新・怖いくらいに青い空

アニメ・マンガ・ライトノベル考察

『水星の魔女』に関する一連の騒動についての私見

月刊ガンダムエース2023年9月号のインタビュー記事で、スレッタ役の声優である市ノ瀬加那さんが、スレッタとミオリネが結婚したと言及していたのに、後に配信された電子版ではその記述が削除された件について、7月30日にガンダムエース編集部とバンダイナムコから謝罪文(月刊ガンダムエース2023年9月号掲載のインタビュー記事についてのお詫び)が発表され、その中で「作品側としては、本編をご覧いただいた皆様一人一人の捉え方、解釈にお任せし、作品をお楽しみいただきたいと考えております」などと述べられていたが、それについて私が言いたいことはただ一つ、

アニメの製作者や関係者が作中の描写について何らかの発言をすることは、公式によるダイレクトなメッセージとなり、それが結果的に視聴者の捉え方・解釈の幅を狭めてしまうおそれもあるので、あえて細かい設定などを言わないという判断がなされることは、一般的にはあっても良いとは思うが、

今回のように、作中で何度も同性婚についての言及がなされ、最終回では結婚指輪までして最早2人が結婚していることが誰が見ても明らかな状態であるにもかかわらず、それを公式が曖昧なままとし「皆様一人一人の捉え方、解釈にお任せ」するという態度をとるのであれば、2人の結婚について何も言及しないというそのこと自体に強いメッセージ性が含有されている、と見るべきであり、

であるがゆえに、本件に対する公式の態度は、同性婚を快く思わない層に配慮して、2人が結婚したという事実を出来る限り見えないようにしよう、という意図があると受け取られても仕方のないことであり、2人の結婚を祝福していた人達を深く傷付け、現実世界の性的マイノリティの人達の尊厳を踏みにじる行為に他ならないので、到底許されるものではない、ということです。

最近見てたアニメ

仕事等が忙しくて全然ブログを書けてないが、最近見たアニメで印象に残ってる作品だけひとまず感想を。

『水星の魔女』1クール目

視聴者の高い期待をさらに超えてくるストーリー展開と、細かい部分にまで目が光る演出からは、ガンダムシリーズという歴史に裏打ちされた信頼を感じる。前半部分では、第1話のグエルの台詞に象徴されるような、花嫁をトロフィーとして奪い合う男尊女卑的な構造に対して、そのアンチテーゼとしてスレッタとミオリネの関係性が提示され、その点がよく言われるようにウテナみがある構造のように見えたわけだけど、後半部分ではそこから一歩踏み出して新たな構造が生まれてきたように思う。ダブスタくそ親父という言葉に代表されるように、当初は打破すべきものの象徴であったミオリネの父親であったが、第7話の株式会社設立に際してミオリネは父親に頭を下げ、ビジネスパートナー的な関係性に変化していく。そして、ミオリネをトロフィー呼ばわりした男をお尻ペンペンで蹴散らすというある意味ポリコレ的存在として登場してきたスレッタが、12話ではミオリネを守るためなら殺人すら躊躇わないという極めて野蛮な男性性を発露してきたという展開。この状況から2クール目にどう話が進んでいくのか、そして、フェルシーちゃんの出番は果たしてあるのか、今から楽しみで仕方ない。

サマータイムレンダ

離島での民間伝承やドッペルゲンガーといったホラー的要素に、2010年代に興隆したタイムリープもののテイストを加えた作品。だが、この手のゲームとそれを原作とするアニメにありがちな、安易なルート分岐やヒロイン選択が存在せず、一本筋の通ったストーリーが特徴的だった。設定に関しても、タイムリープの回数に事実上制限がかけられていたり、敵側もタイムリープすることで強くなっていったりすることで、後半も緊張感のある作りになっていたと思う。終盤、常世とかいう謎の空間に移動してしまい面食らったことを差し引いても、名作と言える作品だろう。ヒロインの可愛さという観点で言えば、もう、影澪一択だった。

