新・怖いくらいに青い空

アニメ・マンガ・ライトノベル考察

アニメ『映像研には手を出すな!』第1話感想

『映像研には手を出すな!』第1話観た。素晴らしい以外の感想が出てこない。

何よりも素晴しいのは、ここ数年で最高と言っても過言じゃない背景描写だろう。

『映像研には手を出すな!』の建物や背景が素晴らしいと思えるのは、そこに「高低差」があるからである。『時をかける少女』『耳をすませば』『ラピュタ』『メイドインアビス』、街並みが美しいアニメには必ず高低差がある。縦方向の移動には人を童心に帰らせる不思議な魅力がある。

そして後半、コインランドリーの2階で、浅草と水崎がスケッチブックを日の光にかざしながら頭の中にある世界観を膨らましていく。

初めて共通の趣味を語り合える仲間に出会えた喜び。

時間を忘れて無我夢中で絵を描き込む2人の細やかな所作。

まるで小学校の図画工作の時間のような、自由で、ワクワク感に満ち溢れた、夢のような時間。

この夕方のひととき、2人は束の間子どもに戻り、誰にも縛られない自由な発想で壮大な世界を創り上げていく。

私はこの第1話を見ながら、DNAの二重らせん構造を発見したジェームズ・ワトソンとフランシス・クリックの逸話を思い出していた。

彼らが20世紀の歴史上最も偉大な発見の一つを成し遂げた時、そこに高度な数学も、高価な実験器具も必要なかった。彼らが使ったのは、何の変哲もない分子模型。

DNAを構成する原子(水素・炭素・酸素・窒素・リン)を表す玉と、それらを繋ぎ合わせる棒。それらをああでもない、こうでもないと組み換える作業を延々と繰り返して、最適な構造を探していく…。それはまるで、レゴブロックで遊ぶ子どものようだった。

何日もかけて作り上げた分子模型をドヤ顔で他の研究者に見せて、けちょんけちょんに論破されて、あなた達のやってる事は子どもの遊びと同じだとバカにされて、それでも諦めずに模型と向き合った先に2人は栄光を手にすることとなる。*1

人は童心に返った時、初めて、世界をアッと驚かせるような創造的で画期的な仕事ができるのかもしれない。

*1:ちなみに、ここでワトソンとクリックの研究方法を批判していたのが、あの有名なロザリンド・フランクリンである。彼女もまた、DNAの構造を明らかにする上で決定的な役割を果たした人物だが、十分な評価を受ける前に若くして亡くなった。

話数単位で選ぶ、2010年代TVアニメ10選

まずは、話数単位10選の企画を立ち上げ10年にわたって続けてこられたブログ「新米小僧の見習日記」さんに感謝申し上げたい。お疲れ様でした。

私も、この企画に2012年から参加させていただき、毎年この季節にその年最も印象に残った10話を選出してきた。

後にまとめた2010年、2011年の分も含めて、こうして10年分が出そろったわけである。そこでこの中から2010年代で最も印象に残った、まさに名作中の名作と言える10話を選出してみる。ルールはブログ「新米小僧の見習日記」さんの趣旨に則り、

  • 2010年1月1日~2019年12月31日までに放送されたTVアニメ(再放送を除く)から選定。
  • 1作品につき上限1話。
  • 順位は付けない。

とする。

ストライクウィッチーズ2』、第6話、「空より高く」

この回を選出しないわけにはいかないだろう。ストライクウィッチーズの数あるカップリングの中でもエイラーニャは他とは一線を画している。他を一切寄せ付けずに2人だけの世界を築くその姿は、『ゆるゆり』で言うところのひまさくに相当するものであり、刺さる人にはメッチャ刺さるカップリングである。
この第6話で2人はまさに空よりも高い2人だけの世界へと旅立つ。それは凍えるほど寒い荒涼とした宇宙。これはサーニャが、最初の宇宙飛行士であるガガーリンと同じくロシア(オラーシャ)出身であることによるオマージュでもあるのだが、エイラとサーニャはまさに、人類が誰も到達したことのない、神に最も近い場所へと到達し、そこで愛を確かめ合い、また地上へと帰還する。そこでBGMとして流れる『Sweet Duet』を聴くと、初放送から約10年経った今もなおこの光景を鮮明に思い出させてくれる。

