新・怖いくらいに青い空

アニメ・マンガ・ライトノベル考察

『放課後ていぼう日誌』の夏海ちゃんが可愛すぎて生きるのがつらい…

『放課後ていぼう日誌』は、釣りを通じて人生において大事なものを全て描き尽したような作品だった。

しなる釣り竿や、震える糸の動きを、これでもかとリアルに表現することで、魚の生命力の強さが画面越しにも伝わってくる。第3話、陽渚を泣かせたのは、言うまでもなくマゴチの圧倒的な生命力である。その小さな体で、最後まで食われまいと必死に動き回る魚の姿。命の尊さ。だからこそ、魚を締めるのは釣った者の責任。血を抜き、内臓を取り出すシーンもしっかりと描く。我々は、雄大な自然の恵みをいただいて生活しているに過ぎない。でも、一歩間違えれば、人間の行為が生き物を傷つけ、自然を破壊してしまうという事実も、第9話を中心にしっかりと描かれる。

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第10話、八代海に沈む夕日のシーン。美しい海と空。でもそこには自然だけでなく、堤防があり、船があり、人々の生活がある。自然と人間との調和。それを守るための釣りのマナー、遊漁券などのルール。海は美しいだけではない。猛毒を持つ生き物や海難事故。だからこそ必要な知識と備え。それらが、格式ばらずに分かりやすく解説されていく。

そして終盤。陽渚は疑似餌を使ってキスを釣ろうとするが全く釣れない。黒岩部長はあえて明確なアドバイスはせずに陽渚の成長を促そうとする。納得の行くまで何度も試してみる努力、色んな方法を試す創意工夫、そして、何故釣れないのか徹底的に観察するということ。釣れないのには必ず理由がある。何が間違っているのか、どこに変化点があるのか、まさに糸を一本一本解きほぐすように分析し、仮説を立て、それを検証していく作業。それは釣りに限らず人生において最も大事なことの一つであり、全ての科学そして人間的な活動の基本である。

そして、自分にできることを全てやって、それでも駄目だった時。その時はきっぱり諦めるのである。広大で複雑な自然は、人間の思考能力ではとても太刀打ちできない場合がある。だから、夏海が言っていたように、その時は「魚の機嫌が悪かっただけ」と思って、きれいさっぱり諦める。まさに、人事を尽くして天命を待つ。

そこまでやってようやく釣り上げた時、陽渚は本当の意味で釣りの楽しさを知ることになる。誰かに教えてもらった知識とは違い、自分で掴み取った経験は何年、何十年も自分の中に残り続ける。それこそが教育の本質。生徒が自ら学び気づきを得られるように手を差し伸べること。それは言うまでもなく、陽渚を見守る夏海や先輩達、両親や先生が無自覚に、あるいは意識的にやっていたこと。いつか陽渚自身もそのことに気付くのだろう。

また、それは、アニメが担う究極の役割でもある。今は大人向けのアニメもあるので一概には言えないが、アニメにとって一番大切なことは、子どもの成長を促すことなのだ。『放課後ていぼう日誌』は、その基本を思い出させてくれる。

さて、前置きが長くなったが、ここからが本題である。本作の一番の見どころは何と言っても、我らがヒロイン・帆高夏海ちゃんの圧倒的な可愛さであることは言うまでもないことですが、それではここで夏海ちゃんの可愛かったシーンをランキング形式で振り返ってみましょう。

第10位 陽渚といっしょにイカ刺しの歌を唄う夏海ちゃん(第4話)

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いやもうお前ら可愛すぎだろ…。

第9位 陽渚の代わりに自己紹介をしてあげる夏海ちゃん(第1話)

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陽渚と再会して同じ部活に入れると知って嬉しくてたまらないという表情の夏海ちゃん。

第8位 砂浜で遊ぶ夏海ちゃん(第11話)

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守りたい、この笑顔…。

第7位 「はいはーい!私に任せろ!」のところの夏海ちゃん(第3話)

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陽渚に釣りを教えたくて仕方がない夏海ちゃん、もう陽渚のこと大好きすぎやろ…。

第6位 休日に陽渚のところへ秒速で駆けつける夏海ちゃん(第6話)

