新・怖いくらいに青い空

アニメ・マンガ・ライトノベル考察

それでも人は宇宙を目指す―『メテオノーツ』感想

第1話と第2話

かつて、こんなにも緻密に、こんなにも美しく、宇宙とそれに挑む人達を描いた漫画があったであろうか。『メテオノーツ』をリアルタイムで読めることは本当に幸せなことだと思う。

まず冒頭が本当に素晴らしい。

“地球は私達を包むゆりかごだ。しかしいつまでもその中には居ないだろう―”
(コンスタンチン・ツィオルコフスキー
私たちはその言葉につき動かされた
1947年2月 最初の宇宙飛行士はミバエだった
次にアカゲザルアルバート一世二世が初の哺乳類飛行士に
1951年にはサルのヨリックと11匹のハツカネズミ
1957年11月3日 スプートニク2号のライカ(犬)は
片道切符で地球軌道を周回した最初の飛行士になった
1961年4月12日… 沢山の動物たちが拓いてくれた宇宙の世界に
やっと人類が仲間入りした
そして…
今日は私の番!!*1

初の有人宇宙飛行という輝かしい出来事、でもそこに至るまでにも数多の積み重ねがあり、動物たちの犠牲があった。ガガーリンですら、地球上の生物が地球という揺りかごから飛び立つ歴史の1ページに過ぎない、ということをこの冒頭文は教えてくれる。歴史に敬意を払うとはまさにこういう文章のことを言うのだろう。

本作の主人公、チアキ・アキヤマは、宇宙空間での滞在を任務とする「メテオノーツ」と呼ばれる少女。彼女らは、宇宙生活が人体に及ぼす影響を臨床試験するため、国際宇宙ステーションISS)で数か月滞在する。何故彼女達でなければならないのか、何故宇宙に女の子しか居ないのか、現時点ではその詳細は一切不明。とにもかくにも、各国から選抜された超エリート少女たちのISSでの生活を描くのが本作『メテオノーツ』である。

第1話、チアキを乗せた宇宙船「はちどり」(もちろんこれは、日本が誇る宇宙ステーション補給機こうのとり」を有人飛行用に改良したもの、という設定であろう)がHII-Bロケットで種子島から打ち上げられる。途中、太陽電池パドルが開かなくなるトラブルに見舞われるも、何とか危機を脱しISSへ接近。そこから第2話が始まるのだが、なんと、はちどりとISSとのドッキングだけでこの第2話を全部使い果たす。

そもそも、宇宙船どうしを繋ぐドッキング、あるいはパーシング(係留)は、宇宙開発にとって無くてはならない技術である。例えば、宇宙ステーションへ人や物資を輸送するために、あるいは、宇宙ステーションの建設そのものに、ドッキングは頻繁に行われる。ところが、このドッキングというのが、初期の宇宙開発においてとてつもなく難しい技術だったのである。考えてみれば当然だが、地球の上を超高速で回る物体どうしを接近させて、安定した姿勢を保ちながら結合させる、というのは現代においても相当難しいことなのである。ゆえに、アメリカもソ連もドッキングで散々苦労し辛酸をなめてきたわけだが、そういう歴史をよく分かっている作者だからこそ、連載が始まったばかりの第2話でドッキングを持ってくるのである。これだけでもう宇宙開発史に詳しい人にはたまらない展開だろう。

宇宙の洗礼

政治家の多くが総理大臣を目指しているが、当然ながら、首相になってから何をやるかの方がよほど重要である。それと同じように宇宙飛行士もまた、宇宙に行くことが目的なのではなく、そこについてからが本当の任務開始なのである。

地上との中継(後述)を終え、いよいよこれから通常ミッション開始という時に、チアキは突然嘔吐する。これが第10話サブタイトルにもなっている「宇宙の洗礼」、宇宙酔いである。(地上で吐く場合は吐瀉物は自然に下へ落ちるが、無重力空間では上手く吐かないと吐瀉物が口や喉を塞いでしまい、最悪の場合窒息する。宇宙では、吐くのも命がけなのだ。)