リコリス・リコイル

日本のTVアニメにありがちな、主人公の周りでワチャワチャやってる分には面白いのに、大きな組織を出してきた途端に粗が目立つようになる作品。DA、真島ともに拙攻が目立つし、台詞回しも回りくどく洗練されてない感じがする。それらの欠点を除けば完璧な作品。錦木千束を演じた安済知佳さんをはじめとする声優陣の名演、百合アニメ史に残る名シーンの数々、圧巻のアクションシーンなど、どれをとっても一流の仕事であるだけに、後半の展開はちょっと残念。結局は、「才能」というものをどう捉え、どう使うかは自分次第、というようなテーマ性を帯びていたのかなあと思う。吉松は千束には殺しの才能があるというが、そもそも殺しの才能とは一体何なのだろう。例えばひとえに野球の才能といっても、選球眼とか、パワーとか、瞬発力だとか、いろいろな要素があり、それらは他の競技や仕事などでも有利に働くものがある。このように、殺しの才能という漠然とした評価は吉松が勝手にそう解釈しているだけであり、それをどのように使うかは千束の意志次第である。我々は生まれ持った才能を変えることはできないが、運命を変えることはできる、というお話なのだろうがそのあたりのテーマはあまり深く掘り下げられなかった。

彼方のアストラ

2019年の作品だが先月くらいに一気見。多少ガバガバなSF考証を補って余りあるダイナミックなストーリー展開、ところどころでスケットダンスみのあるギャグ描写、生まれや遺伝子ではなく出会いと行動こそが人の運命を切り開くのだというメッセージ性、これらのバランスが秀逸で、かつ、黒沢ともよ無双の傑作。コアのテーマ性としては上で見たリコリコ等に近いのかもしれないが、そこに、登場人物が徐々に世界の真実に気付いていくという『都市と星』『星を継ぐもの』的な王道SFの構造、少年少女の冒険を基調とした『ドラえもん映画』的なジュブナイル冒険SF、『アポロ13』『ゼロ・グラビティ』的な宇宙事故ものの緊張感など、あらゆるジャンルの良いところを詰め込んだ良質なSFアニメだった。

よふかしのうた

随所に滲み出る作者の性癖、夜の独特な空気感、コウとナズナのまるで中学生カップルみたいな距離感など、原作の雰囲気を忠実に再現したアニメだった。雨宮天花守ゆみり沢城みゆきなどの名演も光る。声優陣の実力はもちろんだが、キャスティングもまた素晴らしい。

それでも歩は寄せてくる

原作の良い回を選んで贅沢に消費し、うるし先輩の可愛さを思う存分に描き切ったアニメだった。しかし、1クールで修学旅行まで行ったのはちょっと速足すぎるかも。凛を登場させるのは2期からにして、『かぐや様』みたいに付かず離れずの微妙な距離感の2人をしばらく見ていたかった気もする。

転生王女と天才令嬢の魔法革命

アニメの放送時期こそリコリコより後だったものの、陽キャで面食いの女が真面目で芯の強い女とイチャイチャする百合作品として、リコリコと双璧を成すものと言えるだろう。最初は陽キャ全開だったアニスの抱える影の部分が浮き上がり、そこから、かつてユフィがアニスに救われたように、今度はユフィがアニスを救うという、王道の展開に繋がる構成も見ごたえがある。物語のフォーマットとして種々のなろう系作品群あるいは『ゼロ魔』等に見られる伝統的な異世界転生王室モノを踏襲しつつ、そこに百合要素をふんだんに盛り込んだ作品ととらえることもできよう。

今期見るアニメ

『僕ヤバ』は原作も読んでるので視聴する。アニメ2話まで見た感じだと、『高木さん』のスタッフで作っているせいか、市川が思ったより西片みがある。

『スキップとローファー』は1話時点で黒沢ともよ無双の名作であることが確定したので視聴継続。

あとは『水星の魔女』と、他何作品か。

アニメ『ぼっち・ざ・ろっく!』の「ぼっちタイム」まとめ

『ぼっち・ざ・ろっく!』の主人公で高校1年生の後藤ひとりは、動画投稿サイトでギターのソロ演奏をupし人気になるほどの実力者だが、極度の人見知りとコミュ障のせいでなかなかバンドを組めずにいた。たまたま伊地知虹夏、山田リョウと出会った後藤ひとりは、「ぼっちちゃん」というあまり有難くないあだ名を付けられ、2人が所属するバンド「結束バンド」のメンバーとなる。後に喜多郁代も加わり、結束バンドのメンバーはそれぞれの夢に向かって共に歩み始める。

