新・怖いくらいに青い空

アニメ・マンガ・ライトノベル考察

『響け! ユーフォニアム』第2期第1話の久美子が素晴らしかったという話

響け! ユーフォニアム』第2期、始まりましたね。夏紀先輩は相変わらず大天使だったし、すぐに泣き出す晴香先輩は死ぬほど可愛かったし、みぞれ先輩はもう言葉に出来ないくらい尊かったですね。でも、そんな描写が全部吹き飛ぶくらい、久美子さんが凄いことになってたので、今日はそれについて話そうと思います。

まあ皆もう分かってると思いますが、みどりちゃんや葉月と一緒にいる時の久美子って、ぶっちゃげ猫かぶってますよね。部活や学校などで外にいる時の久美子は、基本的にこの「猫かぶりモード」になってるんですよ。麗奈も言っていたように、良い子ちゃんの皮をかぶって本心はほとんど表に出さないようにしてる。

予想外のトラブルなどがあってテンパってる時でも、本心を曝け出すことはありません。アニメ第1期では、顧問が変わったことによって起こった部内の対立や軋轢の中で、久美子が散々振り回されていく様子が描かれてました。「振り回されモード」で平常心を失ってる状態でも、まだ化けの皮は剥がれません。第1期12話で「強くなりたい」と言ってた時の久美子も、基本的にこのモードに含まれると思います。

ようやく本心が見えてくるのは、家の中で家族と話す時ですね。ムスーッとした無愛想な表情で、終始すごくダルそうに低いテンションで話すのが、「無愛想モード」です。実は、家族だけでなく、秀一と話す時もこのモードになってます。

そして、第4のモードである「小悪魔モード」は、麗奈といる時にしか見ることはできません。大好きな子にちょっかいかけて悪戯したい的な、久美子の性格の悪さが滲み出てる感じですね。

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第2期第1話は、この4つのモードの切り替えが本当に素晴らしかった。駅で皆と一緒にいる時はずっと「猫かぶりモード」だったのに、麗奈と2人きりになった瞬間にもう「小悪魔モード」に切り替わってて、その後家に帰ったら一気に「無愛想モード」全開になるという、この切り替えの描写が何度見ても面白いんですね。

これほどまでに性格がコロコロ切り替わるキャラクターは、近年ではうまるちゃんくらいしか居ないんじゃないでしょうか。いやー、もうずっと爆笑でした。

もう豊洲でいいじゃん。早く移転しようよ。

小池都知事が就任してから連日大騒ぎになってる築地市場豊洲移転問題ですが、これについて私の感じることは、

心の底からメンドくせーよ! もうさっさと移転してしまえよ!

という一言に尽きます。いや、これは別に長谷川豊のマネしたくて言ってるわけじゃなくて、割とマジでこう思ってるんですよね。先日、橋下徹さんが出てる番組で、移転賛成派と反対派が議論してるのがあったんだけど、反対派の言ってることがもうムチャクチャで「なんだこれ?」って思っちゃったんだよねぇ。

反対派は「地下水からヒ素が出た!」とか「大気中にベンゼンがあった!」とか大騒ぎしてるけど、いや、それ、基準値内だから! そんな風に賛成派が反論すると、「数値は絶対じゃない」とか「そもそもあの地下空間があることが問題」とか言い出して、挙句の果てには「信用できない人が出してきた数字は信用できない」だって(でも「基準値を超えたベンゼンが検出された」っていう昨日の報道を聞いたら、金科玉条のごとく数字を持ち出して来るんでしょう、どうせ)。何千億円もかけて土壌を入れ替え、最新の安全設備を整え、地下水管理システムまで作って、それでもまだ危険だ!危険だ!って言うんですよ。

もう何なんだろうなあ。この人たちの言い分を全部聞いてたら、何百兆円かけたって「安全」な市場なんて作れないですよ。豊洲は諦めて別の場所を考えるしかないでしょう。というか、反対派の言ってる「安全」な場所って、この地球上に存在するんですかね? だって、ベンゼンとかヒ素の量がゼロじゃないと駄目なんでしょ。新しい場所を見つけるのは難しいと思うなあ。で、そうやってる間、市場関係者はずーーーーーっと今の市場で待たされるわけです。老朽化して下水も雨水も漏れまくりの「危険」な築地で!

