新・怖いくらいに青い空

アニメ・マンガ・ライトノベル考察

我、暁沼ニ突入ス

それもこれも、すべて劇場版の暁が可愛すぎるのがいけない。

ここ2~3日で僕の中に湧いてきた尊い暁改二概念のアウトラインは以下のとおりです。

提督から改二になれとの指令を受けた暁は、これからは暁型1番艦としてみんなを守り、一人前のレディとして成長しなくては、という使命感に燃えていきます。そして、改二実装の当日、第六駆のみんなや天龍・龍田が盛大なお祝いをしてくれて、感動のあまり思わず泣いてしまったら、天龍が「ははは、改二になっても泣き虫は変わらねえな」なんて言っちゃって、もちろん天龍も悪気があって言ったわけじゃないんだけど、暁はその言葉を気にして「改二になったらもう絶対に泣かないわ!暁がもっと強くなって皆を守るんだから!」と決意を新たにするのです。

それからの暁は、きつい訓練や遠征でも決して弱音を吐かなくなったし、強敵を前にしても堂々と立ち向かっていくようになって、周りの艦娘からも「暁は改二になって変わった、すごく強くなった」って言われるようになります。でも本当の暁は、敵と戦うのが怖くてたまらなくて、それでもその弱さを他人に見せたくなくて、ぎゅっと口を閉じて涙がこぼれ落ちそうになるのを我慢している、とてもか弱い少女なのです。

そんな感じで無理を続けていくうちに、暁の顔からどんどん笑顔が失われていって、天龍や龍田も心配して「あんまり無理すんな」って声をかけ続けるんだけど、暁は「長女である自分がしっかりしなきゃ」という思いが強すぎるあまり、誰にも相談できず思い詰めてしまいます。第六駆のみんなが「暁ちゃん、無理したらダメなのです」「悩みがあるなら私たちに相談してほしい…」「そうよ、もっと私たちを頼ってもいいのよ!」って言ってくれるんだけど、それでも暁は「ありがとう、でも私、大丈夫だから…」と言って、涙を見せないように帽子を深々とかぶり1人で立ち去っていくのです……。

……という感じで、1番艦としての責任感、戦場での恐怖心、誰にも弱さを見せられないという孤独感、自分の感情を必死に押し殺そうとする辛さ、そういったものに押し潰されそうになっている暁ちゃんを誰か救ってやってください、お願いします。

『劇場版 艦これ』感想(ネタバレ注意)

『劇場版 艦これ』見てきたよ~。

私は普段はほとんど映画館に行かないのですが、今年は『シン・ゴジラ』『聲の形』に引き続き、3度も映画館で見た感想を書くという異例の年となりました。ちなみに、『君の名は』と『この世界の片隅に』にはまだ見てないので、今後どうしようか考え中です。

以下、『劇場版 艦これ』のネタバレあり感想です。

ストーリーについて

この映画の主役は睦月ちゃんと言っても過言じゃありません。睦月と如月を中心にしてストーリーをまとめると、

轟沈したと思われていた如月ちゃんが帰ってきた。わーい!わーい! あれっ?でも、吹雪と夕立の名前忘れとるし何か様子おかしくない?

睦月「大丈夫!大丈夫だよっ!きっと疲れてて記憶が曖昧になってるだけだから!如月ちゃんはちゃんと戻ってきたんだから!」

いやいや!我を忘れて泊地の施設を攻撃したりしてんぞ!如月ちゃんは深海棲艦になってしまったんや!

睦月「大丈夫!大丈夫だよっ!これは戻ってきたばかりで気が動転してるだけだから!如月ちゃんは深海棲艦なんかじゃない!」

皮膚がどんどん変色していってるし、何か変な角生えてきたやん!やばいやばい!