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普段の制服とは異なり、パーカーに短パンというボーイッシュな格好が夏海の可愛さをさらに引き立てる。

第5位 パンツを見られて取り乱す夏海ちゃん(第2話)

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元気で明るい子が不意に見せる恥じらい、実に素晴らしい。原作でもアニメでも、物語序盤のこのシーンで夏海を好きになったファンは多いだろう。

第4位 橋の下で謎の動きを見せる夏海ちゃん(第8話)

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直前のアヒルの鳴き真似している夏海も可愛かったが、この日の夏海は妙によく動き、ぐるぐる回っていたので、もう最高だった。かと思いきや、陽渚のために下に敷く段ボールを持ってきてくれるなど、陽渚に対する優しさも見せる。

第3位 「大野先輩の1ヒロながーい!」のところの夏海ちゃん(第10話)

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満面の笑みでピョンピョン飛び跳ねてるのがもうたまらん…。お前マジどんだけ可愛い生き物なんだよ…。

第2位 陽渚からお礼を言われて照れて顔を背ける夏海ちゃん(第12話)

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最終回でこの表情はもう反則だろ…。この場面、1カット1カットがもう尊すぎるので、ぜひみんな一時停止して見てみよう。

第1位 眼鏡姿を陽渚に指摘されて顔真っ赤にしてる夏海ちゃん(第7話)

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第7話は全体的にキャラクターの意外な一面を描く回だった。Aパート、完璧に見えて実はカナヅチな大野先輩。そしてBパート、一見勉強出来なさそうに見えて実は成績優秀と分かる夏海。そして、初めて家に陽渚を呼んだ時の眼鏡姿。それを指摘されて急に恥ずかしがる夏海。その後、探りを入れるように陽渚の中学時代の友達のことを聞こうとする場面も含め、まさにギャップ萌えの極致という感じ。夏海というキャラクターを、いつも笑顔の快活なキャラという記号的な描き方をするのではなく、繊細な心の揺れ動きをきちんと描いているのがもう素晴らしいのである。

というわけで、夏海ちゃんの言葉では言い表せない可愛さ、皆さんお分かりいただけましたか? コロナ禍と水害の影響が続く中、アニメ第2期が作られるのかは不透明だが、アニメを見返し、原作を読みながら気長に待とう。

『恋する小惑星』のイノ先輩のことを一番よく理解しているのは自分なんだという強い自負

9月12日は『恋する小惑星』のイノ先輩こと猪瀬舞さんの誕生日です。おめでとうございます!

アニメ第1話の反復横飛びは本当に衝撃的だった。そこからずっとイノ先輩を見続けてきたけれど、もうイノ先輩の一挙手一投足がただただ可愛い。桜先輩のことが大好きでデレデレしているイノ先輩、可愛い。先輩達が部活引退して泣くイノ先輩、最高に可愛い。手ブレで上手く写真が撮れずに泣くイノ先輩、もう死ぬほど可愛い。頼りなくて、不器用で、でもいつも一生懸命なイノ先輩のことが、ただひたすらに可愛くて大好きでした。

でも、イノ先輩と言えば、アニメ第3話は決して外せないポイントでしょう。休みの日にすずちゃんと一緒に探索しているイノ先輩。あおとみらが後を付けていくも見つかってしまい、イノ先輩はこう言います。

今日は飛び地を見に行きたくて

もうこの言葉聞いた瞬間テレビの前にいる地理オタクは全員歓喜に打ち震えたことでしょう。そうか…イノ先輩、飛び地ガチ勢だったのかぁ(恍惚)

みらから「それ面白いんですか?」と聞かれたイノ先輩は、手をめっちゃパタパタさせながら、

面白いんです!」と叫びます。

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この天真爛漫な笑顔。子どものようにはしゃぎ目を輝かせる姿。そう。イノ先輩の言う通り、飛び地は最高に面白いのである。イノ先輩が訪れた場所は実在しているので、もちろん私も後で見に行った。