移転延期を決めた知事の判断自体は間違ってないと思うんですよね。念には念を入れてしっかり調査した上で、っていう考え方は大事だと思うので。でも「いいぞよくやった!もっとやれ!」って無責任に囃し立てるのは、いい加減やめた方がいいと思う。というか、小池知事の言うことだから賛成っていう奴いっぱいいるだろ。もし鳥越が知事だったら、みんな「あのじじい余計なことしやがって」って言ってたんじゃないか?

移転延期または中止という判断を下すのが英断なら、「反対派の意見は参考程度に聞きつつ移転を強行する」と決めるのも英断だと思います。私は、皆が納得するなら移転取り止めでも全然構わないと思うんですよ。でも、そうするためには、追加で何千億円というお金が必要だし、本当に必要かどうかも確かではない安全対策に莫大なお金が使われるくらいなら、もうさっさと豊洲に移転しちゃった方がはるかに良いんじゃないの?って私は思います。

アニメ『クオリディア・コード』総評

作画

戦いに貢献できない「無能」は人間扱いすらされない、まるでブラック企業のような近未来を描いた本作。そのアニメ制作の現場もまた、常に作画崩壊気味で疲弊しきってるブラック企業だったというのは、実に笑えない冗談ですね。

作画が崩れすぎてほとんど抽象画みたいになってる戦闘シーン、素人目に見ても不自然さが際立つ止め絵の連発、出てくるたびに変わっているキャラクターの顔。一番びっくりしたのは、第10話の食堂のシーンで、人物だけでなく食器類も作画が崩れまくりで、なんかもう弥生土器みたいな感じになってて、逆にシュールで笑ってしまいました。

僕はこのブログでも作画についてはほとんど言及してません。基本的に、作画が少し崩れていてもあまり気にせず、作品の面白さにはさほど影響しないと思っています。しかし、本作は明らかにその許容範囲を超えていて、明らかに作品全体の評価にまで影響を及ぼすレベルになってしまってました。

小説版との比較

既にご存じの方が大半だと思いますが、この作品はプロジェクト・クオリディアというメディアミックス企画の一環として作られたアニメで、その放送開始前後には、アニメのストーリーの前日譚となる複数のラノベが発売されています。この3作は、どれも独特の作風ですごく面白かったのですが、アニメ版はそれらの良さが大幅に減ってしまったんですよね。

例えば、東京編ラノベ『そんな世界は壊してしまえ』における壱弥の歪んだ人類愛の描写とか、カナリアの異常とも言える自己犠牲精神とか、そのような登場人物の尖った部分*1が、アニメ版では完全に丸くなってしまっていて、壱弥とカナリアのコンビが、ただプライドが高くて正義感の強い人と、なんかよく分からんけどそれに付き従って歌ってる人としてしか描かれませんでした。

また、神奈川編ラノベ『いつか世界を救うために』は、ほたるの変態的なストーカー気質や、天河のことを好き過ぎて最早変態と化しているサブキャラクターたちこそが、最大の見所であったのに*2、アニメ版のほたるは単に天河大好きな女の子になってしまっていたし、サブキャラたちの見せ場も全くと言っていいほど有りませんでした。

そして、千葉編ラノベ『どうでもいい 世界なんて』は、妙に達観した内容の主人公・霞のモノローグが実に笑えるのですが*3、そのようなシーンがアニメ版ではあまり見られず、渡航の築いた独特の世界観がほとんど活かされないまま終わってしまいました。

このように、ラノベ版は実力ある作者がそれぞれ特色ある世界を作り上げてそれなりに読み応えのある作品になっていたのに、そこに出てくる登場人物が一同に集まるとそれぞれの特色が相殺され、実にありふれた大して面白くないアニメになってしまったのだ。こんな事なら、ラノベ版をそのままアニメ化した方が余程良かったのに。

まとめ

というわけで、「全編通して作画が酷かった」「小説版の良さを全く活かしきれてない」という2つの残念ポイントのせいで、アニメ版は非常に低い評価にならざるを得ないですね。

これが普通のラノベ原作アニメなら、私もここまで問題にしません。これより作画が酷いアニメなんて腐るほどあるし、総集編を急遽入れてくるアニメだって珍しくない。見たことを後悔するような酷いアニメ作品だってたくさんあります。

でも本作は、人気作家が3人も関わって緻密に世界観やストーリーを練り上げ、放送前から大々的にメディアミックスを展開し、ホームページにも「アニメーションの歴史に名を刻む、究極の三位一体(トリニティ)が動き出す!」とか書いちゃうくらい気合い入れて作ったアニメです。

そこまでしたのに、このクオリティっていうのは、ちょっと恥ずかしすぎやしませんかねえ。厳しい言い方になるけど、本アニメの製作で責任ある立場にいた関係者全員、猛省してほしい。

「オリンピックを中継したらそれと同じ時間だけパラリンピックも中継しなければならない」っていうルールを作るべきでは?

