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新・怖いくらいに青い空

アニメ・マンガ・ライトノベル考察

『たまこラブストーリー』ネタバレ有り感想―変化を受け入れ、想いを伝えるまでの物語

たまこラブストーリー』観て来ました。予告編などで示唆されていた通り、この映画はTVアニメ版の『たまこまーけっと』とはガラリと雰囲気が変わって、もち蔵とたまことの青春ラブコメが展開されていました。今回の映画を簡単に要約すれば、「変わる」という事を怖れて、相手の想いを「受け取る」ことも、自分の想いを「伝える」ことも上手く出来ずにいたたまこが、周囲の人と接する中で次第に変化を受け入れて行き、最後に自分の想いを伝えるまでを描いたストーリーだと言えると思います。

変わってしまうことに対する恐怖

たまこはこれまで、自分の想いを「伝える」ということをあまりしてきませんでした。TV版のたまこはあくまでも聞き手、受け取る側として描かれているように思います。もちろん頭の中では色々と葛藤はあるんですが、結局それをはっきり伝えることはしていない。周りの人がぶつけてくるメッセージを受信する中で、その葛藤が解消されてゆくという構図になっています。では何故伝えないのか。それはたまこが、うさぎ山商店街の「日常」に満足していて、それが変わってしまうことを怖れているからでした。気持ちを伝えたことで何かが変わってしまうのが怖い。だから、何も言わずに現状維持を望んでしまう心理がそこにはあります。

変わらない日常が変化することを極端に怖れているキャラクターとして、『それでも町は廻っている』の歩鳥を挙げることができます。『たまこまーけっと』と同様に、『それ町』も丸子町商店街という商店街が舞台の作品ですが、これは偶然ではないように思います。つまり、ここ数十年の日本のファスト風土化の中で失われたある種の牧歌的な日常が、ギリギリ消えずに残った地域というのが、田舎を除けばこういう下町の商店街くらいしかないのです。逆に言えば、そのような地域への愛着を物心つく前から持ち続けて成長できる人というのは、非常に少なくなっているわけです。『半分の月がのぼる空』はまさに、そのようなバックグラウンドを持たない主人公が、ヒロインとの交流を通して次第に地域への愛着を獲得する話でした。

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日常が変わった瞬間

で、話を『たまこラブストーリー』の方に戻しますが、たまこ達の日常は、デラ達が帰国し、たまこ達も3年生になってしばらく経った頃から急展開を始めることとなります。東京の大学で映像の勉強したいと決めたもち蔵は、河川敷の飛び石の上でたまこにその事を伝え、同時にたまこに「好きだ」と告白します。そこからのたまこは、もう、圧巻の可愛さでした。驚きのあまり川に落ちてしまい、そこから逃げるように走り去るたまこ。その後も、行動・表情・話し方、全てが挙動不審に。餅を見る度にもち蔵の事を思い出して赤面し、学校でももち蔵と目を合わさないようにぎこちない素ぶりを見せ、バトン部の練習もままならない。いや~素晴らしい、なにこの可愛い生き物。

でも、この動揺がまさに、日常が変わってしまう可能性を前にした時の、たまこの焦りと不安をよく表しています。上で述べたように、これまでのたまこは一貫して情報の「受け手」だったわけですが、今回のもち蔵からの告白は、彼女にとってあまりにも強烈で受け取ることができないのです。ずっとこのまま続くだろうと思っていた日常が大きく変わろうとしているという事実に気付いた途端、今まで普通にやっていた「受け取る」という行為すら、まともに出来なくなってしまうのです。糸電話やバトンを上手くキャッチできないという描写が、それを象徴しています。

では、このような「変わってしまうことに対する不安」を解消するためには、何が必要なのでしょうか。一つの方法として、「日常はこれからも変わらず続いていくよ」というメッセージを発信するということが挙げられます。そしてこれは、京アニが『けいおん!』の中でずーっと描いてきたことだったと思います。私達が卒業しても放課後ティータイムの関係は変わらないよ、と。TV版の『たまこまーけっと』も、基本的な構造は同じだったと思います。

ところが、『たまこラブストーリー』では、そのレトリックが使えません。何故なら、もち蔵が告白した時点で、2人の関係はすでに大きく変化してしまったわけですから。しかも、高校卒業後は離ればなれになることが分かっている。たまこの周りで起こった変化、あるいはこれから起こる変化は、無視できないほどに大きい。だからこそ、それを受け入れなければならないと分かっているけれども、それが上手くできず、たまこは一人で悩み続けます。

変化を受け入れるということ

それでもたまこは、友達や家族、商店街の人達との変わらない交流を通じて、次第にその変化を受け入れていきます。例えば、店の手伝いを休んで早朝の商店街に出かけていったたまこは、そこでいつも通りの日常が連綿と続いているということを再確認します。たまこはようやく平静を取り戻し、その後の町内会のイベントでもちゃんとバトンを取ることが出来ました(その時のBGMが『上を向いて歩こう』だったのも、非常に象徴的です)。

いつもと変わらない日常が展開されている様子を見て、日常の変化を受け入れられるようになるというのは、非常に逆説的な感じがします。何故このようなことが可能なのかというと、それは結局、自らのバックグラウンドを見つめ直す作業なしには、人は前に進むことが出来ないからだと思います。安心して飛び込むことができる確固とした足場がなければ、人は未知の領域に飛び込むことが出来ない。その大事な足場が、たまこにとっては家族や友達であり、うさぎ山商店街だったということなのだと思います。

想いを伝えるということ

そうやって変化を受け入れていったたまこは、次第に自分の中の感情に気付いていきます。そしてクライマックス、東京に向かう新幹線のホームで、たまこはもち蔵に自分の想いを伝えます。この場面も非常に象徴的で、たまこが糸電話を全部もち蔵に投げた後、もち蔵が投げ返した糸電話を今後はちゃんと掴み取り、そして最後にたった一言「大好き」と伝えます。本当にたった一言。これは、本作と同じく「伝える」ということがテーマとなった作品である『ココロコネクト』とは対照的です。

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ココロコネクト』の場合、毎巻のクライマックスとかでは徹底的に自分の想いを相手にぶつけます。それこそ何ページもかけて。それは、『ココロコネクト』という作品の主眼が、複雑に絡まりあったディスコミュニケーションの糸を一つ一つ丁寧に解きほぐしていくところにあるからだと思います(さらに言えば、ディスコミュニケーションを認識した上で、新たな関係性を構築していくことに重きが置かれているとも言えるでしょう)。それはそれで味があって良いのですが、『たまこラブストーリー』はそれとは真逆で、たった一言伝えるだけでストーリーは完結しました。

その後の2人のやり取りなどは一切描かれません。ただ想いを伝えたところで終了です。それは、この映画が「伝える」という事そのものに主眼が置かれた作品だったからだと思います。変化を怖れて、受け取るだけだった女の子が、周りの人と接する中で変化を受け入れ、自分の想いを伝えるまでの物語。もちろん、彼女たちの物語・人生はこれからも続いていくわけですが、それはまた別の物語として視聴者が想像していくものだと思います。