ココロコネクト』、第4話、「二つの想い」

『人格入れ替わり』の起こっている間にした行為の責任は全て、入れ替わっていた相手の方に振りかかってくる。「自分さえ良ければ良い」と考えていれば、人格入れ替わり中にお金を盗んだり、相手の秘密を握ったりすることだって出来てしまう。そんなことするはずがないと頭では分かっていても、どうしても疑うことを止められない。そんな稲葉の苦しみに感情移入し過ぎて胸が苦しくなった。
人は皆、誰にも言えない秘密を抱え、本当の自分が露呈することに怯えながら生きている。だからこそ人は、悩みを一人で抱え込んでしまう。悩みを誰にも相談できずに、思考はどんどんネガティブになっていって、心身ともに追い込まれてゆく。しかし、ここで勇気を出して悩みを打ち明ければ、問題がアッと言う間に解決してしまう場合がある。稲葉の抱える人間不信の苦悩も、伊織に言わせればただの「心配性」でしかなかった。
悩みを抱えている時に大事なのは、勇気を持ってそれを打ち明け、別の視点から物事を見てみるという姿勢。そして、悩みを打ち明けることが出来る仲間の存在。その大切さに気付かせてくれるのが、『ココロコネクト』という作品だと思う。
話数単位で選ぶ、2012年TVアニメ10選 - 新・怖いくらいに青い空より再掲)

ゆゆ式』、第5話、「唯と縁 とゆずこ」

「唯と縁 とゆずこ」というサブタイトルが暗示しているように、第5話はこれまでの回とは一転して、ゆずこと他2人との間の微妙な距離感・すれ違いが強調されていました。
(中略)
本来ゆずこは、唯や縁をいじったり、笑わせたり、楽しませたりする時の言葉のチョイスが天才的に上手い子なんですよね。「こんな事を言えば唯ちゃんは恥ずかしがってツッコミを入れてくれるんじゃないか、でもこれ以上いじったらマジギレしそうだからやめとこう」とか、「この場面でこういう話題を振ってこういうギャグを言えば、2人とも爆笑してくれるんじゃないか」とか。その場の空気を読んで、どうすれば楽しい空間が生まれるかを目測したうえで、ああいうおバカな行動をとってるわけです。そして、これまでその目測は面白いように的中してきたんですね。ところが、第5話に限っては、その目測はことごとく外れ、話がかみ合わない、話に入れない、タイミングが合わない、という3重苦がゆずこを襲います。
まず、OP前の部室でゆずこはターン制(1人が動いているときは他2人は動いてはいけない)を提案します。これはゆずこからしたら、唯ちゃんをいじる千載一遇のチャンスです。唯が動けない隙にちょっかいを出して百合的スキンシップをはかる完璧な計画。となるはずだったのですが、はさみを持った唯が「私に何かしたら次のターンでしばくぞ」と思いのほか強い抵抗を見せます。これにはゆずこもターン制を取り下げざるを得ませんでした。
冒頭で垣間見えた嫌な予感はすぐに的中。お昼休みのベンチで「良い感じのレタス」を落としたことがきっかけとなり、ゆずこの歯車は決定的に狂っていきます。縁が取り出したタオルから話題は小学生の頃のエピソードに移り、画面は唯と縁の回想シーンに。思い出を共有していないゆずこは「私も唯ちゃんの小さい頃のエピソードほしい!」と駄々をこね、さらに急に泣いてる唯ちゃんを見たくなったと言って「泣いてよ!子どものようにさ!!」と迫りますが、唯に拒絶されてしまいます。そして、とうとう泣き出してしまうゆずこ…。
(中略)
完全に悪い流れに飲み込まれてしまったゆずこ。昼休みには「それにしても、なんで生き物は死ぬんすかね?」と微妙な話の振りををしてしまい、唯と縁はキョトン。一気に場が白けてしまい、「この話ないね…」と自分から話をたたもうとするゆずこ。と、そこに、聖人・縁から「死ぬ日わかったら、前の日なに食べたい? 私、唯ちゃんの手作りシチュー食べたい」という神業的な返しが。ところが、そこから唯と縁が2人で話し込んでしまい、またしても会話に入れないゆずこ…。
(中略)
今回、ゆずこは別に他2人と喧嘩をしていたわけでもありません。もちろん、だれが悪いというわけでもない。ただ「良い感じのレタス」を落としたことで歯車が狂い、会話がかみ合わなくなっただけ。これは他の日常系アニメのシリアス回とはまた趣が異なります。喧嘩して、仲直りして、より一層絆を強くする、なんていう分かりやすいエピソードじゃない。ただただ、3人の距離感がほんのちょっと変わってしまった瞬間を、ありのままに描写しただけ。
それでも、ゆずこの繊細な心を傷つけるには十分なインパクトがあったようです。第4話で、ゆずこと縁が「思春期だよ~大変だよ~」「ふとした一言に傷ついたりするよ~」と言っていましたが、まさに今回、唯や縁のほんの些細な何気ない行動がゆずこを傷つけてしまう結果になったわけですね。
ゆずこというキャラクターの別の一面を見ることが出来、作品により一層の深みを与えた第5話。これまでの回の中では断トツで面白かったです。
『ゆゆ式』第5話考察―ゆずこと唯・縁との間に生じた微妙な距離感 - 新・怖いくらいに青い空より再掲)