宇宙酔いで体調が万全ではないにもかかわらず、宇宙飛行士としてすべき仕事はたくさんある。そして毎日数時間、過酷な筋力トレーニングをしなければならない。そうしなければ無重力空間で筋力や骨密度が怖ろしいスピードで減少していくからだ。(しかも、ISS内は空気の対流がないので、運動中に出た熱は体の周りに留まり、まるでサウナの中のような暑さを覚えるという。)

宇宙とは、こんなにも過酷な世界なのか…。

冒頭の言葉どおり、地球はまさに「ゆりかご」なのだ。『天空の城ラピュタ』のクライマックスでシータが言った「人は土から離れては生きられない」という言葉。本作を読むと、その言葉の真の重みを感じられる。

人は何故宇宙を目指すのか

こんなにも辛く危険な宇宙へ、なぜ人は挑もうとするのか。ISSと地上を結ぶ中継でのチアキの言葉が、その理由を端的に表している。

私たちはいつだって 誰かに生かされています
だから私も命がけで宇宙を楽しみます!
…そして
次はみんなの番!!
私たちが頑張って
子供がワガママに宇宙に関われる時代を作ります
こんな危険で
怖くて
ワクワクする世界
宇宙飛行士(おとな)だけなんて ズルいから!!
*2

細くて険しい道は、人が何度も通り踏み固められることで、立派な道となる。どんな険しい道のりでも諦めることなく突き進んできた、その姿こそが、人という生物の歴史そのもの。

地球上の7割を占める広大な海。人類は有史以来ずっとそこに挑んできた。小さな丸太舟とオールだけで太平洋を渡って行ったポリネシア人、大陸の技術を学ぼうと海へ繰り出した遣唐使たち、まだ見ぬ世界の富を求めてインド洋や大西洋へ向かった大航海時代の船乗りたち、彼らの旅がどれほど危険で、苦痛に満ちたものであったか。それが今や、洋上にはありとあらゆる船が浮かび、大量の人や物資を絶え間なく輸送している。

ドラえもんの唄にもある「空を自由に飛びたいな」、この子どもの遊びのような夢に、多くの人が憑りつかれた。リリエンタールらが鳥の飛行を研究して滑空飛行に成功した時、ライト兄弟が初めて動力飛行に成功した時、リンドバーグが大西洋横断飛行を行った時、それはどんなに無謀で命知らずなことだっただろう。多くの人々の努力のおかげで今日、毎日何万人もの人が安全かつ快適に空を飛びかっている。

大量の人や物を、もっと遠くへ、もっと速く、もっと安全に運びたい。私達の遺伝子の中に刻まれたその飽くなき願望こそが、世界を変え、科学を進歩させる原動力となった。これこそが宇宙開発を行う究極の理由。全ては、その後に続く人達のため、人類の未来のためにある。

日本人初の宇宙飛行士となった秋山豊寛さん(もちろん、本作主人公の名前の由来になった人物である)の姿に、私達は夢を見たのだ。パイロットや医師や研究者ではない、普通の民間人でも、気軽に宇宙へ行くことができる、そんな輝かしい未来の夢を。

何度吐いてふらふらになりながらも前に進み続けるチアキの姿は、有史以来ずっと新たな世界を切り開こうとしてきた人類の決意と情熱を、その小さな体全体で身に纏っているかのようだった…。

現在、サイコミのアプリで23話まで公開中だが、チアキの旅はまだ始まったばかり。チアキが宇宙にやってきてまだ1週間も経ってない。展開が遅いようにも見えるが、宇宙での生活を出来るだけ詳しく解説も交えながら描くとそうならざるを得ないのだろう。今のところ単行本第1巻は電子書籍のみだが、いつかちゃんとした紙の本でも発売してほしいものだ。

*1:『メテオノーツ』第1話より

*2:『メテオノーツ』第9話より。括弧内はルビ。

『僕の心のヤバイやつ』がヤバすぎた

もう1巻読んだ時点で「これ、ヤバいやつや!」ってなる。

中二病的自意識をこじらせた男子中学生の内面をこれほど深く掘り下げていった作品他にあるのだろうか?

