新・怖いくらいに青い空

アニメ・マンガ・ライトノベル考察

『そんな世界は壊してしまえ』第2巻―特に意味のないおもらし描写が読者を襲う!

あ…ありのまま今起こった事を話すぜ…

荒廃した東京で朱雀とカナリアがトップに上り詰めるまでの物語だと思って『そんな世界は壊してしまえ』第2巻を読み始めたら、いつの間にか、鶉野珠子ちゃんのおしっこおもらしを描く物語になっていた…

な…何を言ってるのか分からねーと思うが…

おれも何が起こったのか分からなかった…

頭がどうにかなりそうだった…

萌えだとか超展開だとか そんなチャチなもんじゃ 断じてねえ

もっと恐ろしい「変態」の片鱗を 味わったぜ…

最初に読者を襲う衝撃的なおもらしシーン

作中の東京では、【世界】と呼ばれる特殊能力を宿した少年少女たちが、東京湾からやってくる強大な敵・アンノウンと戦っています。しかし、アンノウンとまともにやりあえるのは戦闘向きの【世界】を獲得したエリートのみ。戦えない者は「落伍者」として東京近郊の廃墟での生活を余儀なくされています。

本作のヒロインであるカナリアさんは、廃墟で暮らす人たちを救いたいという思いから活動をしているのですが、…第2巻の冒頭、廃墟で暮らす少女とカナリアさんが何やら押し問答をしているようです。

「ですから、うう、今、困ってますから……」
迫られてたじたじとなっているのは、この廃墟で暮らす少女だ。
年齢はカナリアや朱雀よりもいくらか若いぐらいだろう。眉は八の字に固定されて、内気そうな唇をすぼめて、肩を卑屈に縮めている。
粗雑に編みこんだ髪が一房、頬の横でふるふると震えていた。
「はいはい、わかりますわかります! 困ったときこそ笑顔ですよ! その困ってる理由をお聞かせください! ええとお名前は……そう、珠子ちゃん! 覚えていますとも! 鶉野珠子ちゃんでしたね!」
「ううううう……そんなに大声で言わないで……」
鶉野珠子と呼ばれた少女は、周囲の視線を気にするように頬を赤くしてうつむいた。
前かがみの内股となって、自信の太腿をもぞもぞと擦り合せて、居心地悪そうに小さく足踏みする。
明らかになんらかの生理的欲求を堪えている仕種であり、視線の先には廃墟の端に設けられた共用トイレがあり、そのあいだには両手を広げたカナリアがしっかりと立ちふさがっているのである。*1

ちょwwwカナリアさん何やってんすかwww

ていうか、鶉野珠子って、お前誰だよ。初登場シーンでいきなりこんな恥ずかしい姿披露しちゃったよ。

だがしかし、ここから事態はもっと大変なことに。

「あ、さ、触らないで……」
カナリアに肩をがしっと掴まれ、鶉野は悲痛な声をあげた。
「はっ! わたしわかりました! もしや、お身体のどこかが痛むのでは!? 病気ですか怪我ですか! 至急、医療チームの編成を!」
「ち、ちが、ちがいま、あ、まって、おねがい、まって……」
前後左右に激しく揺さぶられて、声の高さが一方通行の階段をどんどん登っていく。
「や、や、だめ、これだめ、ほんとだめ、ゆすっちゃだめ、だめだめだめ、やだ、やだやだいく、とまって、とまっ、でちゃ、でちゃ、でちゃっ」
「でちゃ? るちゃ? りぶれ?」
「あッ、あっ、あ――」
張りつめきった弦のように、ビクン、と鶉野は硬直したあと、
「……ああああああああ~っ……」
視線を中空に彷徨わせ、全身をいっぺんに弛緩させた。*2

