新・怖いくらいに青い空

アニメ・マンガ・ライトノベル考察

世界が塗り替えられる時―『飛び立つ君の背を見上げる』感想

あらゆる物事は見る角度を変えれば全然違った形で見える。ある人が見る世界と、別の人が見る世界は全く異なる。頭では分かっていたことだけど、まさかこれほどとは…。『響け! ユーフォニアム』シリーズで描かれた光輝く青春の日々。でもそれを、中川夏紀の視点から描いた時、世界はこれまでとは全く違う色で塗り替えられていく。

読者が初めて目にした、夏紀を通して見る『ユーフォ』の世界。

それは、怖ろしいほどに灰色だった。

我々が初めて触れることになった夏紀先輩の心は、まるで氷のように冷え切っていた。

これまで私達が小説本編やアニメで見てきた光輝く世界は、夏紀の目にはどこまでも灰色に映っていた。修学旅行の思い出も、友達と遊んだ記憶も、全てがどうでもいいことだと思っていたから、夏紀には小学生時代の記憶がほとんどない。卒業式で泣くような奴の気持ちも理解できないと言う。クラスが一致団結して何か一つのことをやろうという時も、「マジでしょうもない」と言ってそれを遠くから眺めているだけ。勉強や部活や学校行事といったものに価値を見出せない、全てのものを一歩離れた場所から冷めた目で見つめているだけの夏紀がそこにはいた。

夏紀にも「特別な存在になりたい」という気持ちはある。けれども、そのために青春を捧げて努力したりする勇気は無い。何かに一生懸命になった結果失敗して自分が何物でもないちっぽけな存在なのだと思い知らされるのが怖い。かといって、田中あすか先輩のように孤高の存在となって自分のやりたいようにやるような強さも持ち合わせていない。だから、周りに流されるまま、空気を読みながら、ただ何となく日々を過ごすことしかできない。そんな思春期特有の中二病的自意識の中でもがき苦しみながらも、希美や優子やみぞれとの出会いが少しずつ夏紀を変えていく。

そして、全てが終わった後になって夏紀は初めて、吹奏楽部で過ごした日々のかけがえの無さに気づく。卒業式も何もかも終わったその段階になってようやく、この約3年間の思い出が何物にも代えがたい特別なものだったと気づき、夏紀は嗚咽を漏らす。その尊い日々の中で、自分は何をして、何を得て、何になったのだろう。

夏紀にとって、希美や優子やみぞれは光だった。それは、夏紀を暖かく包み込む柔らかな光であると同時に、そばに寄れば身を焼かれてしまうような強烈な光。夏紀は希美のように真っ直ぐに生きたかった。優子のように皆をまとめ上げ一つの夢に向かって突き進んでいきたかった。みぞれのように大空を羽ばたいてみたかった。でも、それは、夏紀がどんなに望んでも手に入れることのできない理想の姿。

それをただ見上げているだけなら夏紀はここまで悩まなかっただろう。だが、高校1年の退部騒動を通して夏紀は、希美を灰色の世界へと引きずり込んだ。その罪悪感が夏紀を苦しめる。そんな夏紀や希美の苦悩に気付かないみぞれの視野の狭さにイラついたりもした。副部長となって部や後輩のために働いたのも、すべて罪滅ぼしのつもり。でも、その姿を見て久美子やみぞれは「夏紀はいい人」だと言う。違うんだ、自分はそんな立派な人間なんかじゃない。大空に飛び立つ勇気もない、何物にもなれず、ただ周りに流されてふらふらしているだけの、身勝手な人間なんだ。そんな自罰的な思いが夏紀を苦しめる。

それでも優子は、夏紀に救われていた。世の中に無数に代わりがいる中で、それでも夏紀を選んだのだと言ってくれた。その一言で、夏紀も救われた。こんなちっぽけで身勝手な自分でも「嫌いじゃない」と思えるようになった。この出来事を通して、夏紀の世界は塗り替わったのだと信じたい。最初は真っ白だったバンド幕が、美しいアントワープブルーに塗り替えられたように。けれども、塗り替わったのは未来ではなく過去だ。走っている最中には灰色でも、その道を後から振り返れば美しく光り輝いている。夏紀にとって世界とはそういうものなのかもしれない。

以上が『飛び立つ君の背を見上げる』そのものの感想になるが、本作の見どころは何と言っても、中川夏紀と吉川優子の関係性、その圧倒的なエモさに他ならない。作者自身がエモさに苦しんだと言っていたのは伊達じゃない。もう最初から最後までエモさの塊のような作品なのである。

というわけで、ここからは、なかよし川の激エモシーン ベスト5を発表しよう。

第5位 夏紀の前でだけ弱音を見せる優子部長

部長としての重圧に押しつぶされそうになっていた優子を夏紀が慰めるシーン。皆の前で気丈に振る舞う優子が、夏紀の前だけで見せる弱さ。読者はただ、学校の校舎の壁になったつもりで息を殺し、じっと2人を見つめることしかできない。

第4位 2人きりで何度もカラオケ屋に行くなかよし川

部活を引退し、受験も終わって、この二人、めっちゃカラオケ行ってる。いつもの4人じゃなくて2人だけでっていうのが最大のポイント。卒業後に行うライブに向けて練習するのもカラオケ屋。もう店員から顔覚えられるくらい通ってる。それだけじゃなく、1年の頃から、夏紀が優子にギター教えるため、月1くらいで通ってたらしい。