『恋する小惑星』聖地巡礼 - 新・怖いくらいに青い空

その場所の近くに地図があったのでそれを見てみよう。

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川越市の一部が盲腸のように飛び出して、ふじみ野市側に突き出ている不思議な境界線。境界線が何故このような形になっているのかは分からない。おそらく、道の両側の土地の所有権か道路管理の都合でこんなことになっているのだろう。

ただ、ここは厳密に言えば飛び地ではない。本当の飛び地の例を以下に示す。

こちらは飛び地マニアの間では割と有名な飛び地で、できた理由もはっきりしていて由来は江戸時代にまで遡る。そもそも県をまたいでの飛び地が珍しいことに加え、飛び地が近い距離で3つも並んでるというのが実に面白い。

あるいは、こういう境界線もある。

おそらく昔はこの境界線に沿って川が流れていたが、河川改修で川の流れが真っ直ぐになったため、このように川によって分断された土地ができたのだろう。これもまた広い意味では飛び地と言えなくもない。

飛び地に限らず、境界線というものは調べれば調べるほど面白い。ただ地図で見るだけでも楽しいのだが、その場所を実際に訪ねてみるというのはまた格別な楽しさがある。面白い県境の例を以下に示そう。

まさに、イノ先輩が見たら「面白いですー!!!」ってなること間違いなしである。

この記事をここまで見てきてもまだ境界線の魅力に気付けない人は、残念ながらイノ先輩のことを真に理解することはできないだろう。

地学、それは最も身近な学問であり、我々人類が根源的に持つ「知りたい!」という欲求を満たしてくれる学問。

我々人類が学問という営みをスタートさせた時、最初に生まれたのは地学だったに違いない。この宇宙や地球はどのようにしてできたのか。何故世界は今のような形になったのか、そして、これからどう変化していくのか。海や川や山はどうやってできたのか。金銀銅や宝石、その他あらゆる岩石や天然資源は、いつどのようにして作られたのか。天気が移り変わったり、災害が起こったりするのは何故なのか。私達が住む日本や他の国々に、独特の地形や歴史や文化が生まれたのは何故なのか。何故この地球上には戦争や貧富の格差があるのか。何故、世界はこんなにも美しく、多様性に満ちているのか。地学の中には、これらの問いに対する答えが全て詰まっている。

そして、地図とは、人類が必死に世界を理解しようとして作り上げたもの。広大で複雑すぎるこの世界を、なんとかして手元にある1枚の紙に収めて理解しようとした、人類の執念と工夫の結晶。そこに書かれた境界線とは、所有という概念を手にした人類が、長い長い歴史の中で土地を区分けしていく中で作られたもの。利権や自然環境や人々の都合など、ありとあらゆるものが複雑に絡み合って、境界線は複雑に入り組み、飛び地も生まれる。境界線からは、その地域の長い歴史と、そこで代々暮らす人々が歩んできた道のりを感じられる。

私もイノ先輩も、こんなふうに地学や地図の魅力をいくらでも語ることができるけれども、それは全く本質的なことじゃない。これは全ての学問に言えることだが、イノ先輩の台詞「面白いんです!」これが全てなのだ。何故面白いのかと理由を問うことは、マラソンや登山をしている人に対して「そんなキツいことして何が面白いのか?」と聞くようなものである。そこに理由など存在しない。面白いものは面白い、楽しいものは楽しい、ただそれだけなのである! 飛び地は最高に面白い。地図は最高に楽しい。私もイノ先輩も、その面白さを知っている。

だからイノ先輩が、学校の休み時間に帝国書院の地図帳を一心不乱に眺めていたことも知ってるし、休みの日に親のパソコンを借りてグーグルマップで一日中遊んでいたことも知ってるし、紙に架空の町や道路や鉄道路線網を描いて遊んでいたことも知っている。何故ならば、私とイノ先輩は同志であり、一心同体だから。地図を愛する者どうしだから、イノ先輩の気持ちは100%理解できるし、イノ先輩の大好きなものを誰よりもよく理解できるのは自分なんだという強い自負がある。