睦月「大丈夫!大丈夫だよ、如月ちゃん!どんなことがあっても私はずっと如月ちゃんのそばにいるから!」

変色海域の中心で吹雪が、自らの分身でもある沈んだ船の怨念(?)のようなものと対峙し、運命を塗り替える希望の力(?)によってその怨念は消滅。同時刻、吹雪らを支援するために抜錨していた如月もまた、無数の塵芥となって消滅しようとしています。

睦月「大丈夫!大丈夫だよ、如月ちゃん!今から戻ってドッグに入ればまだ何とかなるから!お願い!行かないで!うわ~~~~ん!!!」

……と、まあ、こんな感じですね。なんかもう、これが普通の映画なら「睦月ちゃん、頭、大丈夫?」って感じですが、この現実を直視できてない感じが睦月ちゃんの睦月ちゃんたる所以だなあと思います。

途中からはもう半ば諦めて達観した感じで別れを告げるとかじゃなくて、あくまでも、如月ちゃんが死ぬその瞬間まで、必死に現実と抗って如月ちゃんと一緒に暮らす道を探ろうとする執念が実に良いんです。

その執念があったからこそ、エンディング後に、再び2人は出会うことができたのだと言えるでしょう。

設定について

今回の映画では、艦娘に関する重要な設定が明らかになりました。それは、轟沈した艦娘は「帰りたい」という怨念によって深海棲艦になり、深海棲艦が艦娘に倒されると再び艦娘に戻れる、というループ構造で、要するに『魔法少女まどか☆マギカ』『selector infected WIXOSS』と同じようなパターンということです。

しかし、この設定、いろいろ考え出したらキリがないのです。例えば、深海棲艦になるはずの如月ちゃんが一度は睦月のところに戻ってきたのは何故か。深海棲艦だったころの記憶を持ってる艦娘とそうでない艦娘の違いは何か。吹雪だけが分身を作り、運命に打ち勝つ力を持って艦娘化できたのは何故か。

こういった点がよく分からないまま終わったので、なんだか消化不良な感じがするし、「細かいところはあんま深く考えないでね~」ということなのかなあと思います。その点で、個人的には少し不満の残る映画だったと言わざるを得ませんね。

キャラクターについて

  • 海上で艦載機を飛ばす龍驤さん可愛い。その後こける龍驤さん超可愛い。
  • ある海域から謎の声が聞こえるという噂話を聞いてビビってる天龍さん萌え。
  • 画面にちょくちょく出てくる綾波・敷波が可愛い。でも、台詞が全くない! スタッフ何考えてんねん!
  • 天津風時津風が少ない出番ながらクソ可愛かった。特に、吹雪に抱きついて服を脱がそうとする百合っ娘トッキーが最高で、このシーンだけで映画館まで行った甲斐があったと言える。
  • 映画館では第六駆逐隊のイラストが描かれたポップコーンが売られてるのですが、映画内での出番はメッチャ少ない。どうなってんねん。
  • しかし、暁はまさに一人前のレディという感じでした。強大な敵を前にして、たぶんスカートの中とかおしっこ漏らしてグチョグチョなんだろうけど(※これはあくまでもイメージです)、それでもなお、恐怖心を必死に押し殺して、泣き崩れるのを懸命に我慢してる横顔が、最高にカッコいいのです。お世辞にも強そうには見えない泣き虫なチビッ子が、怖くて逃げだしたくなるのを必死に我慢して敵に立ち向かっていく、その姿のなんと凛々しいことか。本当の格好良さというのは、まさにこういう事を言うんじゃないのでしょうか。わずか数秒のシーンですが、映画版のベストシーンに挙げたい。

以上。

『ななしのアステリズム』第4巻があまりにも切なすぎて胸が張り裂けそう…

『ななしのアステリズム』第4巻、読み終わった。

つらい…。胸が苦しい…。

誰かを好きになるということ、誰かを愛し続けるということ、ただそれだけのことが、こんなにも辛く、苦痛に満ちているなんて…。誰かの気持ちを知るということ、秘密を抱えながら生きるということ、それがこんなにも悲しくて、苦しくて、耐え難い痛みを伴うものだというのなら、いっそのこと、3人が出会う前の何も知らないまっさらな気持ちのままでいたかった。

でも、あの運命の日、電車の中で出会ったあの日から、彼女たちの運命はどうしようもなく動き始めてしまったんだ…。それはまるで、ブレーキのきかない鉄道のように、もはや後戻りなど叶わず、嵐の海で帆を失ったヨットのように、どこに辿り着くかも分からない危険な旅。しかし、それでも、この名前のない旅が『ななしのアステリズム』という一つの物語となって紡ぎ出される時、言葉で言い表せないくらいに美しい光を放つのは、何故なのだろう…。