オリンピックの時は民放があれだけ大騒ぎしてたのに、パラリンピックになったら完全に冷め切っていて放送すらしていない、と批判している記事がありました。

【甘口辛口】パラリンピックにそっけない民放各局…“消化試合”的な雰囲気をなんとかできないか - その他 - SANSPO.COM(サンスポ)
リオパラリンピックに有働アナを投入したNHKの“本気度” | 日刊ゲンダイDIGITAL

まともに放送しているのはNHKだけで、民法はほとんど話題にも出してないというのは、なんかもう情けなくなりますね。こういう状況を防ぐためにも、東京オリンピックパラリンピックでは、次のようなルールを作っておけば良いんじゃないでしょうか。

それは「オリンピックを放送した放送局は、それと同じ競技のパラリンピックも、同じ時間だけ放送しなければならない」というルールです。例えば、五輪のサッカーの試合を放送した放送局は、同様にパラリンピックのサッカーも放送しなければならない。五輪のテニスを放送した放送局は、同様に車いすテニスも放送しなければならない、みたいなルールです。

そもそも五輪の放送というのは、民放とNHKwikipedia:ジャパンコンソーシアムという枠組みを作り、そこが共同で放映権を買って中継映像の製作まで行い、あとは民放とNHKが話し合いでどれを放送するか決める、という流れになっているようです。その際、一つの放送局が一つの種目を丸ごと担当するのではなく、「〇〇という種目の1日目は放送局Aが担当、2日目はまた別の放送局Bが担当」みたいに日時ごとに割り当てられるようです。

なので話は複雑になるのですが、例えば、サッカーの中継時間が全部で50時間あったとして、そのうち10時間がフジテレビに割り当てられたとしたら、パラリンピックのサッカー種目も同じく10時間放送しなければならない、みたいな感じにしたら良いんじゃないでしょうか。しかも、五輪の方が生放送だったなら、パラリンピックでも生放送にしなければならない(ダイジェスト版などで時間短縮して放送するのは禁止)とすれば良いと思います。

乙武洋匡さんは、ある記事の中で、「パラリンピックを無くしたい」「柔道が体重別に分かれているように、例えば、100メートルを健常の部、義足の部、車いすの部、視覚障害の部などにクラス分けする」という考えを述べられています。この考えに従うなら、「健常の部」は放送するのに「義足の部、車いすの部、視覚障害の部」は放送しないっていう民放の態度はおかしいんじゃないの?って思います。

もし、「パラリンピックの中継は採算が合わないからやりたくない」と民放各社がおっしゃるなら、どうぞ中継をやめてもらって結構です。その代わり、オリンピックの中継も一切認めませんので。「健常の部」だけ放送したいなんて都合の良いこと考えてる放送局は、もうオリンピックに一切関わらないでください、スポーツ中継も二度としなくていいです。どうせ金と視聴率のことしか考えてない放送局が中継なんてしたって、ろくな事にはならないんだから。

もちろん、「そこまでする必要はない」「五輪とパラリンピックを同等に扱う必要はない」という反対意見もあるでしょうし、「この方法だとパラリンピックを嫌々ながら中継してる感じがして良くない」という意見も出てくるでしょう。しかし、東京都も国も、パラリンピックの認知度・注目度をもっと上げていこう!みたいなことを散々言ってきてるわけですよね(少なくとも口先だけは)。であるならば、ちゃんとパラリンピックも中継しろよ、五輪と同じくらいの時間を使って放送しろよ、というルールを作ることも必要なんじゃないですかね。

『聲の形』の西宮結絃きゅんが可愛すぎて生きるのが辛い!