私もイノ先輩も、学校で教わるよりずっと前から、都道府県の名前や位置も、県庁所在地も、地図記号も、全部暗記していた。リアス式海岸、陸繋島、三角州、扇状地フィヨルド三日月湖、そうした言葉の意味も完璧に理解できた。世界各地の国名と位置関係、その国はどんな気候でどんな天然資源や農作物が取れるのか、学校のテストで出るレベルの問題ならほぼ完璧に理解できた。それらを学ぶことは苦痛でも何でもなかった。休みの日や学校の帰り道に、まだ行った事のない道を探索しながら通るのが、どんな遊びやゲームよりも心躍った。私とイノ先輩はもちろん会ったことも話したこともないけれど、イノ先輩が何を考えているのか、何を面白いと感じるのか、手に取るように分かる。

こんなふうにオタクのキモい妄想を無限に膨らませてくれるイノ先輩であるが、イノ先輩を見続けているうちにふと思うのだ。所詮イノ先輩の足元にも及ばないのに、何勝手に分かった気になってるんだと。自分は一度でも地学オリンピックに出てみようとか学生時代に思ったりしたか? 自分は所詮、地図を見て楽しんでるだけの素人。対するイノ先輩は、地学という学問を本気で学ぼうと努力しているではないか。これはどんな分野でもそうだが、いくら「好きこそ物の上手なれ」と言えども「好き」だけでは何も成し得ないのである。例えば、土壌や岩石がどのような組成でどのような構造をしているのか、それを研究するのは紛れもなく化学の分野に近い。山や谷はどうやってできるのか、それは水や風による浸食を研究すないといけないが、それはもちろん流体力学、つまり物理と数学の仕事である。ただ「面白い!」だけじゃない、より難解で、だからこそ奥深い学問の世界へ足を踏み入れようとしているイノ先輩。その真摯さ、ひた向きさもまた、我々がイノ先輩を愛する理由ではないだろうか。

あらためまして、お誕生日おめでとうございます。今年度の地学オリンピックも頑張ってください。

久しぶりに『ハナヤマタ』を見た

浜弓場双先生の『おちこぼれフルーツタルト』が10月からアニメ化されるのに合わせて『ハナヤマタ』が再放送されていて、毎週楽しみに見ていたが我慢できずにdアニメストアで全部見てしまった。

リアルタイムで見ていた時は気付かなかったが、いやもうこれ、素晴らしいアニメだなあ。

霞がかかったような淡い色彩表現は『ノーゲーム・ノーライフ』や『宇宙よりも遠い場所』を彷彿とさせ、いしづかあつこ監督の味が実によく出ている。

そして登場人物が毎回ぐだぐだウジウジ思い悩んでああもうコイツらめんどくせーってなるんだけど、みんな顔真っ赤になって泣いて笑って、見てるこっちが恥ずかしくなるようなセリフ吐いて、でもそれが良いんだよなぁ。

何の取り柄もない普通の女の子でも、自分から一歩前に踏み出すことができれば、世界は変わる。このテーマは『宇宙よりも遠い場所』にしっかりと踏襲されています。

特に、なるとヤヤちゃんとの関係性は、まさに『宇宙よりも遠い場所』のキマリとめぐっちゃんとの関係性と同じなんですよね。ヤヤにとってなるは大切な親友であると同時に、ヤヤはなるのことを自分より下の人間だとも思っていて、そういう子を身近に置いておくことで安心感を得ているわけです。で、そんな子が、自分が知らない間にパッと出の外国人と親しくなっていて、いっしょに部活まで始めてなんか前よりも輝いて見える…、という女どうしの複雑な激重感情、そこからの関係性の転換がしっかりと描かれている。

やはりと言うべきか、いしづか監督はハナヤマタから強いインスピレーションを受けて『宇宙よりも遠い場所』を作ったんだという事がよく分かります。

それでも人は宇宙を目指す―『メテオノーツ』感想

第1話と第2話

かつて、こんなにも緻密に、こんなにも美しく、宇宙とそれに挑む人達を描いた漫画があったであろうか。『メテオノーツ』をリアルタイムで読めることは本当に幸せなことだと思う。

