新・怖いくらいに青い空

アニメ・マンガ・ライトノベル考察

『アニバタ Vol.16 特集 聲の形』に寄稿しました

コミックマーケット91にあわせて発行される『アニバタ Vol.16 特集 聲の形』に寄稿しましたので、お知らせいたします。

アニバタ Vol.16 [特集]聲の形 | アニメ・マンガ評論刊行会

アニバタとは、たつざわさんが代表をされているアニメ・マンガ評論刊行会が発行する評論誌で、私は今回初めて寄稿させていただきました。

私が書いたのは、「第1部 キャラクター論」の中にある「『正義振りかざし野郎』としての真柴智 原作漫画と映画との比較」という文章で、真柴智というキャラクターの位置付けと、それが原作と映画とでどう違っているのか、について述べたものです。

まあ、結絃きゅんが可愛すぎて生きるのが辛い!みたいなことばっかつぶやいてる自分が何書いてんだって話なんですが、私以外にも多くの方が大変クオリティの高い評論を書かれているようなので、興味のある方は是非ご一読よろしくお願いします。

『終末のイゼッタ』のエイルシュタット公国

『終末のイゼッタ』のエイルシュタット公国って、まさに、自民党日本会議を支持してるような層が理想とする国家だよな。

長い歴史と伝統を持ち全国民から敬愛される大公家がいて、愛国心が強くて一致団結している国民がいて、いざとなったら命を賭けて戦う士気の高い軍隊がいて、したたかに戦略を練って大国とも交渉できる参謀がいて。

そこには、移民問題もなければ、王室撤廃を叫ぶ勢力もいなくて、豊かな土地と優れた産業技術があって、国民は何一つ政府に不満を言わずに、まるで一つの家族のように仲良く暮らしてるんだろう。

ネット上では「バッドエンドまっしぐらじゃね?」みたいな声が大きいけど、作り手の願望がここまでだだ漏れなアニメも珍しいので、たぶんハッピーエンドになるんじゃないかなあ。

誤解されないように言っておくと、作品自体は凄く良いと思いますよ。ミリタリー関連の描写は実に見ごたえがあって、特に、銃・戦闘機・戦車の作画は凄くカッコいいです。敵の側のキャラクターも、いろいろな思惑や野心によって動いているので、ストーリーに重厚感があって尻上がりに良くなっていってます。イゼッタとフィーネ様の関係性もまた素晴らしいものがありますし、キャラデザも「さすがBUNBUNだ」という感じで大好きです。

まあ、BUNBUNの絵でミリタリーものをやるんなら、さっさと『ニーナとうさぎと魔法の戦車』をアニメ化しろ、って少し思うけど。

我、暁沼ニ突入ス

それもこれも、すべて劇場版の暁が可愛すぎるのがいけない。

ここ2~3日で僕の中に湧いてきた尊い暁改二概念のアウトラインは以下のとおりです。

提督から改二になれとの指令を受けた暁は、これからは暁型1番艦としてみんなを守り、一人前のレディとして成長しなくては、という使命感に燃えていきます。そして、改二実装の当日、第六駆のみんなや天龍・龍田が盛大なお祝いをしてくれて、感動のあまり思わず泣いてしまったら、天龍が「ははは、改二になっても泣き虫は変わらねえな」なんて言っちゃって、もちろん天龍も悪気があって言ったわけじゃないんだけど、暁はその言葉を気にして「改二になったらもう絶対に泣かないわ!暁がもっと強くなって皆を守るんだから!」と決意を新たにするのです。

それからの暁は、きつい訓練や遠征でも決して弱音を吐かなくなったし、強敵を前にしても堂々と立ち向かっていくようになって、周りの艦娘からも「暁は改二になって変わった、すごく強くなった」って言われるようになります。でも本当の暁は、敵と戦うのが怖くてたまらなくて、それでもその弱さを他人に見せたくなくて、ぎゅっと口を閉じて涙がこぼれ落ちそうになるのを我慢している、とてもか弱い少女なのです。

そんな感じで無理を続けていくうちに、暁の顔からどんどん笑顔が失われていって、天龍や龍田も心配して「あんまり無理すんな」って声をかけ続けるんだけど、暁は「長女である自分がしっかりしなきゃ」という思いが強すぎるあまり、誰にも相談できず思い詰めてしまいます。第六駆のみんなが「暁ちゃん、無理したらダメなのです」「悩みがあるなら私たちに相談してほしい…」「そうよ、もっと私たちを頼ってもいいのよ!」って言ってくれるんだけど、それでも暁は「ありがとう、でも私、大丈夫だから…」と言って、涙を見せないように帽子を深々とかぶり1人で立ち去っていくのです……。