どう見てもなかよしカップルのカラオケ屋デートです、本当にありがとうございました。

第3位 自室イルミネーションのシーン

ライブを間近に控え、夏紀の家にお泊りにやってきた優子。会場を飾る用のイルミネーションを身に纏い、薄着のまま眠る優子に、おもむろに近づく夏紀。アニメ1期における大吉山のシーン、リズと青い鳥における大好きのハグシーンを彷彿とさせるクライマックス。後悔や罪悪感に苦しむ夏紀に、優子がはっきりと宣言する。

「いくらでも代わりがいるなかで、うちはアンタを選んでこうやって一緒にいるワケ。代わりがないからじゃなくて、代わりがいくらあってもアンタを選ぶ。一緒に音楽やるのも、こうやって過ごすのも、夏紀と一緒がいいよ。それが悪いこととはうちにはどうしても思えへん」
(289ページ)

これもう、完全に愛の告白じゃねーか! もうさっさと結婚しろよ…。

第2位 架空の優子の彼氏相手にマウントを取る夏紀

もしも優子に彼氏ができたら。ふと、四人でいたときに出た話題を思い出し、夏紀は自分の唇を片手で覆った。
きっと優子の恋人はいいやつだ。優子の人間を見る目は確かだから、育ちのいい爽やかな好青年を連れてくるだろう。夏紀にはちっとも理解できないファッションセンスで、夏紀にはちっともいいと思えない善良さで、優子の隣に当たり前の顔をして並ぶのだ。
休日にバーベキューをしたら準備なんかも一緒に手伝ってくれて、きっと面倒な仕事も愚痴ひとつ言わない。目が合った夏紀に向かって少し照れたように微笑む。「いつも優子がお世話になってます」なんて言われたところを想像して、架空の男に勝手にムカつく。何がお世話になってます、だよ。こっちはお前の何倍も優子のことを知っているのに。
(151ページ)

お前、マジでどんだけ優子への独占欲強いんだよ! ていうか、挙げられてる場面が具体的すぎて怖えよ! これは本当にヤバすぎる描写だ…。というか本作が夏紀視点だから夏紀がヤバいと思うだけで、絶対優子の方も同じような妄想してるだろうけど。

第1位 イマジナリー優子

本作の中でも一番ヤバいパワーワードがこれ。

おそろいのピックを楽器屋で買ったあと、明日の約束を取りつけてから夏紀は帰宅した。自室に飛び込み、ダウンジャケットを脱ぎ捨てて冷えた布団にダイブする。行儀が悪い、と脳の隅でイマジナリー優子が眉をひそめる。そして自分は当然のようにそれを無視する。
(241ページ)

呼吸のリズムが崩れ、夏紀はソファーの上にあったクッションを抱きしめる。涙腺の蛇口が壊れてしまったのか、涙があふれて止まらない。「バスタオルが必要か?」とイマジナリー優子が揶揄する。必要かもしれないなと夏紀はクッションに額を押しつけながら思った。
(269ページ)

イマジナリー優子って何だよ!!! お前の頭の中、どんだけ優子で占められてるんだよ!!! どんだけ優子のこと大好きなんだよ…。もう優子がいないと生きていけない体になってるやん…。

夏紀と優子。この2人の関係性を人間の言葉で説明することは、もう無理なんだと思う。世界に無数にある関係性を、友達とか恋人だとかいう高々数個の雑な言葉で仕分けすることでしかこの世界を理解できない、人間の脆弱な脳では、この関係性を正確に言葉で表現することなど不可能なのだ。

我々は、ただ、なかよし川が添い遂げてくれるのを祈るのみである。

本作に描かれた新たなのぞみぞ、そして、のぞみぞとなかよし川が複雑に絡み合う関係性については、一度読んだだけでは到底理解できないので、今回のところはこれで記事を終わりとしたい。

アニメ版『ラブライブ!』三部作感想

先日ようやくニジガクを観終わったのだが、そう言えばラブライブシリーズの感想をブログで書いてなかったなと思ったのでまとめて書くことにする。

ラブライブ!

アニメ1作目を一言で言い表すなら、生まれながらのカリスマ性を有する高坂穂乃果という少女の、天才であるがゆえの苦悩と成長を描いた、ということになるだろう。すでに他の記事でも指摘されているように(ラブライブの穂乃果ちゃんに学ぶ『マネジメント』 - WebLab.ota)、穂乃果はとにかく他人を動かすのが上手く、特に一芸に秀でているというわけではないものの、他を圧倒する行動力と熱意で皆を牽引していくタイプのリーダーである。しかし、その性格は裏を返せば、無理を重ねて突っ走り、周りが見えなくなってしまうという面もあり、実際にそれによって体調を崩し、メンバーとも対立してしまう。アニメ1期のクライマックスは、そこから穂乃果が立ち直り、成長していくわけだが、それはメンバーの事を気に掛けながら自制心を持って行動できるようになる(=良くも悪くも、小さくまとまって大人になる)、という意味ではない。現実の優れたリーダーというものは、時には周囲に目を配ってその人に合わせた対応をしつつも、時には周りを強引にでも引っ張っていく、という二律背反の性質を持っているわけで、穂乃果もまたそういう意味での真のカリスマ的リーダーへと成長を遂げていくという物語、まさに、リーダーとは何かということを描いた物語だと言える。