まず冒頭が本当に素晴らしい。

“地球は私達を包むゆりかごだ。しかしいつまでもその中には居ないだろう―”
(コンスタンチン・ツィオルコフスキー
私たちはその言葉につき動かされた
1947年2月 最初の宇宙飛行士はミバエだった
次にアカゲザルアルバート一世二世が初の哺乳類飛行士に
1951年にはサルのヨリックと11匹のハツカネズミ
1957年11月3日 スプートニク2号のライカ(犬)は
片道切符で地球軌道を周回した最初の飛行士になった
1961年4月12日… 沢山の動物たちが拓いてくれた宇宙の世界に
やっと人類が仲間入りした
そして…
今日は私の番!!*1

初の有人宇宙飛行という輝かしい出来事、でもそこに至るまでにも数多の積み重ねがあり、動物たちの犠牲があった。ガガーリンですら、地球上の生物が地球という揺りかごから飛び立つ歴史の1ページに過ぎない、ということをこの冒頭文は教えてくれる。歴史に敬意を払うとはまさにこういう文章のことを言うのだろう。

本作の主人公、チアキ・アキヤマは、宇宙空間での滞在を任務とする「メテオノーツ」と呼ばれる少女。彼女らは、宇宙生活が人体に及ぼす影響を臨床試験するため、国際宇宙ステーションISS)で数か月滞在する。何故彼女達でなければならないのか、何故宇宙に女の子しか居ないのか、現時点ではその詳細は一切不明。とにもかくにも、各国から選抜された超エリート少女たちのISSでの生活を描くのが本作『メテオノーツ』である。

第1話、チアキを乗せた宇宙船「はちどり」(もちろんこれは、日本が誇る宇宙ステーション補給機こうのとり」を有人飛行用に改良したもの、という設定であろう)がHII-Bロケットで種子島から打ち上げられる。途中、太陽電池パドルが開かなくなるトラブルに見舞われるも、何とか危機を脱しISSへ接近。そこから第2話が始まるのだが、なんと、はちどりとISSとのドッキングだけでこの第2話を全部使い果たす。

そもそも、宇宙船どうしを繋ぐドッキング、あるいはパーシング(係留)は、宇宙開発にとって無くてはならない技術である。例えば、宇宙ステーションへ人や物資を輸送するために、あるいは、宇宙ステーションの建設そのものに、ドッキングは頻繁に行われる。ところが、このドッキングというのが、初期の宇宙開発においてとてつもなく難しい技術だったのである。考えてみれば当然だが、地球の上を超高速で回る物体どうしを接近させて、安定した姿勢を保ちながら結合させる、というのは現代においても相当難しいことなのである。ゆえに、アメリカもソ連もドッキングで散々苦労し辛酸をなめてきたわけだが、そういう歴史をよく分かっている作者だからこそ、連載が始まったばかりの第2話でドッキングを持ってくるのである。これだけでもう宇宙開発史に詳しい人にはたまらない展開だろう。

宇宙の洗礼

政治家の多くが総理大臣を目指しているが、当然ながら、首相になってから何をやるかの方がよほど重要である。それと同じように宇宙飛行士もまた、宇宙に行くことが目的なのではなく、そこについてからが本当の任務開始なのである。

地上との中継(後述)を終え、いよいよこれから通常ミッション開始という時に、チアキは突然嘔吐する。これが第10話サブタイトルにもなっている「宇宙の洗礼」、宇宙酔いである。(地上で吐く場合は吐瀉物は自然に下へ落ちるが、無重力空間では上手く吐かないと吐瀉物が口や喉を塞いでしまい、最悪の場合窒息する。宇宙では、吐くのも命がけなのだ。)

宇宙酔いで体調が万全ではないにもかかわらず、宇宙飛行士としてすべき仕事はたくさんある。そして毎日数時間、過酷な筋力トレーニングをしなければならない。そうしなければ無重力空間で筋力や骨密度が怖ろしいスピードで減少していくからだ。(しかも、ISS内は空気の対流がないので、運動中に出た熱は体の周りに留まり、まるでサウナの中のような暑さを覚えるという。)

宇宙とは、こんなにも過酷な世界なのか…。

冒頭の言葉どおり、地球はまさに「ゆりかご」なのだ。『天空の城ラピュタ』のクライマックスでシータが言った「人は土から離れては生きられない」という言葉。本作を読むと、その言葉の真の重みを感じられる。