……という感じで、1番艦としての責任感、戦場での恐怖心、誰にも弱さを見せられないという孤独感、自分の感情を必死に押し殺そうとする辛さ、そういったものに押し潰されそうになっている暁ちゃんを誰か救ってやってください、お願いします。

『劇場版 艦これ』感想(ネタバレ注意)

『劇場版 艦これ』見てきたよ~。

私は普段はほとんど映画館に行かないのですが、今年は『シン・ゴジラ』『聲の形』に引き続き、3度も映画館で見た感想を書くという異例の年となりました。ちなみに、『君の名は』と『この世界の片隅に』にはまだ見てないので、今後どうしようか考え中です。

以下、『劇場版 艦これ』のネタバレあり感想です。

ストーリーについて

この映画の主役は睦月ちゃんと言っても過言じゃありません。睦月と如月を中心にしてストーリーをまとめると、

轟沈したと思われていた如月ちゃんが帰ってきた。わーい!わーい! あれっ?でも、吹雪と夕立の名前忘れとるし何か様子おかしくない?

睦月「大丈夫!大丈夫だよっ!きっと疲れてて記憶が曖昧になってるだけだから!如月ちゃんはちゃんと戻ってきたんだから!」

いやいや!我を忘れて泊地の施設を攻撃したりしてんぞ!如月ちゃんは深海棲艦になってしまったんや!

睦月「大丈夫!大丈夫だよっ!これは戻ってきたばかりで気が動転してるだけだから!如月ちゃんは深海棲艦なんかじゃない!」

皮膚がどんどん変色していってるし、何か変な角生えてきたやん!やばいやばい!

睦月「大丈夫!大丈夫だよ、如月ちゃん!どんなことがあっても私はずっと如月ちゃんのそばにいるから!」

変色海域の中心で吹雪が、自らの分身でもある沈んだ船の怨念(?)のようなものと対峙し、運命を塗り替える希望の力(?)によってその怨念は消滅。同時刻、吹雪らを支援するために抜錨していた如月もまた、無数の塵芥となって消滅しようとしています。

睦月「大丈夫!大丈夫だよ、如月ちゃん!今から戻ってドッグに入ればまだ何とかなるから!お願い!行かないで!うわ~~~~ん!!!」

……と、まあ、こんな感じですね。なんかもう、これが普通の映画なら「睦月ちゃん、頭、大丈夫?」って感じですが、この現実を直視できてない感じが睦月ちゃんの睦月ちゃんたる所以だなあと思います。

途中からはもう半ば諦めて達観した感じで別れを告げるとかじゃなくて、あくまでも、如月ちゃんが死ぬその瞬間まで、必死に現実と抗って如月ちゃんと一緒に暮らす道を探ろうとする執念が実に良いんです。

その執念があったからこそ、エンディング後に、再び2人は出会うことができたのだと言えるでしょう。

設定について

今回の映画では、艦娘に関する重要な設定が明らかになりました。それは、轟沈した艦娘は「帰りたい」という怨念によって深海棲艦になり、深海棲艦が艦娘に倒されると再び艦娘に戻れる、というループ構造で、要するに『魔法少女まどか☆マギカ』『selector infected WIXOSS』と同じようなパターンということです。

しかし、この設定、いろいろ考え出したらキリがないのです。例えば、深海棲艦になるはずの如月ちゃんが一度は睦月のところに戻ってきたのは何故か。深海棲艦だったころの記憶を持ってる艦娘とそうでない艦娘の違いは何か。吹雪だけが分身を作り、運命に打ち勝つ力を持って艦娘化できたのは何故か。

こういった点がよく分からないまま終わったので、なんだか消化不良な感じがするし、「細かいところはあんま深く考えないでね~」ということなのかなあと思います。その点で、個人的には少し不満の残る映画だったと言わざるを得ませんね。