熊本地震以降の修復工事が先日終わったばかりのTOHOシネマズ光の森で、映画『聲の形』を見てきました。会場は、9割以上の席が埋まっていて、家族連れやら学生グループやらカップルやらがたくさん。そりゃそうだ。今日は営業再開後はじめての土曜日。映画館に行きたくてもなかなか行けなかったカップルたちが、待ってましたとばかりに、この光の森に集っているのだ! 果たしてここは、しがないアラサー男が独りで来て良い場所なんだろうか…。しかし、そんな不安は、映画が始まってしまえば完全に消えてなくなってしまいました。

その代わりに、俺の心はもう、ある登場人物の虜です。漫画で読んだ時も可愛いと思ってたけど、声と動きが加わったことで、その可愛さが倍増している。かわいい、かわいすぎる! 西宮結絃きゅんが可愛すぎて生きるのが辛い!!

結絃きゅんが登場してるシーンは、もうあまりにも可愛すぎて、ずっとニヤニヤしっぱなしですよ! ああもう何この可愛い生き物!? あら不思議、どんなシリアスなシーンでも、結絃きゅんが出てくるだけで、笑顔になれる! 会場も、結絃きゅんが出ているシーンでは、どことなく和やかな雰囲気です。(さすがにこれは気のせい?)

ジャージ&ハーフパンツ姿で、肩からカメラをぶら下げて、ハスキーな悠木碧ボイスのまるで少年のような結絃きゅん。そのつぶらな瞳に、長い前髪がかかっていて、はあもう、可愛いなぁ…

永束と喧嘩して押し倒されてる結絃きゅん、永束と一緒に橋の上の石田と硝子を観察してる結絃きゅん、永束を乱暴に足で蹴ってる結絃きゅん、かわいい…かわいいなぁ…

雨に濡れないようにカメラを隠しながら歩く結絃くん、将也に触られて一瞬だけ「ひゃっ」って声出す結絃くん、公園で寝泊まりしてぶっ倒れてる結絃くん、超かわいいなぁ…

猫カフェのポーチを硝子に渡しに行く時の何故かちょっとテンション高い結絃くん可愛い。硝子から「石田君に好きって言ったけど伝わらなかった」と聞かされた時の「マジで!?」っていう顔の結絃くん可愛い。家でばあちゃんと二人きりで話してる結絃くん可愛い。

そして、ばあちゃんのお葬式の日、橋の下で泣いているセーラー服姿の結絃くん、でも、石田の前では泣き顔を見せずに気丈に振る舞う結絃くん、ほんと可愛い。可愛すぎてぎゅーっと抱き締めてあげたい。

石田の母親に憔悴した声で謝罪する結絃きゅん可愛い。母親と植野が殴り合いやってるのを見て泣いてる結絃きゅん可愛い。泣きながら死骸の写真を剥がす結絃きゅんを見て、観客も号泣です。

あと、やっぱり石田と結絃が会話してるシーンは、どれも凄く良かったですねえ。初登場シーン、雨の日の夜、お葬式の日。特に、石田に初めて「自分は硝子の妹だ」と伝えるシーンと、冬服のセーラー服で石田に勉強を教わりに来るシーンは、本当にもう、可愛すぎて…。いいよ、いいよ~、勉強なら俺が何時間でも、何十時間でも教えてやるぞ~、って叫びたくなります。

映画全体の印象としては、原作漫画にあるような、目を覆って「うわあ」って言いたくなるようなきつい場面&胸糞セリフが、ほぼ半分くらいに薄まっている感じでした(半分でも相当きついけど)。一方で、上で書いたように、結絃きゅんの可愛さは倍増しているので、全体としては、もう完全に「結絃きゅん可愛い!」っていう映画になってました。

もちろん、不満点も無いわけではありません。例えば、硝子と一緒にお風呂に入りながら結絃きゅんが「あいつヤリチンだせ、関わらない方がいいぜ」とか言ってるシーンは、映画版ではカットでした。石田の画像をネットにupしたのがばれて硝子にメチャクチャ怒られて泣きべそかいてる結絃きゅんも、カットでした。永束に無理やり男湯に連れて行かれて気が動転してる結絃きゅんも、カットでした。しかし、それらを差し引いたとしてもなお、結絃きゅんが異次元の可愛さで、もう大満足の出来だったことは言うまでもありません。

そんなわけで、原作を読んで「結絃きゅん大好き!」ってなった人は、是非、見に行ってください。大満足間違いなしの映画となっています。もちろん、本筋のストーリーの方も素晴らしかったので、原作との比較なども踏まえて、いずれまた感想・批評をしたいと思います。