で、それが2期になるとそのテーマ性はだいぶ薄れてくる。第2期は最初から終わりまで、3年生の卒業とμ'sの解散というエンディングを意識しながら、13話もの長きにわたって続いたエンドロールのような作品だった。この構造は『けいおん!』の2期とほぼほぼ同じだと思う。特にラスト3話は、μ'sの解散を決意する11話、ラブライブ決勝を描く12話、3年生組の卒業式である13話というように、普通のアニメなら1話で描くクライマックスを3話に分け、それでいて各話がそれぞれ違う味のあるエモーショナルな回になっていたと思う。1期で完全にハマった人なら2期も感動できるだろうが、そうでない人が2期を見ても結構キツイだろう。

推しキャラは西木野真姫ちゃん。ツンデレでプライドが高く、自分を上手く表現できない不器用さ、いじらしさが最高である。台詞が棒読みという人もいるが、アニメの棒読みには「これはあかんやろという棒読み」と「正義の棒読み」がある。正義の棒読みとは、棒読みでも全く気にならない、むしろ棒読みだからこそ味があっていい、という稀有な現象を指すが、真姫はまさにそれだろうと思う。

ラブライブ!サンシャイン!!

本作はいろんな意味で前作と対になっている。舞台は東京から沼津へ。主人公も前作のようなカリスマ性は無く、あくまでもμ'sに憧れてスクールアイドルを始めた普通の女子高生という面が強くなった。そのせいなのか、本作は前作よりも、女どうしの激重巨大感情がクローズアップされていたように思う。2年生組と3年生組+ルビィちゃんの複雑かつ激重な関係性でエモさが前面に出て来る一方、善子とズラ丸はギャグ要員という役割分担になっていたかと思う。

2期になるとようやく大きなテーマのようなものが浮かび上がってくる。これは前作とも一部共通するのだが、最初に描いていた夢や目標が消えた後、どうすれば未来に向かって進んでいけるのか、という問いである。スクールアイドル活動によって、廃校の危機は免れた、あるいは、結局廃校は阻止できなかった、となった時に、それでもモチベーションを維持し、前向きに生きられるかという大きな問い。この問いは、卒業しスクールアイドルを辞めたあとも彼女たちの人生は続いていく、という事実と連動している。そして、これは人が様々なものと向き合う時、例えば、家族、仕事、地域、そういったものと関わる時に避けては通れない普遍性を持った問いでもある。

推しはもちろん渡辺曜ちゃん一択である。自分、普段は明るくてムードメーカー的な子が見せる繊細な巨大激重感情、大好きなんで。皆知っての通り、特に1期の11話は素晴しい。曜ちゃんの複雑で繊細な感情を周り、特に千歌ちゃんもよく理解して優しく接してくれるのがまた最高にエモい。

ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会

学校の危機を救うためにメンバー全員が一致団結してステージに立った前二作とは様相が全く異なる。同じ同好会に所属しつつも、やりたい事もパフォーマンスの方法も一人ひとり違って別々に活動している様は、ラブライブよりむしろアイマスに近いものがある。巷の噂ではゆうぽむが激重でヤバイと聞いていたが、11話、12話以外では百合的に唸らされる内容は特に無かったかと。そのぶん11話は前評判通りの激重感情爆発回で百合的に極めてエモーショナルだったが、それに加えて、歩夢の感情と共に揺れ動く画面、絡み合う2人の足、重なり合うスマホ、といった百合的様式美への並々ならぬこだわりが感じられ、拍手喝采するしかない名シーンだった。

一方、ストーリー全体に貫かれているのは、2つのものの「対比」に他ならない。皆で協力して一つのステージを作る方式と、皆が別々にやりたい事を表現する方式との対比。自分を抑えて皆のために尽すことと、対立を恐れずに自分のやりたい事をやること。変わっていくものと、ずっと変わらないもの。仲間と孤独。私とあなた。この作品は、一緒に夢を追いかけてくれる仲間やファンの大切さを描くと同時に、自分が本当にやりたい事をやろうとする時、人は孤独なのだということをしっかりと描く。あなたと一緒に頑張る、ではなく、あなたがいるから頑張れる、というような世界。実はこの構造、『ゆるキャン△』や『宇宙よりも遠い場所』などと全く同じなので、これはここ数年のトレンドなのだと思う。

推しキャラは、ここはやはり高咲侑しか居ないだろう。個人的な好みの問題でもあるが、スクールアイドルやってる周りのメンバーに勝るとも劣らず可愛い、というか他を圧倒していると思う。ツインテールの先端だけまるでカビが生えたように緑色になってるのも、他のアニメキャラにはない唯一無二の特徴で素晴らしいと思う。