ストーリーは、高値の花の美少女・山田と、主人公・市川が、少しずつ親しくなって両思いの関係になっていく、というようなよくある話で、各エピソードもごくごく普通の日常が描かれるだけなのだが。

それに対して市川がモノローグで見せる反応がもう最高に笑えるのである。中二病的自意識全開の市川のフィルターを通して、エピソードが展開していくので、もう面白くないわけがないのだ。

そして何よりこの市川の可愛さと言ったら。

他の大手雑誌に比べてチャンピオンはマイナーなイメージあるけど、時折どかーんとこういう凄い作品を出してくるんですよね(今期アニメ放送中の『放課後ていぼう日誌』もそう)。

『放課後ていぼう日誌』の夏海ちゃん、陽渚のこと大好き過ぎやろ

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再会してすぐに陽渚に抱きついてくる夏海
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陽渚のかわりに自己紹介してあげる夏海
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部長が食べようとした最後の唐揚げを「これは陽渚のぶん!」とか言って死守する夏海
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リールのメンテナンスの仕方を教えてくれる夏海
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「はい!はーい!あたしに任せろ!」とか言って陽渚に疑似餌の作り方を教えてあげる夏海
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エギングの仕方を教えてあげる夏海
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陽渚の後ろに密着してくる夏海
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休日なのに秒速で陽渚がいるところに駆けつけてくれる夏海

いやもう本当にねえ…。

夏海ちゃん、テキトーでガサツな性格してるのに、陽渚のことメッチャ気にかけてて、釣りの仕方とか優しく教えてあげてるのがもう最高。

『ドラえもん のび太の新恐竜』と羽毛恐竜について

藤子・F・不二雄が手がけた作品でも、それ以降の作品でも、ドラえもん映画は常に、その時々の最新の学説を取り入れて子ども達に紹介してきた。その中でも繰り返し登場してきたのが恐竜だった。最初のドラえもん映画『のび太の恐竜』では、当時まだ発見されて10年ちょっとしか経っていないフタバスズキリュウが描かれた。『のび太と竜の騎士』では、恐竜絶滅の最有力仮説となりかけていた巨大隕石衝突説と、恐竜人*1が描かれた。リメイク版の『のび太の恐竜』では、学説の変化に伴って恐竜の名前や姿が変わっていた。そして、最新作『のび太の新恐竜』では、キューとミューという双子の羽毛恐竜を中心に据えて、恐竜から鳥類が進化したという学説が紹介されている。

もちろん、始祖鳥の発見は19世紀の事であり、当時から恐竜と鳥類との関連性は指摘されていたので、恐竜から鳥類が進化したという説は最新の学説とは言い難い。しかし、近年そういった学説が注目された理由は、第一に恐竜と鳥類の中間的な特徴を持つ様々な化石が見つかった事、第二に数多くの羽毛恐竜が発見された事などによる。特に、1996年に中国で発見されたシノダウロプテリクスの化石には尻尾から首までびっしりと羽毛の痕跡が残っていた。また、2012年にはティラノサウルスの仲間が羽毛を持っていたことが明らかとなる。それらの発見によって「実はかなり多くの恐竜が羽毛を持っていた」という事実が明らかとなり、恐竜が鳥類の起源であるという説が最終的に確定し、恐竜と鳥類が非常に近縁な関係にある事が明らかとなった。そうした過程の末に、この学説がついにドラえもん映画のテーマとなる日が来たのだ。

だが、最新の学説を取り入れて行こうという意気込みがある割に、本作で描かれる恐竜絶滅と鳥類進化のシナリオは間違いだらけである。本作を見ると、隕石衝突による熱風によって恐竜が死滅したかのような描写があるが、実際には、そのような事が起こったのは衝突地点の近くだけで、ほとんどの恐竜は衝突で巻き上げられた塵による気候変動によって絶滅していった*2

また、キューとミューが鳥に進化したような説明がされているが、実際には白亜紀前期には既に原生鳥類に近い種が空を飛びまわっていたので、この描写も科学的には明らかに間違いである。そもそも始祖鳥が生きていたのは、映画の舞台となる白亜紀後期よりはるか昔のジュラ紀であるし、始祖鳥より1000万年古い地層からアウロルニスという別種も発見されている。また、現生のカラスによく似たコンフキウソルニス(孔子鳥)という鳥類の化石が白亜紀前期の地層から見つかっている。