さあ、とりあえず気持ちを落ち着かせて、状況を整理してみましょう。

第1~2巻についての記事で、各キャラクターの恋愛感情を赤線で表記し、「その気持ちを知っている」という事実を青線で表記しました。今回さらに、「『その気持ちを知っている』という事を知っている」という事実を緑の矢印で表記してみましょう。すると次のような三角形が出来上がります。

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第4巻で新たに増えた矢印は、一番左にある太い緑線。つまり、鷲尾は「私の気もちを琴岡が気づいてる事を知っている」です! これまで琴岡は、3人の間にある全て矢印の存在を把握してきました。ところがここでついに、琴岡の知らない、鷲尾だけが知っている新しい矢印が登場してきたのです! まさに、追い詰められた鷲尾が放った渾身の一手という感じですね。

しかも、ここに昴と朝倉まで加わり、状況はますます混迷を深めて行っています。昴と朝倉は司のことが好き。そして「朝倉→昴」のフラグが立ちつつある? しかも、第3巻で琴岡が朝倉に「司には好きな人がいる」とかぶっこんで来やがったので、さあ大変。司には好きな人がいる、けれどそれが誰かは分からない、というこれまでにない矢印が出現したわけです。朝倉経由で昴にもそのことが伝わり、昴の心は掻き乱されていきます。

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鏡の前で女装して自分を慰めることしかできない昴の姿が、あまりにも切なすぎて、涙なしには見られません。喉を押さえながら「大丈夫」とつぶやく昴の姿、それは、間もなく訪れる第二次性徴期の声変わりによって、鏡の中の司ですら遠くへ行ってしまうという悲しい未来を暗示しているかのようです。

ここからさらに、各キャラクターが抱える過去のトラウマや、他のクラスメイトなども登場してきて、話はどんどんややこしい方向へ向かって行っています。この複雑怪奇な関係性が、今後どのように変化していくのか、物語はどういう結末を迎えることになるのか、全く予想もつきません。

ぼくのかんがえたさいきょうに尊い白露型駆逐艦の人間関係

艦これに山風が実装され、ついに白露型駆逐艦が全艦そろいました~。わ~い!わ~い! ということで、私が常日頃考えている白露型界隈の人間関係について書いてみたいと思います。まあ、これはあくまでも個人的なイメージなんでね、なんか違うと思う人もいるかとは思いますが、そこはまあご了承ください。

基本事項

  • 小説『陽炎、抜錨します』などと同様に、艦娘は元々、人間の女の子だったという設定。志願者の中で艦娘としての素質のある者が、艦娘養成所で基礎訓練を受けた後、艦娘として各鎮守府に着任します。
  • 艦娘になった順番は基本的に艦これで実装された順とします。最初に、白露、時雨、村雨、夕立、五月雨、涼風がほぼ同時期に着任。その1年後くらいに春雨が着任し、そのまた1年後に海風、江風が着任します。で、そのまた1年後に山風が着任、という感じです。
  • 着任時期は異なりますが、皆おおよそ中学1年~3年生くらい。実際に姉妹だったというわけではなく、あくまでも艦娘になる前は赤の他人どうしです。
  • 国防予算の都合上、改二になれる艦娘の数は限られています。成績優秀で多くの戦果を挙げた艦娘から優先的に改二になります。また、改二になると、出撃回数が増えたり、より危険で重要な任務に参加したりするようになります。

一番艦 白露

艦娘になる前から成績優秀、スポーツ万能、あらゆる分野で「いちばん」になり続けてきた。生まれつきの負けず嫌い気質と、毎日の訓練で限界まで自分を追い込むストイックさにより、着任当初は他を圧倒する活躍を見せたが、次第に時雨、夕立らが台頭してきてくると焦りを覚えるようになる。命がけの戦闘や厳しい訓練の連続で心が折れそうになった時もあったが、自分の後を懸命に追いかけてくる時雨たちの姿が心の支えとなり、艦娘を続けることができた。それでも、負けず嫌いな性格は変わらず、戦果を他の駆逐艦にとられたりすると露骨に不機嫌になる。