このあらすじだけ見ると、音楽を扱った普通の作品に見えるが、『ぼっち・ざ・ろっく!』には、通称「ぼっちタイム」と呼ばれる他では見られない変わった演出が出てくる。

「ぼっちタイム」とは、人付き合いが超苦手なぼっちちゃんが、過去のトラウマを思い出したりストレスに晒されたりした時に、完全に自分の世界に入りこんでしまい、脳内で様々な妄想を繰り広げる現象のことである。これが単にギャグとして優れているだけでなく、様々なアニメ表現を見せてくれてなかなかに見ごたえがある。そして、「ぼっちタイム」を通すことで『ぼっち・ざ・ろっく!』の基本構造が浮かび上がってくるように思う。

なので、本記事では1~12話までに発生した「ぼっちタイム」をざっくりと紹介していくこととしよう。

プランクトン後藤(第1話)

  • 本番前に虹夏・リョウと練習するもド下手と言われて落ち込むぼっちちゃん。
  • 謎のギター型マスコットが出てきて解説が始まり、ぼっちちゃんはソロは上手でもバンド演奏ではミジンコ以下という扱いに。
  • ぼっちちゃんがその場に倒れ込んで「完」という文字とエンディングテロップが流れだす。
  • その後ぼっちちゃんはゴミ箱に入ってしばらく出て来なくなるが、最後は虹夏たちに励まされて、段ボールをかぶって何とかステージに立つ。


青春コンプレックス(第2話)

  • 虹夏・リョウと好きな音楽についての話になり、「青春コンプレックスを刺激する歌以外ならなんでも」と答えるぼっちちゃん。
  • またしてもギター型マスコットがやってきて、実写映像とともに「青春コンプレックス」の解説を始める。
  • ギター男の「逆に青春時代の鬱憤を歌詞に叩きつけてるバンドは大好物だよね」という声に「うんうん」と頷くぼっちちゃん。
  • 虹夏が「おーい、ぼっちちゃん」「おねが~い、一人の世界に入らないで~」と声をかけるも全く聞こえていない様子。


初バイト(第2話)

  • チケット代ノルマを稼ぐためにバイトしようと言われて「働きたくない!怖い!社会が怖い!」と動揺するぼっちちゃん。
  • バイト中の自分がネットに晒されて死刑宣告される妄想を繰り広げる。
  • その後も、バイトを休むために風邪を引こうとして氷風呂に入ったり、仕事内容を歌で覚えようとして急に演奏したりと奇行を繰り返す。


駄目バイトのエレジー(第3話)

  • 喜多ちゃんがスターリーにやってきてバイトを手伝うことになるも、陽キャ全開で接客も上手いことが発覚。
  • ゴミ箱に入りながら「その日入った新人より使えない駄目バイトのエレジー」を歌い出すぼっちちゃん。
  • メロディに合わせてぼっちちゃんが幽体離脱し、エンドカードまで出てきて最終回みたいな雰囲気に。


下北沢のツチノコ(第4話)

  • キラキラなSNS画像を見てぼっちちゃんが卒倒し、また幽体離脱する。喜多ちゃんが「後藤さんどうしたの!?死なないでー!」と慌てる。ぼっちの変顔を見た虹夏は「ぼっちちゃん、顔ヤバいって」とドン引き。
  • キラキラなイメージ映像とともに「現代の女子高生で私みたいな人、他にいるのかな?」「ツチノコと肩を並べるくらいの希少種なのでは?」というぼっちちゃんのモノローグが入る。
  • 「私が下北沢のツチノコです…ノコノコ…ノコノコ…」と言いながら地べたを這うぼっちちゃん。喜多ちゃんは「後藤さんが変なこと言ってる!」と心配するも、虹夏は「いつもこんなんだよ」と最早心配すらしていない。


承認欲求モンスター(第4話)

  • 「ぼっちちゃんもイソスタ初めてみたら?」という虹夏の発言をきっかけに映像が乱れ、ぼっちちゃんの体が崩壊しサイバーパンクな感じになる。
  • 「私がそんなもの初めてしまったら…生まれてしまう!承認欲求モンスター!」というモノローグ。「いいねくれー!」という叫び声を上げながら町を破壊する承認欲求モンスター。
  • 妄想の中で喜多ちゃん達に呼びかけられてようやく正気に戻るぼっちちゃん。


チケットノルマ(第6話)

