。

しかもここでの議論は、使われている言葉は違うけれども、『ココロコネクト』ユメランダム編で言われていた問題意識と根本の部分で繋がってくるんです! 家族への罪悪感から自分の幸せについて考えることを放棄していた葵と、自分のために自己犠牲をやっていると言っていた太一。両者に共通するのは、自分の中で確固たる意志を持ち合わせていなかった、ないしは、それについて真剣に考えようとしてこなかった、という内面の問題です。それを自覚し克服していくという点において、両作は非常に似通ったテーマを取り扱っていると言えるでしょう。そしてそのテーマは、そっくりそのまま庵田定夏さんの作家としてのスタンスにも通じるものがあると思うのですが、皆さんはどうお考えでしょうか。

と、こんな感じで今回も大満足の出来でした。前巻で出番が少なかった葵も今回は見せ場が多くて実に素晴らしいし、幼なじみの岩佐さんも相変わらず可愛いし、まひるさんも前巻の騒動を乗り越えて皆と打ち解け、青春を謳歌しているようで本当に良かった。そして何より、あとがきイラストで白身魚さんも指摘されてましたが、生徒会長と副会長のカップルがインパクトありすぎでしょ。特に「私と仕事どっちが大事なの!」と言わんばかりの副会長がもう可愛すぎて。次巻以降もどんどん登場してきてほしいですね。

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