キルラキル』、第7話、「憎みきれないろくでなし」

団塊の世代の文化人たちがサンデーモーニング(あくまで個人的なイメージ)とかで口にしている、戦後の日本人は物質的には豊かになったけど精神的には云々、というお話ほど胡散臭いものはない。そもそも、物質的な豊かさを徹底的に追求し、未だにその恩恵を享受し続けているのは、他でもない彼らなのだから。彼らは資本主義の弊害、古き良き日本の喪失と、口では散々言っているけれども、今の豊かな生活を手放そうなんてことは微塵も考えていない。頭の中ではこれではいけないと分かっていても、一度手にした豊かな生活を捨てることが出来ず、その生活を守るために、見たくない物から目を背け、臭い物には蓋をし、あらゆることを先送りにして出来上がったのが今日の日本だ。だがそれくらいに、一度手にした豊かさ・便利さを捨てるということは難しい。これは衣食住のありとあらゆる領域で例外なく当てはまる。例えばトイレ一つにしても、一度ウォシュレットを経験してしまったら、二度と和式トイレに戻ることなど出来ない。
「どうだ纏、これが人間だ! 成功は欲望を生み、欲望は破滅を呼ぶ。だが一度快楽を知ればもう抜けられん! 私が作った学園の虜となる。奴らこそ服を着た豚! 力で屈服させるしかない豚どもだ!!」
鬼龍院皐月は、欲望にまみれた人間の特性をよく理解した上で学園の統治を行っている。皐月に忠誠を誓い学園の中で成果を出した者だけが豊かな生活を保障され、その豊かさを手放したくないという気持ちから、彼らの皐月への忠誠心はますます高まってゆく。学園のシステムにどっぷり浸かっている人間からすれば、自分の成果がそのまま生活レベルに反映される素晴らしいシステムのように思えるだろう。しかし、そんなシステムの行き着く先が、今の中国や北朝鮮であり、ナチスドイツや旧ソ連であることを忘れてはならない。カリスマ的指導者による統治は、一見すると合理的で、短期的には国民に恩恵をもたらすこともあるかもしれない。しかしそれは、長期的に見て人間が最も幸せになれるシステムではない。満艦飾家は最後にその事に気付き、自ら服を脱いで学園のシステムから脱却した。
話数単位で選ぶ、2013年TVアニメ10選 - 新・怖いくらいに青い空より再掲)