  • チケットノルマ5枚のうち、父と母のぶんしか売れずに動揺するぼっちちゃん。
  • 「父…母…父…母…」という独り言とともに、画面がサイケデリックアートのような凄い色彩に。


アル中ぼっちちゃん(第6話)

  • 偶然、泥酔して幸せスパイラルに陥る廣井きくりと出会うぼっちちゃん。
  • 将来ニートになって酒に溺れる自分を想像し、絶叫するぼっちちゃん。きくりからは「キミ、もしや結構ヤバい子?」などと笑われる。


体育祭のトラウマ(第7話)

  • 喜多ちゃんのTシャツ案を見て体育祭のトラウマが蘇るぼっちちゃん。「一人はみんなのために、みんなは一人のために」とか言いながらぼっちちゃんの周りを回る人形たち。
  • 全身ピンク色になったぼっちちゃんを見て、さも当たり前のように「後藤さん、溶けちゃいましたね」と言う喜多ちゃん。CM明けでもまだ溶けてるぼっちちゃんを見て、「今日のぼっちタイム、CMまたぐくらい長いねー」と感想を述べる虹夏。
  • 「No 協調性 No Life!」と連呼する一団に捕まって火炙りにされるぼっちちゃん。
  • ちなみに、そのあと青春胸キュン映画を見た後にもトラウマ発動している。


胞子化(第7話)

  • 虹夏と喜多ちゃんに言われるがまま私服に着替えるぼっちちゃん。虹夏に前髪を上げられた瞬間、急激なストレスに耐えきれずに体が崩壊を始める。
  • 「らら、らんらららん」という何処かで聞いたことあるようなメロディとともに体が胞子状になり四散していくぼっちちゃん。
  • その胞子を肺に吸い込んだ虹夏・喜多ちゃんも、倒れてネガティブ思考全開の状態になる。


顔面崩壊(第8話)

  • 居酒屋にいたサラリーマン2人の会話を聞いたぼっちちゃん、自分が将来働いた時のことを想像し卒倒する。
  • 顔面が崩壊するぼっちちゃん。星歌さんから「ぼっちちゃん、またいつもの発作か!?」「怖いんだよな、ぼっちちゃんのこの顔」とか言われる。
  • リョウと喜多ちゃんが紙やすりを使って顔の修復を試みる(喜多ちゃんは「毎回この作業大変ですよね~」と言い、もはや驚きもしなくなっている)が、微妙に失敗し面長な感じになってしまう。


セミのお墓(第9話)

  • 夏休みに誰からも遊びに誘われないショックで落ち込むぼっちちゃん、スターリーの前で何故かセミのお墓を作り始める。
  • その後、喜多ちゃんから江ノ島に行こうと誘われるが、浜辺で仲睦まじく遊ぶカップルを想像してしまい卒倒。「tropical love forever」などとうわごとをつぶやく。
  • 以降、江ノ島に着くまでずっと茫然自失に。


風船化(第9話)

  • 江ノ島パリピに声をかけられ動揺するぼっちちゃん、風船化し爆発する。
  • ふにゃふにゃになったぼっちちゃんを虹夏がかついで逃げる。


キュビズム(第10話)

  • ゴミ箱に捨てた文化祭ライブの申請書を喜多ちゃんが提出してしまったことが発覚し、顔がピカソの絵のようになるぼっちちゃん。
  • その後、気絶して棺桶に入る。


メイド喫茶(第11話)

  • 文化祭のメイド喫茶の看板持ちをさせられるぼっちちゃん、極度の緊張で放心状態となり口から緑色の液体を垂らす。
  • 世紀末的な風貌のヤバい2人組がぼっちちゃんに声をかけるが気付かない。
  • やがて、ぼっちちゃんの口からギターのマスコットが登場し、2人組は恐怖のあまり土下座して謝罪。


超サイヤ人(第12話)

  • 動画広告収入の30万円が入り、バイトを辞められるという安堵感から超サイヤ人になるぼっちちゃん。
  • 結局、店長に辞めると言い出せず、ゴミ箱に入る。


腹話術の人形(第12話)