内村航平選手のインタビューを聞いて思ったこと

体操・内村「東京五輪がなくなったら…」|日テレNEWS24

内村航平様の熱いお気持ち、しかとお受け取りいたしました。「五輪がなくなってしまったら、大げさに言ったら死ぬかもしれない」という真摯なお言葉を拝聴し、深く深く感動いたしました。また、「オリンピックをできないじゃなくて、どうやったらできるかを考えてほしい」というお言葉を聴いて、我々国民一同、これまでコロナに打ち勝とうという決意と努力が足りなかったと反省しております。そして、オリンピックの開催のために、これまで以上に努力を重ね、コロナに打ち勝つために邁進していかねばならぬと決意を新たにいたしました。

具体的には、手洗いうがいを徹底し、不要不急の外出を控え、コンサートや演劇や展示会などの大規模イベントは全て中止といたします。そして、夜8時以降の外出・飲食は禁止とし、従わない者には罰則を科して感染防止を徹底いたします。それでも感染拡大を抑えられない場合には、ロックダウンなどの厳しい処置を取り、何としてでも今年の夏にオリンピックを開催できるよう全力を挙げて参ります。

たとえコロナによって自由や財産や職を失うことになったとしても、我々は決して不平不満を申したりはいたしません。内村航平様をはじめとするアスリートの皆様方がオリンピック・パラリンピックで活躍し、国民に夢と希望を与えてくだされば、コロナなどあっと言う間に吹き飛び、明るい未来がやってくるに違いありません。ですから我々日本国民は、たとえどんなに自由を奪われ、苦しい状況に置かれたとしても、オリンピックが開催されるまでは我慢し、アスリート様が最高のパフォーマンスを発揮できるように奉仕する所存です。

また、ワクチン接種につきましても、アスリート様に最優先で接種いただき、安心して競技を続けられるように尽力いたします。接種開始時期は不透明ではありますが、もし五輪前に接種が始まったならば、まずはアスリート様が、次に政府閣僚・五輪関係者の皆様に接種していただきとうございます。我々一般国民は最後で構いません。どうぞ、我々のことはお気になさらず、ワクチンをお打ちになって、国民に夢と希望をお与えください。

コロナ対策以外の面につきましても、我々がアスリート様を全力でサポートいたします。猛暑の中での開催となりますが、会場に打ち水を撒き、風鈴を取り付けることで、少しでも涼しい環境で競技が行えるように努めます。また、大雨が降ると下水がオープンウォータースイミングの会場に流れてしまうという問題点がございますが、雨の日にはうんこを我慢し、オリンピック会場が汚染されないように努力します。もちろん、大会期間中はボランティアとしてアスリート様のために身を粉にして働きます。交通費や宿泊費は一切要りません。我々国民にとっては、少しでもアスリート様の力になれることが至高の喜びなのでありますから、交通費も宿泊費もすべて自己負担で参加させていただきます。

菅総理大臣や森組織委員長がおっしゃっていたように、大会の中止や再延期は有り得ない、たとえワクチンが無くても大会は実施する、という不退転の決意で、コロナを克服し、東京オリンピックパラリンピックが開催できるよう、我々国民一同、全力を挙げて戦っていく所存です。

最後になりますが、内村航平様をはじめとするアスリート様の日々の努力と研鑚に心から敬意を表し、東京オリンピックパラリンピックが無事に開催されるよう、日夜、神にお祈り申し上げます。

『感染地図』―コロナ禍の時代だからこそ、かつてのコレラ禍から学ぶべきことがある

2007年に書かれた本だが、この本はまさに今、世界中がコロナ禍で苦しんでいる今だからこそ読まれるべき本だろう。

スノーとホワイトヘッドの調査

本著の舞台は1854年のロンドン。当時のロンドンは世界最大の都市であると同時に、極めて劣悪な環境でもあった。下水道などは完備されておらず、汚物は肥溜めに捨てられていた。また、下水道がある地区でも、下水は浄化などされないままテムズ川に垂れ流しになっており、街中に汚物の臭いが充満していた。肥溜めの汚物を回収して郊外の農家に売る下肥屋や、テムズ川のヘドロの中から売れる物を拾い集める人(泥ひばりなどと呼ばれる人々)が大勢いた。そのような環境であるがゆえに、ロンドンは度々疫病に悩まされた。1854年も、ソーホー地区コレラが大流行し、600人以上が亡くなった。

人間の体内に入ったコレラ菌は、小腸に到達すると爆発的に増殖し毒素を出すようになる。その毒素によって腸の粘膜からは水分がとめどなく滲み出してきて、患者は酷い下痢に苦しめられ、脱水症状を起こして死に至る。コレラにかかった場合の一番手っ取り早い対処法は、大量の飲料水や点滴によって水分を補給して脱水症状になるのを防ぎ、便と一緒にコレラ菌が出ていくのを待つことである。しかし、当時のロンドンではヤブ医者や悪徳商人の類が、怪しげな薬やインチキ療法を新聞で宣伝して回っており、ほとんどの患者が適切な処置を受けられずに亡くなったのである*1