響け! ユーフォニアム』、第8話、「おまつりトライアングル」

第8話では、中学時代の出来事が原因で互いに距離感を掴めきれずにいた久美子と麗奈が、夏祭りをきっかけにして急接近する。しかも、その接近の仕方が尋常じゃない。まず麗奈が内心を見透かすようにズカズカと久美子の心の中に侵入してくると、それに対抗して久美子の方も、葉月や緑輝には見せない本音を曝け出して麗奈と向かい合う。山に登っている時に交わされる怪しげな会話の数々、その後に続く「特別になりたい」という麗奈の独白、それに見とれて「命を落としてもいい」とすら思える久美子、この一連の描写を包み込む独特の空気感。画面を食い入るように見つめてしまうとは、まさにこの事だと思った。
話数単位で選ぶ、2015年TVアニメ10選 - 新・怖いくらいに青い空より再掲)

がっこうぐらし!』、第1話、「はじまり」

もうこの回について改めて話すことなどないくらいに、各所で注目された第1話。ほのぼのとした日常を約20分にわたって描き続けた後で、視聴者に知らされる衝撃の事実。その瞬間に、なぜ彼女たちは学校で寝泊まりしているのか、なぜ校舎内にバリケードがあるのか、なぜ胡桃は四六時中シャベルを持っているのか、それらの疑問が一気に氷解し、視聴者の体に戦慄が走る。さらに、この第1話を最初から見直すと、作中のあらゆる描写に重要な意味が隠されていたことを知り、視聴者はさらなる衝撃を受ける。これぞまさに、映像作品を見る醍醐味ではないだろうか。
話数単位で選ぶ、2015年TVアニメ10選 - 新・怖いくらいに青い空より再掲)

3月のライオン』、第26話、「Chapter.52 てんとう虫の木(2)」「Chapter.53 てんとう虫の木(3)」「Chapter.54 想い」

今の天皇陛下*1水俣病患者と面談された際、「真実に生きるということができる社会を、みんなでつくっていきたい」というお言葉を述べられたそうである。真実に生きるということ、それは、自分に嘘をつかないということ、間違っているものに毅然とノーと言えるということ。現代日本に生きる私達にとって、それはどんなに難しいことだろう。
川本ひなたは曲がったことが大嫌いで、おかしいと思う事に立ち向かえる勇気がある。しかし、そうして真実に生きようとした結果、彼女はボロボロになり、玄関先で泣き崩れる。27話以降の話になるが、教室で居場所を失い、ますます精神的に弱っていってしまう。真実に生きようとすればするほど、この社会は生き辛くなっていく。
それでもひなたの祖父は、ひなたは何も間違っていない、胸を張って生きろと力強く彼女を励ます。ベンチで泣きながらも後悔はしないと断言したひなたの姿を見て、零は自分が救われたような気持ちになる。自分が信念を持って真実に生きようとすれば、その思いは必ず誰かに届く。その生き方はきっと誰かの心を動かす。そういう強いメッセージを感じさせる回だった。
話数単位で選ぶ、2017年TVアニメ10選 - 新・怖いくらいに青い空より再掲)

メイドインアビス』、第10話、「毒と呪い」

まさに壮絶。迫真。強烈。圧巻の30分。親も兄弟もいないレグにとって、リコは共に旅をする仲間という以上の特別な存在、それこそ生きる意味そのものと言ってもいい。そのリコが突然の事故に襲われ、人が想像し得る限り最悪レベルの痛みと苦しみの中で命尽きようとしている…。そんな光景を目の当たりにしたレグの気持ちを想像すると、見ているこっちも胸が締め付けられる。
まさに、『メイドインアビス』という作品が持つ強烈な「毒」を、希釈も妥協も日和見も一切せずに徹底的に描き切った第10話だった。
話数単位で選ぶ、2017年TVアニメ10選 - 新・怖いくらいに青い空より再掲)