  • 楽器屋の店員に話しかけられ、腹話術の人形のようになるぼっちちゃん。
  • 喜多ちゃんが後ろから支えて代わりに店員と会話する。


まとめ

以上が、アニメ版に出てきたぼっちタイムの内容である。一応言っておくが、上で挙げたのはあくまでも代表的なものに過ぎず、これ以外にも大小様々な奇行が見受けられる。

こうして見ていくと、ぼっちタイムには以下のような特徴が認められるであろう。

  • 過去のトラウマやネガティブ思考、強いストレスなどの影響により、ぼっちちゃんの脳内で様々な妄想が繰り出され、それが奇行となって現れる。
  • ぼっちちゃんの奇行を見た周りの人も、最初は驚いているが、次第に慣れて普通の事として受け入れてる。
  • ぼっちタイムが及ぼす影響に「階層性」がある。

ここでは「階層性」についてもう少し詳しく解説していこう。

上の例で挙げたぼっちちゃんの妄想は全て、言うまでもなくぼっちちゃんの脳内にある映像である。しかし、その影響は脳内だけに留まらず、ぼっちちゃんが見せる奇行という形で表出してくる。急に倒れたり、奇声を上げたり、ゴミ箱等に入ったりするのがそれにあたる。それを図にすると以下のようになるだろう。

ぼっちタイムによる影響を受けた行動を見て、周囲の人は驚いたりドン引きしたりと様々な反応を見せる。だが、ぼっちタイムの影響はそれだけに留まらない。単なる行動の変化だけでなく、ぼっちちゃんの体が物理的に変化していってるのだ。例えば、体が溶けてしまったり、胞子状になったりするなど、もはや人間の形を保てなくなっている。その特徴は、特にアニメの後半の方になるにつれて顕著に現れてくる。

リョウ達がぼっちちゃんの顔を紙やすりで修復しようとしていることからも分かる通り、これは単なる漫画・アニメの演出ではなく、あの世界では本当にぼっちちゃんの顔や体が変化しているのだ。しかもそれは、明らかに生物学・物理学の常識に反した振る舞いを見せる。これは紛れもなく、ぼっちタイムが作中世界の物理法則に影響を与えている、ということに他ならない。その究極の形が、第7話で起きたぼっちちゃんの胞子化であろう。

上の図で示す通り、本来なら物理的な実体を持たないはずの妄想世界が、ぼっちちゃんの身体を変化させ、さらに世界自体にも影響を及ぼしているのだ。筒井康隆の『パプリカ』や、鈴木光司の『リング』シリーズ、あるいは映画『マトリックス』などを彷彿とさせる衝撃の描写である。『ぼっち・ざ・ろっく!』は一見すると音楽を題材にした萌え4コマ漫画、萌えアニメのように見えるが、実はSF作品でもあったのだ。

こうして『ぼっち・ざ・ろっく!』の真の姿を知った後、ハッと気づく。もしかすると、ぼっちタイムは、我々の住むこの現実世界にも影響を及ぼしているのではないか? 上で見てきた通り、ぼっちタイムの影響は時空や物理法則を超越している。であるならば、すでに現実世界がぼっちタイムの影響を受けて書き換えられていたとしても、何ら不思議ではない。我々の精神自体も世界の一部であるため、この世界の改変を人間が認識することは不可能である。人間がこの世界の外に出られない以上、ぼっちタイムによる世界改変を証明することも反証することもできないのだ。

ここまで来ると、もはやSFというより哲学的という方が正しいであろう。果たしてぼっちちゃんは、結束バンドは、そしてこの世界はどうなってしまうのか。続きが気になって仕方がないので書店で原作漫画を買おうと思う。

話数単位で選ぶ2022年TVアニメ10選

今年もaninadoでやっている話数単位10選の季節がやってきました。こちらの記事にあるとおり、

・2022年1月1日~12月31日までに放送されたTVアニメ(再放送を除く)から選定。
・1作品につき上限1話。
・順位は付けない。

というルールで今年放送されたアニメの良かった回を10個紹介します。

『明日ちゃんのセーラー服』、第7話、「聴かせてください」

脚本:山崎莉乃
絵コンテ:Moaang
演出:Moaang
作画監督:川上大志
やっぱ蛇森さん素晴しいんですよねぇ。ギター弾けないのに強がって弾けると言っちゃう蛇森さん、他の子が部活などで頑張ってる姿を何とも言えない表情で見つめる蛇森さん、ギターを持って部屋ではしゃいで戸鹿野さんに目撃される蛇森さん、江利花の演奏を聞いて様々な感情が押し寄せてきて胸が詰まってしまう蛇森さん。練習を始めてすぐに壁にぶつかってくじけそうになる蛇森さん、でもそんな時に傍に寄り添って的確なアドバイスをくれる戸賀野さんとの関係性。思春期真っ盛りのどこか痛々しくて繊細な心理描写。明日ちゃんに聞かせる曲がスピッツの『チェリー』なのも、その歌がぶっちゃげあんまり上手くない(ギター覚えたての中学生が必死に歌った曲なのだからこのくらいのクオリティで当たり前)のも、とてもリアルで素晴らしい。初めから終わりまで、蛇森さんの魅力が全て詰まっている。