キャラクターについて

  • 海上で艦載機を飛ばす龍驤さん可愛い。その後こける龍驤さん超可愛い。
  • ある海域から謎の声が聞こえるという噂話を聞いてビビってる天龍さん萌え。
  • 画面にちょくちょく出てくる綾波・敷波が可愛い。でも、台詞が全くない! スタッフ何考えてんねん!
  • 天津風時津風が少ない出番ながらクソ可愛かった。特に、吹雪に抱きついて服を脱がそうとする百合っ娘トッキーが最高で、このシーンだけで映画館まで行った甲斐があったと言える。
  • 映画館では第六駆逐隊のイラストが描かれたポップコーンが売られてるのですが、映画内での出番はメッチャ少ない。どうなってんねん。
  • しかし、暁はまさに一人前のレディという感じでした。強大な敵を前にして、たぶんスカートの中とかおしっこ漏らしてグチョグチョなんだろうけど(※これはあくまでもイメージです)、それでもなお、恐怖心を必死に押し殺して、泣き崩れるのを懸命に我慢してる横顔が、最高にカッコいいのです。お世辞にも強そうには見えない泣き虫なチビッ子が、怖くて逃げだしたくなるのを必死に我慢して敵に立ち向かっていく、その姿のなんと凛々しいことか。本当の格好良さというのは、まさにこういう事を言うんじゃないのでしょうか。わずか数秒のシーンですが、映画版のベストシーンに挙げたい。

以上。

『ななしのアステリズム』第4巻があまりにも切なすぎて胸が張り裂けそう…

『ななしのアステリズム』第4巻、読み終わった。

つらい…。胸が苦しい…。

誰かを好きになるということ、誰かを愛し続けるということ、ただそれだけのことが、こんなにも辛く、苦痛に満ちているなんて…。誰かの気持ちを知るということ、秘密を抱えながら生きるということ、それがこんなにも悲しくて、苦しくて、耐え難い痛みを伴うものだというのなら、いっそのこと、3人が出会う前の何も知らないまっさらな気持ちのままでいたかった。

でも、あの運命の日、電車の中で出会ったあの日から、彼女たちの運命はどうしようもなく動き始めてしまったんだ…。それはまるで、ブレーキのきかない鉄道のように、もはや後戻りなど叶わず、嵐の海で帆を失ったヨットのように、どこに辿り着くかも分からない危険な旅。しかし、それでも、この名前のない旅が『ななしのアステリズム』という一つの物語となって紡ぎ出される時、言葉で言い表せないくらいに美しい光を放つのは、何故なのだろう…。

さあ、とりあえず気持ちを落ち着かせて、状況を整理してみましょう。

第1~2巻についての記事で、各キャラクターの恋愛感情を赤線で表記し、「その気持ちを知っている」という事実を青線で表記しました。今回さらに、「『その気持ちを知っている』という事を知っている」という事実を緑の矢印で表記してみましょう。すると次のような三角形が出来上がります。

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第4巻で新たに増えた矢印は、一番左にある太い緑線。つまり、鷲尾は「私の気もちを琴岡が気づいてる事を知っている」です! これまで琴岡は、3人の間にある全て矢印の存在を把握してきました。ところがここでついに、琴岡の知らない、鷲尾だけが知っている新しい矢印が登場してきたのです! まさに、追い詰められた鷲尾が放った渾身の一手という感じですね。

しかも、ここに昴と朝倉まで加わり、状況はますます混迷を深めて行っています。昴と朝倉は司のことが好き。そして「朝倉→昴」のフラグが立ちつつある? しかも、第3巻で琴岡が朝倉に「司には好きな人がいる」とかぶっこんで来やがったので、さあ大変。司には好きな人がいる、けれどそれが誰かは分からない、というこれまでにない矢印が出現したわけです。朝倉経由で昴にもそのことが伝わり、昴の心は掻き乱されていきます。

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鏡の前で女装して自分を慰めることしかできない昴の姿が、あまりにも切なすぎて、涙なしには見られません。喉を押さえながら「大丈夫」とつぶやく昴の姿、それは、間もなく訪れる第二次性徴期の声変わりによって、鏡の中の司ですら遠くへ行ってしまうという悲しい未来を暗示しているかのようです。

ここからさらに、各キャラクターが抱える過去のトラウマや、他のクラスメイトなども登場してきて、話はどんどんややこしい方向へ向かって行っています。この複雑怪奇な関係性が、今後どのように変化していくのか、物語はどういう結末を迎えることになるのか、全く予想もつきません。