時雨や夕立が改二になった時には、まるで自分のことのように喜んだが、同時に心の奥底で「何で自分は改二になれないのか」という感情を芽生えさせてしまう。その2人が同じ任務に就いているのを見ると、自分だけが改二になれず取り残されているという、言いようもない不安に襲われたりする。

二番艦 時雨

代々優秀な軍人を輩出する家系に生まれ、男ばかりの兄弟とともに育てられたため、一人称が「僕」になった。小さい頃から神童と言われ、学業やスポーツの成績は常にトップだった。しかし、艦娘になった当初は思うように戦果を挙げられず、いつも白露の後塵を拝することを余儀なくされ、それが時雨の人生において最初の挫折となる。

着任直後は「あいつさえ居なければ」と考えてしまうことも多く、白露とはなかなか打ち解けられずにいた。しかし、白露から「時雨のおかげでここまで頑張ってこれた」という話を聞かされ、一方的に白露のことを嫌っていた自分の愚かさを痛感し、逆に白露のことが大好きになる。無意識のうちにいつも白露の姿を目で追っていたり、お風呂場などで白露の胸をチラチラと見てしまったりと、行動がどことなく思春期の少年っぽい。しかし、白露より先に改二になってしまったという負い目から、白露とどう接すればいいのか分からなくなってしまう。一方、常にハイテンションで馴れ馴れしく接してくる夕立に対して、最初は苦手意識があったが、一緒に戦ううちに強い信頼関係が芽生えるようになる。夕立と白露が仲良くしているのを見ると、白露を取られるんじゃないかと思い、ちょっと不機嫌になる。

三番艦 村雨

艦娘養成所にいた頃に夕立と仲良くなり、駆逐艦寮でも同室。夕立のことが大好きであり、彼女のことを誰よりもよく知っている。戦場で「鬼神」と怖れられる夕立が、実はとても繊細で、怖さに打ち勝つためにあえて自分を強く見せようとしている、ということを知っているのは村雨だけである。

夕立が改二になり活躍しているのを嬉しく思うと同時に、まるで夕立が自分から遠ざかって行くような不安感を覚えている。夕立がいつも時雨のことを楽しそうに話すのを聞いて、夕立の時雨に対する気持ちに気付く。夕立の恋を応援したいという思いと、自分の方に振り向いてほしいという思いの間で揺れ動く。

四番艦 夕立

裕福な家庭に生まれ自由奔放に成長した。白露や時雨が努力型の艦娘であるのに対し、夕立は人並み外れた身体能力と生まれ持ったセンスによって数々の戦果を上げた天才型の艦娘といえる。

時雨と同時期に改二になった後は、2人でコンビを組むことが多くなる。いつしか「時雨とならどこまでも強くなれる、もっと時雨と一緒に戦いたい」と願うようになる。しかし、時雨の視線の先にはいつも白露がおり、自分は時雨の「いちばん」にはなれないのだという事実を思い知らされる。夕立が白露と頻繁に仲良く談笑しているのは、たとえ嫉妬という負の感情でもいいから時雨に振り向いてもらいたいという気持ちの現れでもある。

五番艦 春雨

五月雨ほどではないがかなりのドジっ子。常に周囲のことをとてもよく気にかけており、1~4番艦の複雑な人間関係をよく理解している。春雨自身は、艦娘になったばかりの右も左も分からない時期に優しくしてくれた村雨のことを慕っており、一緒にいることが多い。

六番艦 五月雨

艦娘になる前は一人っ子で、ずっと妹か弟が欲しいと思っていた。艦娘としての実力は時雨や夕立にも匹敵するが、天性のドジっ子属性ゆえに、あまり戦果を残せずにいる。しかし、本人はいたってマイペースで、気にしている様子はない。

寮で同室になった涼風のことを、まるで本当の妹のように可愛がっており、いつも一緒に行動しているため、周りからは2人はカップルなのだと思われている。休日は涼風と一緒に鎮守府の周りを散歩するのが日課。

七番艦 海風

江風と同時期に着任。短期間で戦果を上げ改二になった江風とは異なり、あまり戦果を残せずに苦悩する日々が続く。神通さんからマンツーマンで特訓を受けたが、思うように上達できず、戦闘では何度も中破・大破を繰り返す。真面目で責任感が強い性格のため、何か失敗するたびにひどく落ち込んでしまう。