少女終末旅行』、第12話、「接続」「仲間」

2017年の話数単位10選では『少女終末旅行』第8話を選出したが、ここでは第12話を選出したい。理由は、2017年の話数単位10選を選んで記事を出した後に、この第12話が放送されたからだ。
文明の崩壊した世界を旅するチトとユーリ。多くの人の手を渡ってきたカメラの中に納められた膨大な映像が、ショパンノクターンを背景にして一気に映し出される。映像の中にある人々の生活は愛に満ちている。子供の成長を喜び、大切な人と共に過ごし、死者を弔う人々の姿。しかし、そんなにも愛に満ちた世界にあっても、人と人との争いはついに無くならなかったのだ。おそらく彼らは、現実世界の私達と同じように、愛する子どもたちの未来を思い、地球の美しい自然に心打たれ、それらの大切なものが失われてしまうかもしれないという恐怖に打ち震えるたびに、何度も何度も争いを止めようとしただろう。それでも、人類は自らを滅ぼす選択をしてしまう。
彼らを破滅に導いたものは何なのか。それは、人のDNAに深く深く刻まれた欲望。他者を殺し、他者の物を奪おうとする本能は、どうやっても抗えないほどに強く、人は破滅の道を突き進んでしまう。そして、その本能は、現実世界の私達の心にも刻み込まれている。
人類の悲劇的な未来を暗示する悲しいエピソードなのに、どこか穏やかで温かい、不思議な感覚。『少女終末旅行』の原作者は、次のように述べている。

生命も文明も宇宙も、ちゃんとどこかで終わっていてほしい。終わりがあるというのはとても優しいことだと思います。(第3巻あとがきより)

人間は不変や永遠に憧れる一方で、忘れることに癒されていると思います。(第5巻あとがきより)

我々は心のどこかで、穏やかな死に憧れているのかもしれない。

スロウスタート』、第7話、「ぐるぐるのてくび」

栄依子は自信に満ち溢れていて、花名とは対極に位置するキャラとして描かれている。栄依子は「自分には人を引き付ける魅力がある」ということをかなり明確に自覚していて、その状況をやはり自覚的に楽しんでいるようなフシがある。実際、栄依子はクラスメイトの懐にぐいぐい入り込んで、彼女たちを自分の虜にしてしまう。
ところが榎並先生には、栄依子の作戦がまったく通用しない。栄依子がぐいぐい突っ込んでいっても暖簾に腕押し。まるで柳の枝のように、大人の余裕でひらりとかわしていく。それどころか、スカートの件で一度はメンタルゲージ劇下げされたりもしてる。栄依子にとってはそれがたまらなく悔しい。だからますます先生にちょっかいを出したいと思うようになる。隙あらば先生に突っかかっていく栄依子は、表情は余裕しゃくしゃくという感じではあるが、内心はかなりムキになってたと思う。
(中略)
そして第7話でついに、栄依子に反撃のチャンスがおとずれる。べろべろに酔っぱらって栄依子を家に上げてしまった先生が、栄依子の前で初めて動揺した様子を見せる。しおらしくなった先生を見て笑う栄依子のなんと嬉しそうなことか。この時、栄依子は初めて先生に「勝った」と思ったであろう。ところが、この優位は長くは続かない。ナチュラルに顔を近づけてきた先生にドキドキしてしまい逃げるように部屋から立ち去る栄依子。彼女自身が言っているように、まさに「勝ち試合だと思ったら最終回で逆転食らった」状態。
そもそも榎並先生は一連のやり取りを「勝負」だと考えてすらいない。ムキになって勝負を仕掛けに行ってるのは栄依子だけ。いつも落ち着いていて大人びた印象の栄依子だが、実は主要キャラの中で一番子どもっぽいのかもしれない。
だがしかし、自分の作ったネックレスを先生が付けているのを見て、栄依子の感情はより一段上のものへと変容する。まさにOP曲の歌詞にあるように、ポップコーンのように目覚めてしまう。この気持ちをどうしても誰かに伝えたくて、花名に秘密を打ち明ける。心の中で「いつか私も話せるかな、自分の秘密を」とつぶやく花名を見て、彼女の抱える不安や恐怖の大きさが再認識され、視聴者は突如現れた百合空間から解放され、本作の主題へと帰ってゆく。
『スロウスタート』第7話―ムキになって勝負を仕掛けにいく栄依子と、それを余裕で受け流す榎並先生、その関係性が素晴らしい! - 新・怖いくらいに青い空より再掲)