かぐや様は告らせたい-ウルトラロマンティック-』、第3話、「柏木渚は誅したい」「四条眞妃は何とかしたい」「白銀御行は信じられたい」

脚本:菅原雪絵
絵コンテ:畠山守
演出:池田愛
作画監督:矢向宏志、水谷雄一郎、横山穂乃花
総作画監督:矢向宏志
原作読者100人中100人が待ち望んでいた四条眞妃ちゃん登場回。親戚である四宮かぐやと同じく、プライドが高くてなかなか素直になれない子。でも、かぐやとは違い自分の感情を隠すのが下手で、すぐに泣き出す。落ち着いたかと思いきや、翼くんのことを思ってまた泣く。その後すぐ泣き止んで強がって見せるけど、石上になんか言われるとまたすぐ泣く。次から次へと繰り出されるギャグ。眞妃ちゃんの言動全てが圧倒的な可愛さ。だが、その後のアイキャッチに書かれている「だれかに話すだけで…こんなに心がかるくなるんだ…」というモノローグは、眞妃が友情と恋心との板挟みで思い悩んでいたことを物語っている。その健気で繊細な姿が、あまりにも美しく、愛おしい。

『SHAMAN KING』、第52話、「SHAMAN KING GOD END」

脚本: 米村正二
絵コンテ:古田丈司
演出:四ノ宮春
作画監督:渡辺健一、飯泉俊臣、陸田聡志、西島圭祐、柴田ユウジ、飯塚正則、糸島雅彦、白鳥弘公、森悦史、高瀬健一*1
総作画監督:渡辺健一
平成を代表するバトル漫画の本当のラストがついにアニメになった。憎しみの連鎖を断ち切るため、葉たちは、これまでに登場した全ての敵・味方と共に、ハオに「天地を返すほど珠玉の愛」*2をぶつける。それまでずっと余裕ぶっこいてたハオが、圧倒的な愛の力にたじろぎ、最後はへなへなになっていくカタルシス。52話にわたって積み上げてきた物語のクライマックスにふさわしい奇跡のような最終回。

『よふかしのうた』、第2話、「てかラインやってる?」

脚本:横手美智子
絵コンテ:関野関十
演出:関野関十
作画監督:露木愛里、北島勇樹、Kim dae jung、Son kil young
総作画監督:佐川遥
美しい夜の風景、その中で繰り広げられる軽妙な会話劇、恋愛の事になるとすぐに顔が赤くなるナズナちゃん、嫉妬するコウ君。もうこの二人が可愛くて可愛くて、ずっと見続けていたいという気持ちになる。沢城みゆきさんの名演が光った第11話とかなり迷った末に、やはり『よふかしのうた』の真髄が詰まった回である第2話を選出しようと決めた。

リコリス・リコイル』、第3話、「More haste, less speed」

脚本:枦山大
絵コンテ:足立慎吾、丸山裕介
演出:丸山裕介
作画監督水谷雄一郎、滝口弘喜、小沢久美子、山村俊了、しまだひであき、TOMATO
アクション作画監督:岩澤亨、柴田海
総作画監督:鈴木豪、晶貴孝二
DAへの復帰が叶わず焦りが募るたきなを千束が抱きかかえ、回転しながら「私は君に会えて嬉しい」と叫ぶシーンは、百合アニメ史に残る名シーンとなった。特別な舞台装置の中で百合的なトランス状態が生まれ、2人の距離が物理的にも精神的にも近づくという演出は、『響け!ユーフォニアム』の大吉山のシーンを彷彿とさせる。そして、この回を見ることでようやくエンディング曲『花の塔』が真価を発揮し、強烈なエモさを伴って心に響いてくる。