ぎゃああああ! やりおった! この子、本当にやりおったよ! 本編始まってまだ10ページくらいしか進んでないのに、おもらししちゃったよ…。なんてことだ…。

しかも、その後の描写がまた生々しいんです。

ぴちゃぴちゃ――びちゃびちゃ……。
辺りには、ただ、音だけが秘めやかに響く。
廃墟は陥没した地形の真ん中にあり、雨水の湖に風が吹きつけるたび、水面を波立たせるのだろう。聴こえるのはその水音である、もちろん。
「あふ、あふ、ふわぁ……」
弱気な鶉野の唇が、だらしなく半開きになってしまっていた。そのゆるんだ隙間から、ヨダレのような液体が一筋、じょわじょわちょろちょろと漏れ出している。
焦点を結ばない眼差しが、逃れえない絶望とほのかににじむ法悦の狭間で、甘く蕩けたうつろな光を宿していた。
すべてが終わったあとには、硬い沈黙が訪れる。
ぴちゃぴちゃと奏でられていた水音も、いまや完全に止まった。風が止まったということである、もちろん。
「ううううううううううう……」
さながら人として大事なものを喪ってしまったかのごとく。
身体の芯から崩れ落ちるような格好で、鶉野はその場にうずくまった。*3

この文章の横には、まさに「逃れえない絶望とほのかににじむ法悦の狭間」にいる少女のイラスト(イラスト担当・カントク)まで付いてます。実に素晴らしいので、これだけでも一見の価値があります。

そして、あくまでもこれは、「水音」なのです。この作者ほどの変態にもなると、「おしっこ」とか「おもらし」なんていう直接的な表現は一切使いません。「びちゃびちゃ」という水の音がするのは、あくまでも風によって湖面が波打ったからからなのです、もちろん。

さて、どうやらカナリアさんは、廃墟に住む人達に「何か困ってる事はないか」と聞いて回っていたらしいです。

「はい……。『女性用のお手洗いがないこと』に困っているそうです」
(中略)
朽ちた板きれで四方を囲むようにして、男女共有のトイレがひっそりと設けられている。扉のまえで並んでいたら、なかの音がすべて聞こえてしまうほど簡素なつくりだ。
神経が太い束で構成されている朱雀は考えたこともなかったが、少女たちのなかには、異性の目を気にして、限界まで利用回数を減らすように試みる者もいるらしい。
「……犠牲は大きかったようだがな……」
さらに視線を横に移せば、先刻の悲劇を体験した鶉野がいる。腐った魚のような眼をして、地べたにぐったりと横たわるばかりだ。朱雀は静かに黙祷した。*4

なるほど…そういうことだったのか…。鶉野さん、限界まで我慢して我慢してもう無理我慢できない!ってなってトイレの前に来て、カナリアさんに捕まっちゃったんですね…。

繰り返しますが、彼女がおもらししたなんて誰も言ってませんからね。先ほどのイラスト、廃墟におけるトイレ事情、「腐った魚のような眼をして」横たわる鶉野さん――ありとあらゆる傍証はそろってますけど、そこにいるのは、あくまでも、何故か下半身水浸しになってる少女っていうだけですから! 合掌…。

その後も断続的に発生するおもらし!

その後、朱雀の働きかけにより「落伍者」たちも戦闘訓練を再開します。それは、落ちこぼれでも戦えるということを示すため。世界から必要とされる存在になるため。

「う、うう……むり、無理だよう……」
へっぴり腰の鶉野は、早くも涙目だ。前屈みになって、内腿を何度もすり合わせ、すがるように杖を必死に掲げながら、
「また出ちゃう、出ちゃう、なんで、なんで……」
なにかを堪えるように、ぶるぶると全身を弱気に震わせる。*5

って、おい! なんでだよ!

何でまたおしっこ我慢してんだよ。さっきはカナリアさんがいてトイレ行けんかったからやろ。今度は別に誰も邪魔してないやん。何で内腿すり合わせてんだよ。

コンクリートの残骸に片膝をつく朱雀に、鶉野がおずおずと近づいてくる。
バスタオルを首や体に巻きつけ、運動用の新しいパンツに着替えた脚をもじもじとすり合わせて、
「なんで、私たちのために、ここまでしてくれるんですか。……私たちは、なにもできないのに。私たちの訓練は、無意味なのに」*6

結局また漏らしてんじゃねえかwwwww

こんな具合で、鶉野さんおもらし描写は何回も登場してきます。しかも、何の意味もない場面でサラッと出てくるのです。

「はわわ――あっあっ……」
鶉野はがくがくと内腿を擦り合せて、大量の汗を垂れ流した。*7

その日の訓練は遅くまで続いた。
落伍者たちの【世界】は、どれもこれもろくな能力ではない。たとえばすり合わせた内腿から水をちょっと多めに排出できるとか、せいぜいその程度だ。*8