人は何故宇宙を目指すのか

こんなにも辛く危険な宇宙へ、なぜ人は挑もうとするのか。ISSと地上を結ぶ中継でのチアキの言葉が、その理由を端的に表している。

私たちはいつだって 誰かに生かされています
だから私も命がけで宇宙を楽しみます!
…そして
次はみんなの番!!
私たちが頑張って
子供がワガママに宇宙に関われる時代を作ります
こんな危険で
怖くて
ワクワクする世界
宇宙飛行士(おとな)だけなんて ズルいから!!
*2

細くて険しい道は、人が何度も通り踏み固められることで、立派な道となる。どんな険しい道のりでも諦めることなく突き進んできた、その姿こそが、人という生物の歴史そのもの。

地球上の7割を占める広大な海。人類は有史以来ずっとそこに挑んできた。小さな丸太舟とオールだけで太平洋を渡って行ったポリネシア人、大陸の技術を学ぼうと海へ繰り出した遣唐使たち、まだ見ぬ世界の富を求めてインド洋や大西洋へ向かった大航海時代の船乗りたち、彼らの旅がどれほど危険で、苦痛に満ちたものであったか。それが今や、洋上にはありとあらゆる船が浮かび、大量の人や物資を絶え間なく輸送している。

ドラえもんの唄にもある「空を自由に飛びたいな」、この子どもの遊びのような夢に、多くの人が憑りつかれた。リリエンタールらが鳥の飛行を研究して滑空飛行に成功した時、ライト兄弟が初めて動力飛行に成功した時、リンドバーグが大西洋横断飛行を行った時、それはどんなに無謀で命知らずなことだっただろう。多くの人々の努力のおかげで今日、毎日何万人もの人が安全かつ快適に空を飛びかっている。

大量の人や物を、もっと遠くへ、もっと速く、もっと安全に運びたい。私達の遺伝子の中に刻まれたその飽くなき願望こそが、世界を変え、科学を進歩させる原動力となった。これこそが宇宙開発を行う究極の理由。全ては、その後に続く人達のため、人類の未来のためにある。

日本人初の宇宙飛行士となった秋山豊寛さん(もちろん、本作主人公の名前の由来になった人物である)の姿に、私達は夢を見たのだ。パイロットや医師や研究者ではない、普通の民間人でも、気軽に宇宙へ行くことができる、そんな輝かしい未来の夢を。

何度吐いてふらふらになりながらも前に進み続けるチアキの姿は、有史以来ずっと新たな世界を切り開こうとしてきた人類の決意と情熱を、その小さな体全体で身に纏っているかのようだった…。

現在、サイコミのアプリで23話まで公開中だが、チアキの旅はまだ始まったばかり。チアキが宇宙にやってきてまだ1週間も経ってない。展開が遅いようにも見えるが、宇宙での生活を出来るだけ詳しく解説も交えながら描くとそうならざるを得ないのだろう。今のところ単行本第1巻は電子書籍のみだが、いつかちゃんとした紙の本でも発売してほしいものだ。

*1:『メテオノーツ』第1話より

*2:『メテオノーツ』第9話より。括弧内はルビ。

『僕の心のヤバイやつ』がヤバすぎた

もう1巻読んだ時点で「これ、ヤバいやつや!」ってなる。

中二病的自意識をこじらせた男子中学生の内面をこれほど深く掘り下げていった作品他にあるのだろうか?

ストーリーは、高値の花の美少女・山田と、主人公・市川が、少しずつ親しくなって両思いの関係になっていく、というようなよくある話で、各エピソードもごくごく普通の日常が描かれるだけなのだが。

それに対して市川がモノローグで見せる反応がもう最高に笑えるのである。中二病的自意識全開の市川のフィルターを通して、エピソードが展開していくので、もう面白くないわけがないのだ。

そして何よりこの市川の可愛さと言ったら。

他の大手雑誌に比べてチャンピオンはマイナーなイメージあるけど、時折どかーんとこういう凄い作品を出してくるんですよね(今期アニメ放送中の『放課後ていぼう日誌』もそう)。