そんな災厄の最中、一人の医師が被害の実態を調査していた。彼の名をジョン・スノーという。スノーは過去のコレラ禍の調査などを通じて、汚染された飲料水が病気の原因であると当たりを付けていた。そして、実際に街で聞き込みをしてみると、被害者がブロード・ストリートにある井戸に近い家屋に集中していることが分かった。一方、その井戸のすぐ近くにある救貧院ではほとんど死者は出ていなかったし、その近くの醸造所の従業員もほとんどが無事であった。よくよく調べてみると、救貧院は独自の井戸を持っていたし、醸造所の従業員はみんな現物支給のビールで喉の渇きを癒していた。また、ブロード・ストリートから遠く離れた場所に住んでる人でも、その井戸水を飲んだ人はみんなコレラに罹っていた。この時点でスノーは、今回のコレラ禍の原因はブロード・ストリートの井戸水にあると確信していた。

スノーは地元の教区役員にこの調査結果を伝え、すぐに対策を打つよう訴えた。教区役員の多くは半信半疑だったが、他に対策の施しようがなかったため、仕方なしにポンプの柄を取り外し、付近の住民がこれ以上その井戸水を飲まないようにした。この瞬間こそが、人類の公衆衛生の歴史、ひいては人類の生き方を変える決定的な瞬間だったと著者は述べている。

ポンプの柄を外すという行動は、地元民の救済以上の意味をもっていた。人間とコレラ菌との戦いを決定的に変える瞬間だった。このとき、公的機関はコレラという疫病にたいしてはじめて科学的理論に基づく介入をおこなった。ポンプの柄を取り外すという決断は、天気図でも社会的偏見でも中世の「体液説療法」でもなく、観察し、推論し、確認するという系統だった調査と研究に基づいてなされた。都市という願ってもない環境を得て繁栄を誇っていたコレラ菌はこのときはじめて、迷信ではなく理性で武装した人類に行く手を阻まれることになったのだ。
(『感染地図』、213ページより引用。)

同じ頃、ソーホー地区にある教会で副牧師をしていたヘンリー・ホワイトヘッドは、スノーからの報告を聞いて最初は有り得ないと思った。しかし、よくよく調べ直してみると、死者は皆ブロード・ストリートの井戸水と関係していることが分かった*2。さらに、市の記録を調べると、コレラ禍が始まる数日前に、例の井戸のすぐ近くに住んでいた赤ちゃんがコレラと思われる症状で亡くなっていた。その子の母親は、赤ちゃんの下痢で汚れたオムツを洗い、その水を井戸のすぐ近くにある汚水溜めに捨てたという。その汚水溜めと井戸とを隔てる壁はボロボロで、汚水は井戸の方へ染み出していた。全ての点と点は繋がった。最初の感染者である赤ちゃんの便に含まれていた何らかの病原体が、汚水溜めから井戸水に混入し、それを飲んだ人々が次々にコレラに感染したのだ。

瘴気説

スノーとホワイトヘッドは一連の調査結果をまとめて報告した。しかし、ロンドン市の公衆衛生局は、彼らの報告に聞く耳を持たなかった。スノーらの説を実証する数多くの証拠があったにもかかわらず、公衆衛生局は昔ながらの瘴気説を捨てようとしなかった。瘴気説とは、要するに、あらゆる病気の原因は不衛生な環境から発せられる臭いであるという考え方である。ロンドンの人口が増えて街に汚物の臭いが充満するようになって、これまで見られなかったコレラのような疫病が発生し出した。だから、この悪臭を放つ悪い空気こそが、病気の原因に違いない! という固定観念が、当時の役人や政治家、学者の間で蔓延っていた*3

だが、今回発生した災厄はどう考えても瘴気説では説明ができない。ロンドンにはソーホー以上に不衛生で悪臭の立ちこめる場所が多くあるのに、何故患者はソーホー地区に集中しているのか。仮に、この街一帯にコレラの原因となる瘴気が充満しているのだとしたら、何故、同じ地区にある救貧院や醸造所は無事だったのか。そもそも、悪臭が病気の原因であるのなら、最も酷い悪臭のする場所で働いている人々、つまり下肥屋や泥ひばり達が真っ先に死ぬはずなのに、そうなっていないのは何故か。

このように、よくよく考えれば瘴気説の矛盾は明らかなのに、役人達は瘴気説の呪縛から逃れられなかった。公衆衛生局がソーホーで行った調査では、どの井戸を使っているかなどの調査項目は無く、患者が発生した場所の気象条件や高度、換気の有無、トイレや肥溜めまでの距離などしか調べられなかった。こんな事をいくら細かく調査していっても、水とコレラとの関連など分かるはずもない。また、汚染された井戸から遠く離れた場所でもその井戸水を飲んだ人はコレラに感染したというスノーらの報告については、その水が濃い瘴気によって汚染されていたからであろうと反論した。彼らは悪臭を放つ空気がコレラの原因だと主張しているのに、都合の悪い症例に関してだけは「水が汚染されていた」という驚くべき言い訳を述べるのである。

瘴気説に固執した人々の態度は、黎明期の稚拙な人類学が、様々な民族や人種に対して「白人より劣っている」というレッテルを貼って、差別を助長してきたという歴史と瓜二つである。