見れば、コウスケの座りこんだ地面、鶉野の立つ足元は、夜の土がびしゃびしゃに湿っている。
あれが全部、汗だとしたら、シャツから絞れるほどの量の汗をかいていることになる。言葉と裏腹に、努力した成果ではあるのだ。*9

朱雀さん、それ汗じゃないっす。能力でもないっす。まあ、訓練で汗をかいたのは本当なんでしょうけど、果たしてそのうちの何割が「汗以外」の成分なんでしょうか…。

もうここまで来ると、彼女は元々からトイレが異様に近いか、あるいは、冒頭のおもらしのせいでおしっこ我慢&おもらしの快感に目覚めちゃったか、そのどちらかだと思うんですけど。

おもらし、それは、少女の悲しみと絶望

そして、ついに「落伍者」たちが実際の戦闘に参加する日がやってきました。しかし、圧倒的に力が足りない彼らは、思い通りの活躍ができません。戦場で右へ左へ振り回されてボロボロになり、味方のエリート戦闘員からも罵倒され……

「ううう……うう…」
今にも泣きだしそうな、気弱な女生徒の顔が間近にある。どれほどぼろぼろに貶され、罵られ、ぶつかられてきたのだろうか。制服はあちこち擦り切れ、小柄な体躯は生傷だらけだ。
「あっ、あっ――」
少女は自分の手首を見つめて、小鳥のように呻いた。細い内腿を、ぶるぶるじょろじょろと擦り合せている。*10

って、また内腿すり合わせてるのかよ! 「ぶるぶるじょろじょろ」ってもうそれ、完全にちびってんじゃねえか! ああもうシリアスな場面が台無しだよ!

しかし、ここからとんでもない事が起こります。なんと、「落伍者」たちが裏切り行為をはたらき、味方であるはずのエリート戦闘員を攻撃し始めたのです。背後から予想外の攻撃を受け大混乱に陥る戦場で、鶉野さんが話し始めます。

「――私、少し、勘違いしていたみたいです」
(中略)
「……ヘンな夢を見ていたのかも、しれません。力の劣る人間が、能力のある人と――すごい人と、同じ立場になんてなれるはずがなかったのに……最初から、わかっていたはずだったのに……」*11

どんなに努力しても成果が出ない。自分は社会から必要とされていない。邪魔物と罵られる立場からは絶対に抜け出せない。ならばいっそのこと、自分でこの社会を壊してリセットしてしまえばいい。そんな絶望を抱いた鶉野さんの足元には、もちろん…

編みこんだ髪が、彼女の横顔をくすぐっている。汗とも涙ともつかない滴が、ぽたりと、足元を湿らせていく。
(中略)
もはやその顔に、涙はない。上から張りつけられたような、か弱く窺うような笑みだけが浮かんでいる。
「価値を示す……そんなこと、できるかな。いえ」
はにかんだ横顔が、静かにうつむく。
「できるわけ、ないじゃないですか」
その言葉は、周囲の仲間を代表するように。
「価値がないものはどうやったって無価値なんですよ」
戦場のなかで、ぽつんと、一際大きく聴こえた。*12

そうか…そうだったのか…。

鶉野さんにとって「おもらし」とは、涙、悲しみ、絶望に他ならなかったのです。鶉野さんが戦っていたのは、アンノウンでもなく、尿意でもない。彼女はただ、「自分は劣った人間だ」という現実を変えるために戦っていたのです。

それはどんなに苦しく辛い戦いだったことでしょう。目に涙を浮かべ、前屈みになり、内腿をすり合わせて、必死に我慢して、我慢して、我慢して…、でも、そこまで頑張っても「自然の摂理」にはどうしたって抗えずに、「自分の価値を示したい」という鶉野さんの夢はチョロチョロ、ビチャビチャと音を立てて地面にこぼれ落ちていくのです!

そう。この作品は、どんなに努力しても「落伍者」という運命から逃れられない、そんな悲しみと絶望を、「おもらし」を用いて見事に表現していたのです。作者のさがら総さんには、称賛とともに次の言葉を送りたい。

変態だー!!!!