成績優秀な周囲の艦娘に対してコンプレックスを感じており、特に、同僚艦である江風に対しては、憧れや嫉妬にも似た複雑な感情を抱いている。いつか自分も改二になって江風のそばで戦いたいという思いを胸に、苦しい訓練に耐える毎日を送っている。

八番艦 山風

海風や江風と同時期に艦娘養成所に入ったが、病弱で休みがちだったこともあり、結局彼女たちより1年遅れで鎮守府に着任した。極度の寂しがり屋で、いつも他の白露型といっしょに行動している。特に海風と江風にはよく懐いており、いつも後ろを付いて回る子犬みたいな感じ。

九番艦 江風

艦娘になる前から男勝りな性格は変わらないが、学業やスポーツにおいては特に目立った成績を上げたというわけではなかった。しかし着任後は、艦娘としての才能が一気に開花し、「夕立以来の天才」と称される。川内さんからの英才教育を受け、史上最短記録で改二になる。

思うように成績が上がらずに落ち込む海風のことを気にかけ、声をかけ続ける。その優しさがかえって海風を苦しめていることに全く気付かない天然のドS。一方、自分をここまで育ててくれた川内に対しては、敬愛の念すら超えて、もはや心酔の域にまで達している。

十番艦 涼風

艦娘になる前から末っ子。特徴的な江戸っ子べらんめえ調はお爺ちゃん譲り。着任当初は集団生活に馴染めず、寮で喧嘩を繰り返したり、訓練中に反抗的な態度を取ったりしたため、何度か営倉に入れられることもあった。

しかし、どんなことがあっても常に優しく接してくれる五月雨の存在が、いつしか心の支えとなり、彼女のことを実の姉のように慕うようになる。五月雨が海風や江風と仲良くしてるのを見るとすぐに拗ねてしまうなど、甘えん坊でちょっとワガママな「末っ子気質」が随所に垣間見える。

周囲の艦娘

神通  白露型駆逐艦を厳しく指導する。百戦錬磨の軽巡洋艦として駆逐艦から怖れられているが、そんな彼女も白露と涼風だけは苦手。白露の場合、いつもボロボロになるまで訓練に励み轟沈しそうになるので、そのたびに神通が必死になって止めたりする。涼風の場合、怖いもの知らずで神通に突っかかってくることも多く、訓練後も軽巡寮まで押しかけてきて神通を質問攻めにしたりする。もちろん、2人の努力と心意気を神通も評価してはいるのだが、あまりにも言うことを聞いてくれない&しつこいので、神通の胃痛の種となっている。

川内  夜戦のエキスパートで、江風の師匠的な存在。プライベートではほとんど駆逐艦と交流しない神通とは異なり、休日も教え子たちとよく遊びに行ったりする。毎日のように川内の部屋にやってくる江風に対して、あえて突き放すような態度を取って自立を促そうとしている。

夕張  ドジっ子五月雨が訓練とかで装備を壊すたびに修理を手伝ってくれる優しいお姉さん。五月雨は夕張のことを本当の姉のように慕っているが、涼風は夕張に対して「五月雨を取られた」と嫉妬心を燃やしている。

山城・扶桑  時雨がよく護衛をしている。白露との関係に悩む時雨の良き相談相手となっている。任務終了後のお風呂で山城・扶桑のおっぱいを触るのが時雨の密かな楽しみ。

科学技術関連で最近気になった記事など(その3)

トムソン・ロイター引用栄誉賞

「トムソン・ロイター引用栄誉賞」(ノーベル賞予測)2016年、日本からの受賞者は3名 - トムソン・ロイター

今年は、ドラッグデリバリーシステム(DDS)の研究において注目されているEPR効果を発見したとして、前田浩氏、松村保広氏が受賞。この他にも、がん免疫療法の本庶佑氏など、合計24人が受賞されています。

今や猫も杓子もDDSの時代。先進国から新興国に至るまであらゆる研究者があらゆるジャーナルにDDS関連の論文を投稿しており、その有象無象の論文の多くがEPR効果について引用しているわけです。なので、まあ、引用数を指標にしてノーベル賞候補を選んだら当然こういう結果になるよなぁ、という感じ。実際に受賞できるかというと、う~ん、どうなんでしょう。