19世紀から20世紀にかけて、多くの学者が脳の大きさ、人相、IQなどによって人間の知能を測ることができると考え、それらの間違った仮説に基づいて知能が劣っているとされた人種や民族が差別された。そして、いったんそのようなレッテル貼りが行われると、その結論とは異なる不都合な真実が出てきても、それを都合の良いように解釈して切り捨てていまい間違いが長い時間訂正されないままになってしまう。
例えば、昔の骨相学では、高い地位にいる白人は脳が大きく、アジア人・黒人・貧しい人・犯罪者などは脳が小さいとされていた(実際には、脳の重量は体格などによって変わるし、当時の測定では頭蓋骨から正確に脳の重量を測ることなどできなかった)。ところが、墓から掘り出してきた高い地位にいる人々の頭蓋骨を調べてみると、明らかに犯罪者のそれより小さいものがあった。普通に考えれば人種や職業の違いと脳の大きさには何の関係もないという結論になるはずなのだが、当時の学者は、いや、昔の骨は保存状態も悪いし、それらは死因も違うので単純比較はできない、などと言い訳をして自説の正当性を曲げなかった。
例えば、20世紀前半のアメリカ軍で実施された知能テストでは、アングロサクソン系の白人移民が最も知能が高く、南欧系、アジア系、黒人は低い、という結論が得られていた。一方、アメリカでの生活が長い人ほど知能テストの結果も良いというデータも得られた(つまり、当時の知能テストは英語やアメリカの文化をある程度知っていなければ答えられないものであり、アメリカに来て間もない移民にとって不利なテストであった)。しかし心理学者たちは、より知能がある者はより早い時期にアメリカに移り住み、より知能の劣った者は最近になってからようやくアメリカに移住してきたのではないか、という今では考えられない仮説を述べ、知能テストの不備を認めなかった。
最近読んだ本まとめ(3)―『がん消滅の罠 完全寛解の謎』『人間の測りまちがい 差別の科学史』『真実の一〇メートル手前』 - 新・怖いくらいに青い空より引用)

著者も指摘しているように、偏見や固定観念に囚われた状態では、人は2つの意味で真実を見誤ることになる。第一に、そのような状態ではそもそも適切な調査項目を設定できずに、ただ自説を補強するためだけの調査結果しか得られない。第二に、自説と矛盾する結果が得られても、それを都合の良いように解釈して無かったことにしてしまう。

科学的思考の重要性

なぜ人々はこれほどまで頑なに瘴気説に固執したのだろう。それは第一に、コレラ菌は目で見る事が出来なかったから、というのが大きい。当時、顕微鏡は開発されたばかりで広く普及しておらず、ましてや、水の中にいる目に見えない微生物が人間に悪さをしているなど想像もつかない時代だった。しかも、コレラ蔓延の元となった井戸の水は、見た目では透き通った無色透明、むしろ他の井戸の水より綺麗なように見えた。だからこそ、そんな場所に目に見えない未知の病原体がいるという主張は、なかなか理解されなかった。

そして第二に、人間の遺伝子に刻まれた臭いに対する強烈な嫌悪感が、瘴気説を勢いづけたのである。人間をはじめとする多くの動物は、進化の過程で嗅覚を大きく進化させてきた。糞尿で汚染された食物を食べるのは危ないし、腐った食物を食べるのも命の危険がある。だからこそ、人間の嗅覚や脳は、糞尿や腐敗物が放つ臭いを嗅ぐと強い嫌悪感を覚えるように進化した。この本能に根差した嫌悪感が、臭いこそが万病の元であるに違いないという先入観を生み出したのだ。たしかに、汚物がそこら中に溢れかえっているような環境は不快だし改善されるべきだろう。だが、それらが放つ臭い自体は人間に害を及ぼさない。コレラ菌をはじめとする多くの病原菌やウイルスは無味無臭である。

そうした状況下で、何故スノーだけが瘴気説に染まることなく、真実を見抜くことが出来たのだろう。まず、彼の麻酔医としての経験が重要な役割を果たしたのだろう、と著者は述べる。エーテルクロロホルムといった麻酔薬の研究で実績を残していたスノーは、当然、気体の拡散についてよく知っていた。仮にコレラが瘴気によってもたらされるのだとしたら、その発生源を中心として同心円状に被害は広がるはずであるが、被害の分布は明らかにそれと異なっていた。また、麻酔薬は貴賤や人格とは無関係に、全ての人に対してほぼ同様の結果をもたらす。その事実を理解していたからこそ、病気というのは貧しくて不衛生な人が罹るものだといった当時の偏見から離れて、客観的に物事を見つめる事ができたのだろう。そして何より、彼自身が貧しい労働者階級の出身でソーホーのすぐ近くに住んでいたので、社会的地位の低い人々に対する偏見を持つことなく、地の利も生かして正確な情報を集める事ができたのだろう。ホワイトヘッドもまた、副司祭として地元民から慕われていたので、いち早く正確な情報を聞き出すことができた。

こうして得られた情報を分かりやすくまとめるという点においても、スノーは天才的であった。本著のタイトルにもなっているコレラ発生の分布を示した地図は、疫学の歴史上最も重要な図であると言われている。死者が発生した位置と井戸の位置とを表記し、さらに今日ボロノイ図と呼ばれる手法を用いて、ブロード・ストリートの井戸水を常用していた地区の範囲を示した。死者の分布はその範囲とピタリと一致していた。