AA略

今後の展開

鶉野さんはその後、味方を攻撃した罪により、内地に強制送還されてしまいます。戦闘員たちのリーダーである嘴広もまた、他の「落伍者」たちによって責任を擦り付けられ、最後は内地送りになります。鶉野さんにとっては、あまりにも夢も希望もない物語ですが、最後にちょっとだけ救いが用意されています。

一方、自分が目をかけてきた人間に裏切られる形となった朱雀は、ついに、この世界は全てが狂っている、こんな世界は壊してしまえ、という心境に達します。しかし、そんな狂った世界の中で唯一、壊すべきでない大切なものを見出したのです。それこそが、カナリアが周囲の人々に向ける無償の愛に他ならなかったのです。確かに彼女の利他精神は最早「狂気」と言っていいレベルにあるのですが、朱雀は、そこに絶対的に揺るがない「愛」の本質を見たのです。

これは、愛を知らずに育った青年が、自分と何もかもが違う少女の放つ狂気に怯え、次第にその中に真の愛を見出していく物語。この続きは、7月から始まるアニメ『クオリディア・コード』で見ることができるでしょう。

*1:20~21頁

*2:21~22頁

*3:22~24頁

*4:37頁

*5:113頁

*6:116頁

*7:136頁

*8:144頁

*9:150頁

*10:166頁

*11:170~171頁

*12:171~172頁

2016年上半期アニメ総評

2016年上半期に放送されたアニメに関する総評です。と言っても、最終話まで見たのは計10作品しかないんですけどね。『僕だけがいない街』『ハルチカ』『この素晴らしい世界に祝福を!』『迷家-マヨイガ-』『キズナイーバー』については、個別に記事を書いているので、そちらを参照してください。

『僕だけがいない街』総評 - 新・怖いくらいに青い空
『ハルチカ~ハルタとチカは青春する~』総評 - 新・怖いくらいに青い空
『この素晴らしい世界に祝福を!』総評 - 新・怖いくらいに青い空
『迷家-マヨイガ-』総評 - 新・怖いくらいに青い空
『キズナイーバー』と『異能バトルは日常系のなかで』の共通点 - 新・怖いくらいに青い空

以下では、『だがしかし』『無彩限のファントム・ワールド』『くまみこ』『三者三葉』『ハイスクール・フリート』について、手短に総評を述べます。

だがしかし

ほたるさんの素晴らしさは、巨乳で美人でナイスバディな体していて、ココノツ君などの男性陣が赤面してしまうようなエロさを醸し出しているにも関わらず、本人がそれについて完全に無自覚でいるという点だろう。サヤ師についても同様である。基本ノースリーブでブラが見えそうなほど薄着でいるのに、その無防備さについて本人も周りも一切意識してないところが逆に素晴らしいのだ。

だがしかし、何にも増して可愛かったのは、主人公である鹿田ココノツきゅんであることは言うまでもない。少年のような無邪気な面を残しつつも、ほたるさんの事が気になって仕方がないムッツリスケベ感を隠しきれてないところが実に可愛い。また、そのことを豆くんにからかわれて顔を真っ赤にしてるのを見ると「ああ~~~萌え死ぬんじゃ~~~」という気持ちになる。基本的に三白眼の少年キャラは可愛いと相場が決まっていて、最近で言えば『バカテス』のムッツリーニきゅんやアキちゃんなどが挙げられるだろう。萌えに性別は関係ないのだ。

本作の骨格となる駄菓子の描写についても、様々な雑学やあるあるネタを織り交ぜてその駄菓子の魅力を最大限に引き出すことに成功していたと思う。実際に私も、視聴後にいくつかの駄菓子を買ってみたりしたので、駄菓子販促アニメとしては大成功と言えるのではないだろうか。

無彩限のファントム・ワールド

有名な映画会社が最高のスタッフや役者を揃え莫大な製作費をかけて作った映画が全くヒットせずに大赤字になることもあれば、全く無名の監督が低予算で作った映画が多くの観客を魅了し賞を総なめにすることもある。これはアニメも同じだ。現代日本においてほぼ最高レベルの技術を持つスタジオ、そこの優秀なスタッフ、豪華な声優陣、これだけ揃えてもダメなものはダメなのだ。