*1:注釈:2017年当時の天皇陛下。2019年現在の上皇陛下のこと。

日本の新幹線が海外で売れない理由

新幹線で設定されているカーブが小さすぎて高速走行ができない
→高速走行の実績がない ⇒売れない*1

新幹線で設定されているカーブが小さすぎて高速走行ができない
→それでも何とか高速走行しようとして車体を軽量化する
→事故や脱線のリスクが大きい ⇒売れない*2

日本に鉄道を敷く時に狭軌を選んでしまった
狭軌では高速走行が難しいため新幹線を作る時に標準軌を採用した
→在来線に乗り入れできない仕様になっている ⇒売れない*3

日本に鉄道を敷く時に狭軌を選んでしまった
狭軌では高速走行が難しいため新幹線を作る時に標準軌を採用した
→在来線に乗り入れできない仕様になっている
→新幹線を通す時に都市部も含めて全部一から作らないといけない
→コストが高くつく ⇒売れない*4

日本に鉄道を敷く時に狭軌を選んでしまった
狭軌では高速走行が難しいため新幹線を作る時に標準軌を採用した
→在来線に乗り入れできない仕様になっている
→どうせ在来線は通らないからといって車幅を広げて乗客数を増やした
→上下線の車間が狭くなる
→風圧やバランスの影響で高速走行できない ⇒売れない*5

参考文献:〈図解〉日本vs.ヨーロッパ「新幹線」戦争 (講談社+α文庫)

日本の技術が世界一だと信じて疑わない日本人には受け入れがたいことかもしれないが、これが現実。

たとえどんなに技術を磨いても、最初のコンセプトを間違えると売れなくなる、という教科書のような見本。

*1:東海道新幹線は最小半径2500mで設計されており、それによってN700系でも最高270kmまでしか出せない。山陽新幹線東北新幹線では最小半径4000mに変更されたが、それでも最高速度はE5系の320km。一方、欧州の新幹線では最小半径6000mとかが普通で、350kmで走行している例も。

*2:線路に人や車が親ほとんど侵入することのない日本の新幹線ならそれでもいいが、欧米の新幹線は在来線に乗り入れるのが一般的であるため、脱線のリスクが高い日本の車両は採用しにくい。

*3:欧米は在来線も標準軌であり、日本の山形新幹線秋田新幹線のような新幹線が在来線に乗り入れるスタイルが当たり前。

*4:在来線に乗り入れる方式なら、用地買収が困難な都市部や採算が合わない地域は在来線線路を活用し、それ以外の場所だけ新幹線線路を建設する、というような柔軟な建設方法が採用できる。都市部はどうしてもカーブが多くなり騒音問題もあるため、そもそも高速走行できないのに、日本の方式ではわざわざ莫大な費用をかけて都心に新線を建設するしかないのでコスト高になる。

*5:上で述べたように、在来線乗り入れ方式が一般的な欧米では車幅も在来線と新幹線で一緒。車幅を広げるとますます高速走行に不利になる。

話数単位で選ぶ、2019年TVアニメ10選

今年もこの季節がやってきました。例年通り、ブログ新米小僧の見習日記に則り、

・2019年1月1日~12月31日までに放送されたTVアニメ(再放送を除く)から選定。
・1作品につき上限1話。
・順位は付けない。

というルールで今年観たベスト10話を選出します。

後ほど、2010年代(2010年~2019年)全体の話数単位10話も発表いたしますので、よろしくお願いします。

かぐや様は告らせたい』、第12話、「花火の音は聞こえない 後編」「かぐや様は避けたくない」

  • 脚本:菅原雪絵
  • 絵コンテ:畠山守
  • 演出:菊池貴行、畠山守
  • 作画監督:石崎夏海、川﨑玲奈、ぐんそう、佐藤好、石川洋一、針場裕子、Park Ae-Lee、Shim Min-hyeon
  • 総作画監督:八尋裕子