ロジャー・チエン死去

ノーベル化学賞受賞者 ロジャー・チェン氏死去 64歳 - 産経ニュース

緑色蛍光タンパク質GFP)の発見と開発によりノーベル賞を受賞したロジャー・チエン博士が亡くなりました。享年64。ノーベル化学賞を受賞した2人目の中国系アメリカ人でした。

1960年代、下村脩博士はオワンクラゲを研究する過程でGFPを発見しました。1994年、マーティン・チャルフィー博士はGFP遺伝子を線虫や大腸菌に組み込んで光らせることに成功しました。一方、チエン博士の業績は、そのGFPの詳しい発光機構を解明したこと。そして、そのデータをもとにGFPを改良することで、様々な波長の光を放つ人工タンパク質を作り出したり、より発光効率の良いGFPを開発したことです。

もちろん、下村、チャルフィー両氏の業績も素晴らしいのですが、生物学に欠かせないツールとしてGFPをここまで普及させた最大の功労者は、チエン博士だったと言えるかもしれません。ご冥福をお祈りします。

ノーベル医学・生理学賞

オートファジーの仕組みを解明した大隅良典 東工大名誉教授が、2016年ノーベル医学生理学賞を単独受賞ということで、非常に驚きました。近年は多くの研究者が共同で研究を行ったり、多数のライバルがいる中で切磋琢磨しつつ研究が進んで行ったりするので、ノーベル賞も2人または3人が同時に受賞するケースが非常に多くなっています。また、どの分野もノーベル賞候補がいっぱいいるので、似たような分野の研究者を一まとめにして、なるべく多くの人が受賞できるよう配慮されてるように感じます(例えば、去年の医学生理学賞は、寄生虫病治療薬の開発者とマラリア治療薬の開発者が共同で受賞しましたし、2009年の物理学賞は、光ファイバーの開発者とCCDセンサーの発明者が共同受賞しました)。

医学生理学賞について言えば、21世紀に入って単独受賞したのは今年の大隅氏と、体外授精技術を開発したエドワーズ氏(2010年)しか居ません。70年代から90年代までを見ても、利根川進バーバラ・マクリントックスタンリー・プルシナーなど、数人しか居ないんですね。これらの研究者に共通するのは、他の誰も注目していない新領域を切り開いてきたということだと思います。大隅氏も会見で「競争するのは好きじゃないので、まだ誰もやったことがない分野を選んだ」と言っていました。

もちろん大隅氏の他にも、水島昇さんなど、優れたオートファジー研究者が国内外にたくさんいるのは間違いないですが、それらの成果も全て大隅氏の研究があってのものであり、やはり単独受賞しかないとノーベル賞の選考委員が判断するくらいに大隅さんの功績が他を圧倒していたという事なのでしょう。おめでとうございます。

ノーベル化学賞

分子マシンの設計と合成により、英・仏・オランダの研究者が受賞。日本でこの分野の第一人者と言えば新海征治さんだったので、今回受賞を逃したのは残念だったと思います。でも正直、こんな言い方は大変失礼かもしれないけれど、この分野にノーベル賞が与えられるとは思ってませんでした。

例えば、過去の日本人受賞者を見ても、導電性高分子、不斉触媒、MALDI、鈴木カップリングなど、社会の中で幅広く使われている材料・原理・反応を発見した人に贈られていますよね。分子マシンの研究自体は凄いと思うけど、まだまだ応用には程遠いというイメージなので、今回の受賞はちょっとびっくりしました。

将来有望かもしれないけれど応用はまだまだこれからという分野はたくさんあって、思いつく限りで言うと、光触媒(人工光合成)、配位高分子、EPR効果、DNAナノ構造体、金ナノ粒子などです。これらは毎年ノーベル賞候補にはなってますが、ぶっちゃげ受賞の確率はかなり低いし、貰えたとしてもかなり先だと、個人的には思ってました。でも、分子マシンで貰えるのなら、これらの分野も案外早く貰えるのかもしれません。

長谷川豊氏の暴言

長谷川豊氏の暴言を超えて行こう (1/2)
透析患者だった。
ドクター苫米地ブログ − Dr. Hideto Tomabechi Official Weblog : 長谷川豊さんの「患者自己責任論」発言とMXバラいろダンディ降板に思うこと - ライブドアブログ