正直言って、作画も崩れ気味で背景などもいい加減なB級のアニメだったら、ここまで批判したりしないだろう。ストーリーはどうでもいい、舞先輩のおっぱいと小糸ちゃんのツンデレさえ見れればそれでいい、と割り切ることもできた。でも、京アニが目指しているのはそういうアニメじゃないし、ストーリー・演出・美術といったあらゆる面で完璧に近いものを目指しているはずの会社なので、あえてここで批判している。

くまみこ

最終回を見た後、昔とある観光地で見たサルの曲芸を思い出した。首輪で繋がれたサルが調教師の指示に従って芸をして、上手くできた時はエサを貰える。指示した通りの動きができなかった時は、調教師が首根っこの辺りを掴んで、サルが明らかに嫌そうな顔をしている。そうやってサルを脅しながら一通り芸を終えると、お客さんが目の前にあるカゴにお金を落としていく。熊出村がまちに対してやっているのは、まさにこの調教師と同じことである。嫌がるまちを無理やり引きずり出して都会に連れて行き、都会の人間が熊出村に金を落としてくれるように、まちに芸をさせる。その調教係が良夫という真正サイコパスのゴミクズ男だ。

そして普段は、まちが逃げないように村に閉じ込めて、「都会は怖いところなんだよ~」と刷り込みを行っているのだが、その主犯格は間違いなくナツである。ナツ!お前もか! 以前の記事でも述べた通り、ナツはまちの幸せを誰よりも強く願ってはいるのだが、同時に、彼女をずっと側に置いておきたい、村から出て行かないでほしい、という歪んだ愛情を持ち合わせているのだ。狡猾なナツの作戦によって、まちは病的なまでの都会コンプレックスを植え付けられ、村の外では生きていけない体になってしまったのである。そういう意味では、ナツも良夫や他の村民と同類ということになるのだが、ナツ自身もまた村の外では生活できない、まちと一緒でなければ生きて行けないという悲しい生き物なのだ。

これを悲劇と言わずして何と言うのだろう。

三者三葉

第8話以降、近藤さんのことが気になって仕方がない。西山が風邪で休んだだけで休み時間ぼっちになってるのって、たぶん物凄く空気読めないせいでクラスメイトから嫌われてるからだよね…。あと、葉山ちゃんにあれだけ粘着してる西川が近藤さんに対してはいつも一緒にいるだけで実質ほとんど無関心なのとか、近藤さんが昼休みに代わりの話し相手見つけてそれ以来西川にメール送らなくなってるのとか、近藤さん界隈の闇が深すぎて震えが止まらん。

こんな感じで各キャラクターが、文字通り三者三様の闇を抱えながら学園生活をエンジョイしてるという、他に類を見ない萌えアニメでしたね。

ハイスクール・フリート

ガルパンの特殊カーボンとかいうガバガバな設定に対してもちゃんと批判をしている者、あるいはその批判に対してきちんと論理的・科学的に反論できる者だけが、ハイフリに石を投げなさい。少なくとも私は、第4話辺りで謎のネズミが出てきた時点で「これは女の子がキャッキャウフフしながら船を操縦するのを見て楽しむアニメなんで、設定とかは深く考えないでね~」っていうアニメスタッフからの全力のオーラを感じ取ったのであまり深く考えないことにしてました。また、この手のアニメでストーリーとか脚本について話し出すと、結局は「個人の好みの問題」ってことになっちゃうんで、そこを深く掘り下げても意味がないのかなあと思います。

キャラクターについて言えば、内田まゆみちゃんが断トツで可愛かったです。もちろん艦橋や機関室にいるメンバーに比べれば出番も少ないのですが、水着姿もパンツも見れたし、後悔ラップも見れたし、もう、余は大満足じゃ。また、カップリングについて言えば、クロちゃんとマロンの幼なじみカップルもいいのですが、以前の記事でも書いた通り、やはりメイタマが最強だったと思います。

今後、この作品がどういう展開をしていくか分かりませんが、また何かあったら記事を書きたいと思います。

『迷家-マヨイガ-』総評

序盤から中盤にかけて

いやぁ、6話くらいまでは普通に面白かったですよ。例えば、第5話で登場人物ほぼ全員が参加してコイツが怪しいアイツが怪しいああでもないこうでもないと喧々諤々の議論を重ねた挙句、結局何も話が進展しないままAパート終わっちゃった時は、マジかよ…と思いつつも、これから一体どうなるんだろうというワクワク感を覚えました。また、第5話までは「らぶぽんウザすぎ!てめえがまず処刑されろよ!」とか思ってたのに、第6話で彼女の回想を見ると、これまでの悪行全て水に流せるくらい一気に親近感が湧いてきて、描き方次第でこうも印象って変わるんだなあという新鮮な驚きを感じました。