また、のび太達の介入によってキュー達の仲間が住む島が守られ、その結果として原生鳥類が誕生したのだという描き方も、進化という現象の本質からは程遠いものだと言わざるを得ない。『竜の騎士』においてのび太達が助けた恐竜が地底人という架空の存在に進化したというのと、『新恐竜』においてのび太達が助けた羽毛恐竜が現存する鳥類に進化したというのとは、似て非なるもの。後者が進化という現象に対して極めて不正確で誤ったメッセージを与えかねないものであるという事は、少し考えれば誰でも理解できるであろう。*3

もちろん、こうした間違いは、製作者が何も考えずにテキトーに脚本を作ったから発生したのではなく、科学的に正しくないことなど重々承知の上であえて間違いを犯しているのである。白亜紀の酸素濃度は現代とは異なるとか、ジュラ紀白亜紀では棲息していた恐竜の種類が違うといった説明が入れられるなど、細かい箇所では科学的に正しい描写となるよう心掛けられている(つまり、本作のスタッフは中生代や恐竜のことを徹底的に調べ上げたうえで製作している)からだ。演出の都合上どうしても必要だからあえて不正確なことを描いたのか? 子ども向けアニメだから多少間違いがあっても許されると思ったのか? でも、子ども向け作品だからこそ正確な描写をすべきだと私は思うのだが。

*1:当時の子ども向け図鑑には「恐竜の中にはとても知能が高いものがいて、彼らがもし絶滅しなかったら恐竜人間に進化していたかもしれない」という仮説が恐竜人間の想像図とともに紹介されていた。

*2:そもそも熱風が地球を覆ったのであれば恐竜以外にもありとあらゆる生物が絶滅しそうであるが、そういうツッコミどころが多い描写を何故してしまったのだろう。

*3:もっとも、ドラえもん達がひみつ道具を使って箱庭的な空間を作り上げ、そこで生物が独自に進化を遂げるというモチーフ自体は数多くのドラえもん映画でも見られ(例えば、『竜の騎士』における聖域、『ねじ巻き都市冒険記』におけるねじまきシティー、『ワンニャン時空伝』におけるワンニャン国)、それが今回も踏襲されたと考えれば興味深いことではあるのだが。

『よふかしのうた』感想

14歳の少年・夜守コウはとある出来事がきっかけで不眠症になり、ある日、夜の町に一人飛び出した。そこで出会った怪しげな吸血鬼・七草ナズナが、コウを夜の世界へと誘いこむ……。

前作『だがしかし』の照りつける太陽のような世界とは一変、暗闇と静寂に包まれた真夜中が舞台。この夜の描写が最高に美しい。不気味に鳴り響くドアの音、静まり返った団地の風景、暗闇の中に煌々と灯る街灯、誰もいない公園。そこで去来する様々な感情。夜の町をわけもなく彷徨い歩く背徳感、昼間のしがらみから解き放たれた開放感、まるで別世界に来たような高揚感。それらが全て、ナズナとコウの関係性、セックスのメタファーとしての吸血という行為に集約されていく。

とにかくこの2人の関係性がエモさの塊なのである。まず夜守コウ君なのだが、ジャージにハーフパンツというラフな格好、華奢な手足、思春期真っ盛りの中二病的自意識、年相応の初々しさ、そんな子がナズナに血を吸われる時に見せる首筋から鎖骨のライン。萌えに性別は関係ない。もう読者はコウ君を見るたびにキュンキュンしっぱなしである。

そして、コウのパートナーである七草ナズナは、『だがしかし』のほたるさんとサヤ師を足して2で割ったようなキャラクター。コウを夜の世界へと誘惑する悪い姉のようでもあり、それでいて初心な一面ものぞかせる。圧巻なのはその衣装。全身を覆う黒いマントの下は、胸部以外ほとんど露出した上半身と、丈の短いショートパンツ、まさに、作者のフェティシズムが思う存分に詰まったキャラクターに仕上がっている。

そんな2人が繰り広げる真夜中のデートは、まさに健全そのもの。いきがって悪い遊びをしているようで実際は健康的。大人の世界に足を踏み入れているようで実は初心で臆病。そんな不思議な関係性。

是非とも眠れない真夜中に読んでほしい作品。