ラブライブ!スーパースター!! 第2期』、第4話、「科学室のふたり」

脚本:花田十輝
絵コンテ:いまむら
演出:いまむら
作画監督:伊藤幸、杉本海帆、水野辰哉、向川原憲、森淳
総作画監督:斎藤敦史、佐野恵一
第7話「UR 葉月恋」と迷ったが僅差でこちらを選出する。人付き合いが苦手な者どうし自然と惹かれ合っていくメイと四季。相手を想うがゆえに、自分の本当の気持ちを伝えられず、すれ違ってしまうもどかしさ。それらを丁寧に描いたからこそ光る、夕焼けの科学室での和解シーン。本シリーズ随一のエモーショナルな百合回。

『継母の連れ子が元カノだった』、第8話、「元カップルは警戒する『わたしはもうフラれてるんですから、大丈夫ですよ』」

シナリオ:静原舞香
絵コンテ:Royden B
演出:松本マサユキ
作画監督:森谷春樹、洪範錫、STUDIO MASSKET
幾多のヒロインが主人公に告白して振られてフェードアウトしていく中、振られてもなお存在感を見せつける東頭いさなは特異な存在だろう。東頭いさなにとっては、水斗と恋人になれるかどうかは二の次であり、水斗と友達であり続けて楽しく駄弁っていたいという気持ちの方が強いのだろう。だから、振られた後でもお構いなしに家に押しかけ、グイグイ距離を詰めてくる。もはや彼女の前ではカップル、友達、兄弟といった普通の枠組みは通用しない。その強烈なキャラクターが駆動力となり、水斗と結女の関係性をも揺さぶっていく。

『Do It Yourself!! -どぅー・いっと・ゆあせるふ-』、第6話、「DIYって、どうでも・いいもの・やくにたつ!」

脚本:筆安一幸
絵コンテ:安藤尚也
演出:安藤尚也
作画監督松尾祐輔
言ってしまえば日常系アニメでよくある海で遊ぶ回(水着回)なのだが、キャラクターの何気ない仕草や服装デザインにスタッフの並々ならぬフェティシズムが感じられ、キャラクターの可愛さをよく引き立てている。と同時に、ぷりんがせるふへと向ける温かくもどこか寂しげな眼差し、揺れ動く心を懇切丁寧に描き出す幼なじみ百合回でもあった。肌の露出を増やしたり綺麗な画を見せたりするだけが水着回ではない、ということを教えてくれるお手本のような回。

『ぼっち・ざ・ろっく!』、第12話、「君に朝が降る」

脚本:吉田恵里香
絵コンテ:斎藤圭一郎
演出:斎藤圭一郎
作画監督:けろりら
ギターのために青春の全てを捧げてきた後藤ひとりという少女が、仲間達と出会い、今日のために必死に努力して、劣等感、悔しさ、恐怖、ありとあらゆる感情を演奏にぶつけた時、ステージが、教室が、世界が、こんなにも光り輝いて見える…。後藤ひとりがあれほど忌み嫌っていた輝かしい青春の日々。だが、これは紛れもなく、後藤ひとりという少女の青春の物語。にもかかわらず、その後ステージから転倒し保健室に運ばれ、Bパートでも相変わらずコミュ障全開の情けない姿。過度に感動的にせずにこうしてギャグで落としてくるのは、アニメスタッフが後藤ひとりの人物像を徹底的に解剖し、深く原作を理解しているからこそできる描写だろう。

機動戦士ガンダム 水星の魔女』、第11話、「地球の魔女」

脚本:大河内一楼
絵コンテ:金澤洪充、綿田慎也、小林寛
演出:倉富康平、綿田慎也
作画監督:菱沼義仁、戸部敦夫、丸山修二、宍戸久美子
自信を無くしトイレに引き籠ってしまったスレッタが無重力の中で膝を抱えて丸まっている構図は、明らかに母親の胎内のメタファーである。ミオリネがスレッタをそこから引きずり出すことで、スレッタの親離れと再生を表現しているように思う。一度開けた扉をもう一度無言で閉めようとするスレッタと、全身を使ってドアをこじ開け反動で頭を打ち痛がるミオリネ、持ち前の体力でピョンピョンと逃げ回るスレッタと、何度も壁にぶつかりながら必死に追いかけるミオリネ。必死なのにどこかコミカルな一連のカット全てが美しい。その後、胸の内を打ち明けるたどたどしい口調のスレッタ、スレッタの胸にしがみつきながら自分の気持ちを伝えるミオリネ。2人の間に「愛さえあれば言葉なんていらない」などという綺麗事は要らない。心の底から発せられた本当の言葉だけが、スレッタとミオリネを結びつける。文句無しの神回。