ところが、第7話くらいからどうも雲行きが怪しくなる。まず、真咲ちゃん魔女狩り裁判のシーンだけど、「村の近くで行方不明になった女の子と名前が一緒」「真咲には化け物が見えてないらしい」という情報だけで、大の大人が揃いも揃って「真咲は幽霊」って決め付けてかかるのは、あまりにも非常識で理解に苦しみますね。あと、8話以降の中だるみ感もかなり酷くて、真咲が何だかよく分からない曖昧な受け答えしてる場面をずーっと見せられて、気が付けば真咲に対して言いようのないイライラ感を覚えている自分がいた。いや、もちろん、真咲さんは自分の置かれてる現状を本当に理解してなかったので、こういう受け答えになるのは仕方ないんだけれど、それが2~3話ずっと続くと正直キツいし、もうちょっと脚本どうにかならなかったのかよと思います。

最終話について

それでもまだ、このアニメに期待している自分もいた。こはるんという真のラスボスも登場し、最終回に向かって徐々に話も盛り上がって、さあ、いよいよクライマックスだ!…と思って楽しみにしていたのに、その期待はあっけなく裏切られたのでした。まず、栄えある最終回のAパートを飾るのが、嫉妬に怒り狂った颯人とその巨大化ナナキという時点で萎えるなあ。散々話引っ張ってきて、結局それかよ。そしてラスボスこはるんには、最後まで悪役に徹して欲しかったのに、急速に年老いていくパパを助けるのが目的だったと分かり非常に残念。僕は、自分の野望のために次々と年下男子を手駒にしていく鬼畜こはるんがもっと見たかったんだよ!*1 何がすっとこどっこいだよ、こっちは椅子からすってんころりだわ!

あと、リオンちゃんの「これから死ぬ人が見える」設定って一体何だったの? 第1話から思わせぶりな発言を繰り返して物語のキーになるのかと思いきや、最後らへんはナンコさんと一緒に行動してる普通の女の子になってんじゃねえか。*2 そしてやっぱり、美影とらぶぽんは罰を受けて然るべきだと思いましたね。あれだけ他人を振り回しといて、何のお咎めもなく意気揚々と現実世界に戻っていくのは、なんか納得できないし、お前ら居なければこんなに話拗らせずに済んだんじゃね?って思ってしまう。

また、「ナナキを切り離す」「ナナキを受け入れる」という物語の根幹に関わる設定についてもツッコミどころやよく分からない点が多い。第11話までは「村に残って過去のトラウマから目を背けてしまったら、生きる気力まで失ってしまうからヤバい」みたいなことを言い続けていたのに、最終回では急に「ナナキを切り捨てたことで自分を客観視できるようになり研究が進んだ」とか「辛い時に逃げ出すことの何が悪いの?」とか言い出して村に残る奴もいて、結局最後には「トラウマは人それぞれで違うので、それらを十把一絡げにしてああしろこうしろ言うのは間違ってる」という感想しか残らなかった。約3カ月見てきて、最後の最後で出た結論がこれか! はあ…。ていうか、村に残って無気力になってる奴とそうでない奴の違いが最後までよく分からなかった。たとえナナキを切り捨てても、現実から逃げ出したいというモチベが高ければ、無気力にならずに済むのか? こはるんのお父さんが現実世界に戻ってるのに、無気力になった奴らが村に留まり続けてるのは何故か? 前者は、完全にナナキを失ったから現実に戻れたのか? だとしたら、最終回付近で無気力になってた奴らも、いずれ村から消えて現実世界に戻ってくるのか? ナナキを受け入れた人もそうでない人も、時と場合によって納鳴村に行けたり行けなかったりするのは何故か? トンネルの先にある村と納鳴村の違いは何か?