原作ファンがずっと心待ちにしていた花火回を、期待を裏切らずハイクオリティで仕上げてくれたアニメスタッフに感謝したい。以下、アニメ『かぐや様は告らせたい』感想記事より再掲。

ルイ・パスツールはこう言った。「幸運は準備された心に宿る」

この世に神様など居ない。奇跡も魔法も存在しない。だが、それでも、たった一人の人間が、かぐやの事を思い、もっとかぐやの事を知りたいと願い、そのために必死に努力して、準備を続けた時、今までの不幸なんてきれいさっぱり忘れてしまうくらいに最高の幸運が訪れる。そこには夏らしいロマンチックな思い出も、特別な舞台装置も必要ない。花火ですら必要ない。大好きな人と一緒に夏を過ごす、ただそれだけの事で、かぐやは救われていたのだから。

かぐや様は告らせたい』は、ラブコメでも恋愛頭脳戦でもない。これは、四宮かぐやという少女の心の救済の物語。そして、かぐやだけでなく、石上やその他の登場人物みんなが、誰かから救われ、誰かを救う物語だ。

『さらざんまい』、第11話、「つながりたいから、さらざんまい」

作品のテーマが凝縮した見事な最終話。『さらざんまい』は繋がりに満ち溢れたこの世界を美しいものとして描いているわけではない。その世界は、醜く、怖ろしく、苦しみに満ちている。それでも人は、繋がりの外では生きていてない、繋がりの外に行ってしまった人を救う事はできない、ということを描いている。スマホが普及し、ありとあらゆる人と物がつながった現代だからこそ光るテーマ。

『荒ぶる季節の乙女どもよ。』、第10話、「穴」

『荒ぶる季節の乙女どもよ。』が最高に笑えるのは、登場人物たちの言動がみんな痛々しいからである。大人から見ればどうでもいいような事にいちいち一喜一憂し、赤面し、慌てふためくその姿が、最高に面白い。でもそれは、彼女たちが真剣に思い悩み、どこまでも必死であったことの裏返しでもある。大好きなミロ先生を振り向かせようと策を練るも全て上手くいかず、嫉妬や劣等感やあらゆる感情が溢れ出してきて泣き出してしまう本郷ひと葉。痛々しさが一周回って感動へと昇華していく神回。

『グランベルム』、第7話、「ミス・ルサンチマン

まあ、見事としか言いようがない。そこには、普通のアニメでありがちな、ハートフルで穏やかなエンディングなど一片たりとも存在しない。アンナは、最後の最後まで改心などすることなく、新月を恨み、妬み、嫉妬と憎悪に身を焦がしたまま消えていく。以下、『グランベルム』第7話感想記事より引用。

この話を振り返る時、私は、どうすればアンナは救われたのだろうと考える。

確かに、アンナの置かれた境遇には同情できる余地がたくさんある。すぐそばに圧倒的な才能を持った新月がいて、新月ばかりが周りから期待され、嫉妬で気がおかしくなってしまうのも分かる。それでも、アンナの周りの人達はアンナを救おうとしていた。その人達から差し伸べられた手を振りほどき、闇に堕ちていったのは、他ならぬアンナ自身の意思だ。

人は、不幸な状況に陥ったとしても、誰かしらが救いの手を差し伸べてくれる。けれども、その手を振り払ってしまったら、もう誰もその人を救えない。そういう人を救うことはとても難しい。(中略)