*1:クレジットにはアクション作画監督と表記あり。

*2:「Get up! Shout!」、作詞:水樹奈々、作曲:山本玲史

ぼっちちゃん=マアアさん説

以下は、アニメ『ぼっち・ざ・ろっく!』第10話、後藤ひとり(ぼっちちゃん)が教室で寝ているシーンについての原作者のコメントである。

10話観直して気づいたけどぼっちが夢から覚めた時に机についたよだれ袖で拭き取ってるの細かいな、、、*1

一方、Twitterでも多くのアニメ視聴者がその点に言及している。

アニメ10話でぼっちちゃんが起きたときによだれに気がついて机を袖でゴシゴシしてるシーン見て、あのジャージ近くで見たら結構汚いんだろなと思いましたいつも着てるし*2

ここの自分のよだれをジャージで拭くぼっちちゃん本当に陰キャで汚らしくて好き*3

2年生に進級してぼ喜多が同じクラスになったら、ぼっちちゃんが涎をジャージで拭いてるの見た喜多ちゃんが「あ〜!もうひとりちゃん!またそんなことして…ほら、拭いてあげるからこっち向いて!」とか言って自分のハンカチで拭いてあげたりするんだろうな…*4

俺は机に涎垂らしたのをジャージの袖で拭いてたり、微妙に清潔感のない挙動が各話ちょっとずつあってこれリアルに臭いんじゃないかな??みたいな疑いはずっと持ってるけど、
そんなぼっちちゃんが好きですよ。*5

ぼっちちゃん気を失って寝てた時の口元の涎ジャージで拭くの好きすぎるし、突っ伏してた机にも涎垂らしててそっちもジャージで吹いてるの好きすぎる
そのジャージ絶対臭い*6

ライブや練習の後の後藤ひとりのジャージのちょっとくっさいにおいをかいでクラクラ欲情してしまう喜多郁代?*7

ぼっちちゃんのジャージ、浴槽で漬け置き洗いしたら汚れで水真っ黒になりそう*8

こんな感じで、みんな、汚いぼっちちゃんが大好きなのである。

実際、あのジャージにはぼっちちゃんのよだれや汗が染み込んでいる上に、ぼっちちゃんが度重なる奇行によってゴミ箱に入ったり地面に寝転んだりしているので、相当汚れているだろう。本来であれば、ドン引きされたり、気持ち悪がられたりしてもおかしくない。

にもかかわらず、視聴者も、作中のキャラクターも皆、汚いぼっちちゃんを愛しているのである。どうしてぼっちちゃんは愛されるのか、そのヒントは今年夏に放送されたアニメ『メイドインアビス 烈日の黄金郷』にあるだろう。

メイドインアビス 烈日の黄金郷』にはマアアさんというキャラが出てくる。奇しくもぼっちちゃんと同じく全身ピンク色で、「マアアア」としか話さないが、いざという時には主人公・リコを助けてくれる頼もしいキャラだった。

kyuusyuuzinn.hatenablog.com

そんなマアアさんは、近くで見ると結構汚れていて、乾いたうんちを優しくしたような臭いがするらしい(原作漫画での設定)。そして、ケツが汚く、いつもよだれを垂らしている。それ以外にも、吐いたり、泣いたりして、液体をまき散らしている。

それでも、我々はマアアさんを愛してやまない。たとえ数々の残念ポイントがあっても、それが一周回って最高に愛おしいと思えるのである。それと同じ原理で、ぼっちちゃんも皆から愛されているのだろう。

両者の共通点は他にもあって、例えば、ぼっちちゃんはツチノコや胞子など、様々な形態に変形することができる特殊能力を持っている。一方、マアアさんも、体に柔軟性があり、腕や体を自由自在に伸び縮みさせることができる。そして、両者とも、いつもは挙動不審でオロオロしていることが多いが、いざという時には秘められた力を発揮するという特徴がある。

こうしてみると、ぼっちちゃん=マアアさん説に真実味が増してくると思えないだろうか。