まとめ

僕は、このアニメのポイントは結局次の2つに集約されてたと思います。まず第一に「納鳴村とは何か、ナナキとは何か」という謎の解明。そして第二に「ツアーの参加者たちは過去とどのように向き合い、今後どのような人生を歩んでいくのか」という点です。前者については、上でも述べた通り、細かい部分でよく分からない事が多すぎるし、なんか非常に消化不良な感じがします。そして後者についても、村に残留した組と社会に戻った組の両方とも、マジでこれからどうやって生きていくん?これでホントに良かったのか?という疑問しか湧かない。要するに、最終回終わっても全然何も解決してないように見えるし、前半が結構面白かった分、そこからの急降下でガッカリ感が半端ないです。第6話の時点では、まさかここまで酷いことになるとは思いもしなかった。残念。

*1:ちなみに公式HPによると、こはるん26歳、ヴァルカナ25歳、ジャック16歳、氷結15歳、という事になっています。

*2:どうやらノベライズの方で、リオンの本編では語られなかったエピソードが描かれるそうなので、気になる方は小説を読みましょうということなのかもしれません。正直、ノベライズ版が出るということが分かっただけでも安心した。これがあるのと無いのでは印象がだいぶ変わる。

『キズナイーバー』と『異能バトルは日常系のなかで』の共通点

序盤は完全に『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』や『ブラック★ロックシューター』や『心が叫びたがってるんだ。』といった岡田麿里脚本の作品と同じ系統を行ってましたね。あるいは『あの夏で待ってる』とか『ココロコネクト』とも同じ構図です。要するに、自分の気持ちが否応なく相手に伝わってしまうような舞台装置が用意され、登場人物の心が大きく揺れ動くという展開です。『あの花』ではめんまという存在が、『心が叫びたがってるんだ』では交流会の実行委員をやらされるという設定が、その舞台装置として機能していました。『キズナイーバー』においてその舞台装置となっていたのは、言うまでもなく「キズナシステム」と呼ばれる他人と痛みを共有するためのシステムでした。この系統の作品は、物語が進むにつれて登場人物が自分の気持ちを積極的に相手に伝えるようになっていき、複雑に絡み合ったディスコミュニケーションの糸が解かれることでカタルシスが得られる仕組みになっています。そして、それに付随するように「傷付け合う事を過度に怖れるのはやめよう」「まずは自分の気持ちをはっきりと相手に伝える事が大事」みたいなテーマが語られます。

ところが『キズナイーバー』では、「ディスコミュニケーションの解消=良いこと」という定式が揺らぎ、「それって本当に必要なことなの?」という視点が入ってきました。要するに、相手の心を知るっていうのはめっちゃ「痛い」し、みんなそれによってすごく傷付いちゃうわけです。だったら、もう無理に相手のことを知ろうとせず、ありのままでいれば良いんじゃね?という疑問が湧くわけですね。

で、実を言うと、本作の制作会社であるTRIGGERが、かつて同じようなテーマを有する作品をアニメ化しています。それが『異能バトルは日常系のなかで』なんですよ!

異能バトルは日常系のなかで11 (GA文庫)

異能バトルは日常系のなかで11 (GA文庫)

『異能バトル』の中で、鳩子は幼なじみである安藤のことを必死に理解しようとしますが、結局、最後まで彼の中二病的美学を鳩子が理解することはできません。安藤の一番近くに居るのに安藤のことを理解できないという苦しみが鳩子を追い詰めていき、ついに鳩子の心の叫びが爆発したのが、あの伝説の第7話でした。でも、このお話には続きがあって、第11巻(アニメ化はされてないエピソード)で鳩子は次のように言っています。

「うん。やめた。無理してジューくんの理想になろうとするのを、止めた。そういうのが、全部自己満足だって気づいたから」
(中略)
「私はさ、私が勝手に思い描いてた『ジューくんの理想の女』になろうと、一人で無理してただけだったんだよ。ジューくんのことを考えてるようで、実はジューくんのことから目を逸らしてた……」
(中略)
「だから、無理をするのはもう止めるの。ちゃんと、ジューくんと向き合ってみる」
(『異能バトルは日常系のなかで』、第11巻、131~132頁より引用)

そうなんです。結局、相手のことを理解しようと思ったら「無理」しなければいけない。だから、「理想の女」を演じるのはもうやめて、ありのままの自分で安藤と向き合いたい。第11巻ではもう、鳩子はそういう境地に達しているんです。