どんなに膨大なデータも、立派な文章も、一枚の図が示す強烈なインパクトには敵わない。例えば、緑色蛍光タンパク質GFP)という光るタンパク質がある。観察したいタンパク質の遺伝子の近傍にGFP遺伝子を組み込むと、そのタンパク質とGFPの複合タンパクが作られ、鮮やかな緑色を呈した顕微鏡写真を取ることが出来る。GFPによって、これまで見えなかったものが、容易に見えるようになり、観察できるようになる。GFPはまさに私達の見る世界を変えた。スノーもまた、感染地図を駆使して、それまで見ることのできなかったコレラを、間接的に見えるようにしたのだ。

19世紀のロンドンで起こった災厄から1世紀以上が経過し、街の風景も科学技術も様変わりしたが、人類を脅かす怖ろしい病気と対峙する時に必要な方法論は、当時と今とで(そして将来も)何一つ変わりはしない。迷信や偏見を排し、物事を客観的に徹底的に観察すること。典型的なパターンとそのパターンに合わない例外とを見つけ出し分析すること。得られたデータを誰が見ても分かりやすい形で図示しまとめること。それこそが、人類が感染症に打ち勝つ唯一の方法である。

しかし、インテリジェント・デザイン論のような疑似科学が蔓延し、公衆衛生に関する予算が削られているアメリカの状況は、これと逆行しているように見える、と著者は警告している。その危惧は図らずも、トランプ政権下でのコロナ禍で現実のものとなった。

都市と感染症

さて、当初はなかなか受け入れられなかったスノーとホワイトヘッドの説だが、時間が経つにつれて瘴気説を唱える者は居なくなった。ロンドンでは大規模な下水道工事が行なわれ、コレラの集団発生は無くなった。これをモデルケースとして世界中の都市で工事が行われた。スノーらの発見は、公衆衛生の歴史を変えただけでなく、世界そのもの、人間のライフスタイルを劇的に変化させたのだ。

地球は都市の星になる。これがスノーとホワイトヘッドが方向性を決めた世界だ。私たちはもはや一千万を超える人間の住む大都市の持続可能性を疑うことはない。というより、大都市の超成長は地球上の人類の持続可能な未来を作るのに欠かせない要素となっている。
(『感染地図』、299~300ページより引用。)

そもそも人は何故都市で生活を始めたのだろう。このコロナ禍でほぼ毎日のように聞く「密」という言葉が示すように、都市で人が密集して生活するのはそれだけで感染症のリスクがある。にも関わらず、人は都市で暮らすことを選んだ。

その理由は、リスクをはるかに凌駕するメリットがあるからに他ならない。網の目のように張り巡らされた鉄道網、ビル内部の気温を一括管理する空調設備、大量の物を効率よく集配する物流システム。こうした都市の恩恵によって、人類は田舎に分散して暮らす場合よりもはるかに省エネで便利な生活を送れるようになった。それによって生み出された余剰の富は、人間社会をますます豊かにしていった。この流れを元に戻すことはほぼ不可能なことであろう*4

その流れを決定づけたのが、スノーとホワイトヘッドだったのだ。都市で発生する怖ろしい病気に打ち勝つ手段が提示されたその瞬間、人類の未来は決まったのだ。そして、我々が「withコロナ」の時代を生きるという運命も、あの19世紀のロンドンでの出来事によって定められたものなのである。

この記事の最後は、本著のエピローグに書かれた、コロナ禍の中で生きる人々を奮い立たせるような一文で終えることにしよう。

今日、私たちが直面している脅威がどれほど深刻であろうと、その脅威の下に横たわる原則に気づきさえすれば、迷信ではなく科学の声に耳を傾けるようにすれば、真実が隠されているかもしれない異なる意見に道を開くようにすれば、解決策はかならず見つかる。 (中略) 私たちはこれまでも、さまざまな危機に直面してきた。問題は、今後もそうした危機がやってきたときに大量の命を犠牲にすることなく対応できるかどうかだ。
(『感染地図』、327ページより引用。)

*1:酷い例では、昔から下剤として知られていたヒマシ油をコレラの患者に処方する医者もいたという。言うまでもなく、ただでさえ下痢と脱水症状で苦しんでる患者にそんなものを投与すれば、症状はますます悪化するだけである。

*2:当時、井戸の水を汲みに行くのは大抵子どもの仕事だった。子どもは親の与り知らぬところでブロード・ストリートの井戸水を汲んだりその場で飲んだりしていたので、それが調査を難しくしていた。最初の調査では井戸水と関係ないと思われていた患者でも、詳しく調べてみると実はその井戸水を飲んでいたということが後から分かってきた。

*3:役人や学者の中には、街にカルキなどをばら撒き消臭すれば、病気は消えて無くなると信じている者もいた。

*4:唯一それが起こり得るとすれば、それは核攻撃によるものであろう、と著者は述べている。人々が密集する都市が病原菌の格好の繁殖地であるのと同じように、大量殺戮を目論むテロリストにとっても格好の標的となる。もし、核兵器がテロリストの手に渡り、彼らが大都市の中心でそれを爆破させたら…。そのような事が繰り返し発生するのだとしたら、人は都市を離れ、分散して暮らすようになるかもしれない。