この件に関してはもう色んな人が意見を書いているので特に何か言うことはないんだけど、一点だけ言うとすれば、何というか長谷川豊みたいに「遺伝か環境か」「自業自得かそうでないか」「善良な患者か横柄な患者か」みたいな単純な図式で物事を二分できると考えてる人って本当に愚かだなあって思います。

エウロパの探査

木星の衛星エウロパ、氷の下から海水が200kmの高さに噴出?|ギズモード・ジャパン

この記事を読んで、生物学者の長沼毅さんが言ってたことを思い出しました。長沼さんいわく、エウロパの海を探査することは現在の技術でも十分可能だと言うんですね。

しんかい6500という日本の潜水艦は、高い水圧にも耐えられるのでエウロパの海に入れても大丈夫。で、スペースシャトル級のロケットを使えば、しんかい6500を宇宙に持っていくことは余裕でできる。また、南極のボストーク湖でロシアが3000m以上の深さまで氷を掘ることに成功しているので、この技術を応用すればエウロパの氷を掘って海に到達することも可能。

まあ「言うは易し、行うは難し」ですが、実に夢のある話だと思うんです。でも、エウロパで本当に水が噴き出しているのなら、わざわざ掘削しなくても内部の水を探査することが可能となるので、これはかなりの朗報だと言えると思います。

ゾンビ遺伝子

「死」してから目覚めるゾンビ遺伝子が発見される:研究結果|WIRED.jp

まず大前提として、多細胞生物の場合、心臓が止まって死んだ後も個々の細胞レベルでは生命活動が続いている、ということは皆さんお分かりかと思います。一方で、生物が死ねば、細胞の置かれている環境自体は大きく変化することが考えられます。例えば、酸素の供給が止まり、二酸化炭素濃度も上昇するでしょう。必要な各種栄養素の供給もストップします。

であるからこそ、死の前後で発現してくるタンパク質の種類や量に違いが生じるのは当然と言えば当然であり、その中には、普段はほとんど発現しないけど死後に急に発現量が上がるタンパク質もあるでしょう。なので、この研究自体やこのニュースは非常に意義のあるものだと思いますが、ゾンビ遺伝子なんて言い方をするのは非常に違和感があるんですけどねぇ。

子宮頸がんワクチン

あの激しいけいれんは本当に子宮頸がんワクチンの副反応なのか 日本発「薬害騒動」の真相(前篇) WEDGE Infinity(ウェッジ)
子宮頸がんワクチンデータ捏造疑惑「科学的議論不足」…信大に研究再実験要求 : yomiDr. / ヨミドクター(読売新聞)

この件で一番問題なのは、情報が錯綜して訳分からなくなってることでも、疫学調査で不正が横行していることでもありません。一番問題なのは、この国で、それも政権の中枢で、真実を捻じ曲げてまで子宮頚がんワクチンの普及を妨げようとする勢力がいるということです。

彼らの表向きの主張は「ワクチンには副作用があり危険」ですが、本音は「子宮頸がんワクチンは女性の婚前交渉を奨励することに繋がり社会秩序が乱れる」なのです。そして、こういう主張をしている連中は、親学とか江戸しぐさを学校教育に取り入れようとしている連中と極めて親和性が高いのです。

生物から見た世界

生物から見た世界

生物から見た世界

今、読んでます。アニメ『フリップフラッパーズ』に出てくるユクスキュルの元ネタ。

本の内容を超ざっくり説明すると、世界を認識する方法は生物種によって全く異なる、という事です。生物はこの世にある「客観的事実」を直接認識することはできません。あくまでも光や音や匂いといった「知覚標識」を通して、脳内に再構成された世界を認識しているに過ぎないのです。また、「光を感じる→明るい方へ向かう」「敵の発見→逃げる」「花の形→蜜を吸う」という風に、「世界の認識」には必ず何らかの「行為」が紐付けられています。

今でこそ、分子生物学脳科学の発達によって、この世界認識の概念が正しいことが明らかになっています。しかし、この本が書かれた1930年代当時に、初歩的な動物行動学だけを頼りにして上のような推察ができたというのは、考えてみると実に凄いことだと思います。