これってまさに、『キズナイーバー』の終盤で言われていた事と同じだと思いませんか? 相手の心を知ること自体は否定しないけど、キズナシステムのようなもので無理やり相手を知ろうとするのは、ただ「痛い」だけで何の意味もない。相手のことが分からないからこそ、相手のことを一生懸命に考える。そうすることで、また新たに見えてくるものがある。要するに、絆を作る上で重要なことは「相手を理解すること」ではないという事です。むしろ、相手のことを考えた時間、一緒に過ごした時間こそが大切なのだ、というのが最終的な結論になっていますよね。

まあ実際のところ、同様のテーマは『異能バトル』や『ココロコネクト*1でも描かれていたんですけどね。でも、アニメ版『異能バトル』ではそこら辺はあまり描けていなかった。*2 その描けなかった部分を、今度はオリジナル作品でキッチリ描いてみせたのが『キズナイーバー』という作品だったと言えるかもしれません。

*1:関連記事:『ココロコネクト』の思想3―ディスコミュニケーション論の「その先」へ - 新・怖いくらいに青い空

*2:というより、『異能バトル』がアニメ化された時には、まだ第11巻は発売されてない。

「愛」と「多様性」にまつわる物語―『この大陸で、フィジカは悪い薬師だった』

『ひとつ海のパラスアテナ』*1に続く鳩見すたさんの新作ラノベ『この大陸で、フィジカは悪い薬師だった』を読みました。ここに来てようやく、鳩見すた作品の根底に流れるテーマが見えてきた気がします。それはすごく月並みな言葉かもしれないけれど「愛」としか言いようがありません。

『ひとつ海』におけるタカとアキの関係性と、本作におけるフィジカとアッシュの関係性も、非常によく似ています。要するに、物知りで頼りがいがあってとっても素敵な女の子(ヒロイン)と、その子に惚れた男(主人公)、という構図です。まあ、アキの方はボーイッシュなボクっ娘なので実際は女性ですが、でも、アッシュの方も作中で2度も女装してアシュリーになってるので、もうこの2人は実質同じようなものですね。対する「ヒロイン」の方は、とにかく最初は完璧超人なんですよね。知識とかサバイバル術とか頭の回転とか、あらゆる面で主人公より秀でていて、主人公はヒロインに頼りっぱなしで、主人公の方が一方的にヒロインに執着しているように見える。でも、そういった一方通行的な関係に見えてたのは実はミスリードで、ヒロインもまた主人公によってある意味救われていたのだという事が後になってから分かる。そして、物語が進むにつれて、お互いが自分に無いものを補い合うような強い協力関係が生まれていき、クライマックスでは2人が強い愛によって結ばれる。『ひとつ海のパラスアテナ』は百合、本作は男女の間の愛という違いはあるけれど、もはや性別は関係ない。これぞまさに、純粋な愛の物語でなくて一体何でありましょうか。

さらに、フィジカさんが全編を通して守ろうとしていたものも、まさにこの「愛」に他ならないのです! 人類に害をなす害獣ばかり治療して、人間の患者には法外な治療費を求める、一見すると冷酷無比なフィジカさんですが、アッシュとの旅の様子が描かれる中で、次第に彼女の真の目的が明らかになっていきます。人間も獣もひっくるめて全ての生き物が豊かな生態系の中で共存し愛を育み、その証を次の世代に伝える――この何億年と続く愛の連鎖を、彼女はたった一人で必死に守ろうとしていたのです。そして、「愛を守る」ためには何をすべきなのか、その答えももう作中で示されているのです。それは、世界全体の生態系において、あるいは人間社会において、「多様性」を維持することです。そして、それを達成するための第一歩は、自分の中の常識や固定観念を疑ってかかること、自分とは全く異なる考え方や価値観を持つ人がいるのだということを受け入れること、自分の五感を使って何が真実なのかを見極めることなのです。本作において宗教(エイル教)とはまさに、そのような寛容さ・多様性を認めない存在として、フィジカと対を成すものです。

うっそうとした森と谷とキノコと、そこで生きる珍獣と人々。前作に描かれた広大な海や空とは雰囲気が大きく異なりますが、緻密に作り込まれた魅力的なファンタジー世界になっているのは共通です。そんな世界で芽生えた尊い愛。フィジカとアッシュの旅をずっと見守っていたくなる、そんな美しい作品でした。