我々の社会は、こういう人達を救うことができない。『グランベルム』という作品は、このどうしようもない現実を我々に突きつけてくる。

『女子高生の無駄づかい』、第7話、「やまい

もう始まる前から神回確定のヤマイのメイン回である。ヤバい恰好で所沢をうろついているのを筆頭に、予想を軽々と超えていくヤマイの痛々しさと、それに呆れつつも優しく接してくれるクラスメイトや大人の存在、もう全てが最高である。ギャグアニメとしての言葉のチョイスも素晴らしくて、例えば、「頑張るんだよ!座敷わらしの子!」「汚れたビーチの詰め合わせ」「日照権で地元とモメて建設予定がずれ込んだ」、よくもまあ、こんな神ワードを次々思いつくものである(観てない人にとってはさっぱり分からないだろうが)。

『八十亀ちゃんかんさつにっき』、第6話、「スガキヤいこみゃあ」

名古屋と言えば決して外すことのできないスガキヤ回。普段はバリバリの名古屋弁なのにメールでは標準語な八十亀ちゃんなど、名古屋あるあるネタに留まらない味わい深さが出てきていて、しかもそれを上手く5分アニメの中にまとめていく手法はグッとくるものがある。

からかい上手の高木さん2』、第11話、「歩数」「花火」「お土産」「約束」

いつも西片に対して本心を見せない高木さんが、珍しく声を弾ませて「これも!」「これも!」とか言いながら缶ジュースを渡していく場面はいつ見ても惚れ惚れする美しさ。二人の関係が変わっていないようで少しずつ変わっていってるという事がよく分かる。

『ノー・ガンズ・ライフ』、第1話、「暴走拡張者」

原作も読んでないし事前情報もほとんど知らない状態で見た第1話だったが、完全に引き込まれた。頭が丸ごと銃に改造されたシュールな光景と、ハードボイルドな世界観の融合。全体的に薄暗い画面に、銃の光沢が実に映える。

『星合の空』、第5話

眞己と母親が住む新居へ、父親が金をせびりにやってくる。薄暗い廊下。不気味に軋むドア。視聴者まで恐怖を覚えるような中井和哉の名演。部屋の奥から現れた柊真が札束を投げつけ、「これ以上眞己を苦しめるなら俺がお前を殺す」と迫る。

それはもちろんベストな選択ではない。第一、柊真のやり方では問題の根本的な解決にはならない。それでも、大人の持つ力や狡猾さを前にしてあまりにも無力な中学生が、必死に考え出した唯一の道。

父親が出て行ったあと、何度も「ありがとう」と言いながら柊真に抱きつく眞己。柊真の優しい声。服が擦れ合う音。夕日に照らされながら流れ落ちる雨。

二人の間にあるもの、それは、「愛」と呼ぶ他ない。かけがえのない大切な人を救いたい、その気持ちに性別など関係あるだろうか。美しい…。ただ、ただ、すべてが美しいとしか言いようのない神回。

『戦×恋』、第9話、「触る乙女と触られる乙女」

  • 脚本:兵頭一歩
  • 絵コンテ:西田正義
  • 演出:浅見松雄
  • 作画監督:Kwon Oh sik、Jeong Yeon soon、Ahn Hyo jeong、Lim Keun soo
  • 総作画監督:立石聖、小林利充

第9話までほとんど登場することなく秘密のベールに包まれていた早乙女家長女・一千花が、ようやく第9話にして本領発揮。その実態は、なんと、全身敏感肌のシスコンぽんこつキャラだった! このアニメに理屈や整合性は不要。ただただ、お風呂場で感じてしまった一千花姉様のあられもないお姿を堪能するのみ! 毎クールに最低1作はこういうアニメをやってほしいものだ。

2010年代TVアニメ各年ベスト

2010年代TVアニメ年別ベストという企画があったので、参加してみる。

すでにTwitterの方で述べたが、私が選んだ各年のベストは以下の通り。


と言っても、すでに各作品の感想や考察は本ブログで散々やってきたので、改めて詳しく語るのはやめておく。興味のある方は下記リンクに飛んでご確認ください。