『プリンセス・プリンシパル』のプリンセス=エリザベス女王説

理由1 国民からの絶大な人気と政治家顔負けの外交手腕

60年以上の長きにわたってイギリスの女王として君臨するエリザベス2世。第二次大戦中は軍に入隊してトラックでの物資輸送も行うなど、常に国民に寄り添ってきた。ラジオ・テレビの普及に伴い、厳格で神聖なこれまでの王室のイメージは大きく変わっていった。

第二次大戦、植民地の独立、アイルランド紛争、サッチャー政権の誕生、アパルトヘイトの廃止…。イギリスとそのかつての植民地が歩んできた歴史、その舞台裏には常にエリザベス女王がいた。もちろん女王には政治的な権限は無いものの、様々なパーティーで各国要人と堂々と渡り歩くエリザベス女王の姿は、イギリス外交に無くてはならないものだった。ある時、イギリスの外相がエリザベス女王の外交手腕を褒め称えた。女王は「私が何年この仕事をやってるかご存じでしょう?」と答えた。

子どもの頃から様々なパーティーなどで経験を積み、公務、交渉、そしてスパイ活動までこなすプリンセスの姿は、若き日のエリザベス女王と重なるものがある。

理由2 突然やってきた女王即位への道

そんなエリザベス女王が即位するまでの道のりもまた、運命のいたずらとしか言いようのない数奇なものだった。

エリザベス女王の祖父・ジョージ5世の死去にともない、その長男がエドワード8世として国王に即位する。しかし、彼とアメリカ人女性ウォリスが不倫関係にあることが世間に知れ渡り、時の首相は「王冠を取るか、ウォリスを取るのか」と問う。結局ウォリスと共に生きる事を選択したエドワード8世は退位し、その弟でありエリザベス女王の父でもあるジョージ6世が新たに国王となった。

その後ジョージ6世は国民と共に第二次大戦を戦うこととなる。その姿は映画『英国王のスピーチ』でも描かれた。だが、元々病弱だった彼は1952年に56歳の若さで死去。その長女エリザベスがわずか25歳で女王に即位することとなる。

もしエドワード8世の退位がなければ、王位はその子・孫へと受け継がれ、エリザベスは一介の王族に過ぎなかっただろう。叔父の突然の退位によってわずか10歳で大英帝国の王位継承順位第1位となり、父の突然の死によって若くして女王に即位したエリザベス2世。この数奇な運命はまるで、革命の勃発によってシャーロットと入れ替わり、突如として王室での生活を余儀なくされたプリンセスと瓜二つではないだろうか。

理由3 フィリップとの結婚を巡る駆け引き

女王と70年以上付き添うエディンバラ公爵フィリップ。彼の出自と女王との出会いもまた、数多くの運命のいたずらと陰謀に満ちている。

1939年、エリザベスは父ジョージ6世と共にとある海軍兵学校を訪問する。そこで接待役を務めたのが、当時士官候補生だったフィリップ・マウントバッテンであり、2人はそこで意気投合する。国王一家がヨットに乗って学校を去る際、フィリップが制止を振り切って手漕ぎボートで追いかけてきて、ジョージ6世が「ちょ、何してんねんアイツ」と呆れるという場面もあった。その時の印象が余程強かったのか、エリザベスとフィリップはその後もデートや文通などを続け、1947年に結婚と相成った。

ところで、マウントバッテン家は元々バッテンベルクを名乗るドイツ貴族で、ヴィクトリア女王とも血縁関係のある由緒正しい家系であった。その後一族がイギリスに帰化し、名前を英語読みのマウントバッテンに改名していた。

フィリップの叔父であるルイス・マウントバッテンは、第二次大戦で名を上げた軍人であったが、生来の野心家であり王室の「乗っ取り」を画策していたとも言われている。ジョージ6世が亡くなった直後、ルイスは自宅で「マウントバッテン朝」の誕生を祝して乾杯を挙げ、この話を耳にした王室関係者は激怒したという。

事実、マウントバッテン家は元を辿ればヴィクトリア女王にも通じる貴族であったので、法律上は王朝名がウィンザー朝からマウントバッテン朝に変更されてもおかしくなかった。そもそも、海軍兵学校でエリザベスとフィリップが初めて出会った際、フィリップを接待役として当てがったのも、ルイスの差しがねだったと言われているのだ!

皆さんもうお分かりだろう。自分の息のかかった者を巧みに王女に近づけ、王室の乗っ取りを諮る…。これもう完全に、チェンジリング作戦じゃねーか!

結局、マウントバッテン家との係争が長引くのを恐れたエリザベス女王は、王族の名字として「マウントバッテン=ウィンザー」を使うことを認めざるを得なかった。係争の中心にいたルイスは、1979年、北アイルランド武装勢力によって暗殺された。ルイスを慕っていたチャールズ皇太子は知らせを聞いてひどく落ち込んだ。その時に彼を慰めたのが、あのダイアナ妃であると言われている。

まとめ

結局、紆余曲折はあったものの、エリザベス女王とフィリップはかれこれ70年以上、仲睦まじく結婚生活を続けている。これは、女王の妹・マーガレットや、長男・チャールズ皇太子が、恋愛関係をゴシップ誌で取り沙汰され、離婚を経験したのとは対照的である。

というわけで、プリンセスとアンジェも、添い遂げることは確実であると思われるのだ。

参考文献:君塚直隆著『エリザベス女王』(中公新書